怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

公立VS私立

2005-04-17 15:02:33 | 教育
http://www.kingdom.or.jp/nanchie/html/00/13_16.html
王国「公立小学校VS私立小学校。ここがいい、ここが悪い。実際の体験談をお聞かせ下さい。」

この表題で面白いと思ったのはVSの部分。
果たして対立項目になるのだろうか・・・という点。
だけれども土俵が違うのだなと思った。
日本の教育は公立が主体というか基盤にあって私立があるのだなぁと痛感。
私立組の希望は単純で、公立不信というか、私立という選抜クラスに入ることが望みのようだ。
ま、実際、なんでもかんでも受け入れる私立は都内に存在しない(よね)から、必然的にある程度その学校に合った子どもが通うようになり、学級崩壊も少ないのである。
公立は、そういった視点からすると、私立にもれた子どもの受け皿でもあったりする。
当たり前のことをいっているのだが、そこは重要な視点であるように思う。
このHPのコメント群をみると、公立への不満を述べているだけの人もいるのだが、こういった人は現状認識が甘いというかできていないのだろう。

あえてコメントをおいてきてみたが、私立の内部状況をどれほどリベラルかつクリティカルに見る目をもっているのかは、この議論を単なる底辺バッシング、公立バッシングで終わらせず、私立の教育の向上を前向きに見ていく視点につながるのだろう。
果たして、そこまで私立教育をパッシブでなくアクティブに活用していくことが今の私立組に可能かどうかはわからないが。
私の、数年、数校程度という、少ない私立学校講師経験では、意外に人的財産やその可能性を埋もれさせている学校が大半であるとは思う。
そんなこと、私立学校の(もしかしたら信者チックな受動者)保護者に尋ねてみてもわからないだろう。
いや、なにも保護者等を馬鹿にしているわけではなく、普通に私立の教諭(社員)ならば、不要な情報は流さない以上に隠ぺいもするだろうという意味であることを、誤解ないように付け加えておく。
公立の教員がいかなる研鑽を積んでいるかなんてことに興味を示す保護者に出くわした事がないことも、こう書いている理由。
批判的に見ている保護者がどの程度いるのだろうか・・・。今回の引用ではそこのところに疑問符をうちたい。
最後に、私立小学校教諭へ尋ねたい。あなた方はどんな研鑽を積んでいますか?さらに、自分の学校についてだけでなく、広く教育者としての資質をどう高めていますか?公立学校のそれをご存じですか?
誇る事をしているわけではないが、かなりの時間を日々そこにさきながらやっているので、単純に広く私立では?と知りたいのです。

評価一考(その1)

2005-04-17 00:45:48 | 教育
相対評価との比較で絶対評価を考える。
絶対評価の利点は、達成度評価なので、その評価規準さえ適切に設定できれば、それを教科単元に還元しやすく、児童生徒に達成目的を示しやすく、その分、自己評価との整合性も飛躍的に高まる。
つまり、設定された規準が明示されているのだから、どこまで努力すればA評価になるのか、学ぶ者の視点でわかり、努力の実感がわかる。
しかし、規準の設定が難しい。
無理な規準をもうけると全員C評価もあり得るし、その逆もある。
もちろん、無理な規準というものの評価も必要だ。
例えば受験等の資料になることを考えると、全国レベルはさておき、最低でも進学先の学区域内は規準の総体の差がないようにしなければならない問題もある。(もちろん受験システム自体の問題でもあるが)

ネット上で遭遇した方だが、敬意をはらいつつ拝読させていただいている子安先生のブログから、
http://blog.livedoor.jp/koyasujun/tb.cgi/19085665
>なぜ非教育的かというと、そこで目指される評価は学級の個性的な学びを単純化することになるからである。

教育的か否かという視点、そして学級の個性的な学びにつながるとい視点にはっとさせられた。
ともすると評価するために評価項目を考えている自分を感じたからである。

「たち合わせ」
http://blog.livedoor.jp/koyasujun/tb.cgi/18747623

同じく子安先生のブログからだが、

>しかし、ここからがいいたいことなのですが、そんな気はしてしまうのですが、教師がこういうことにおもしろがる時間があることはいいことだなと思うわけです。

ああ、「共に学ぶ集団としての学級」をもっと強く意識しながら、上手な授業をしたいものだと思う。
評価というものが、そんなものによりそう形であることが個人的な理想かな。
でも、明日の授業も、今現在、我が校で問題になっている評価規準/基準に翻弄されそう。