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帰ってきた特派員報告

2004年に沖縄移住しteacupブログ開設→gooブログへ引越し

首里城

2009-03-31 20:30:00 | 戦跡巡り
またまた戦跡です。

今回は第三十二軍司令部(首里城)にいってきました。

観光客で賑わう世界遺産「首里城」ですが、じつは先の大戦で戦艦ミシシッピの艦砲射撃により粉々になっているのです。



戦士の休息。
今から64年前の1945年5月27日、司令部陥落直後の写真です。

現在なぜか門石が新しくなっていますが、それには理由がありまして・・・。



戦後、わずかながら残っていた遺構のすべてをブルドーザーでぶち壊し(!)琉球大学のキャンパスを建てちゃったからなのですね。


それをもういっぺんならして、首里城を再現。キャンパスは西原市に移転しました。
複雑ですな。



50年代の絵葉書からぱくってきた守礼門です。ワンピースと髪型がイーネッ!





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与那原駅

2009-03-20 11:59:00 | 戦跡巡り
沖縄に帰ってきました。
ぬる~い空気が心地よくて、旅の疲れもあってか昼すぎまで泥のように眠ってしまいました。

そういえば身体がなんだかドブくさい。
そして家には誰もいない。

では、シャワーを浴びて、お散歩にでかけることにしましょう。

今日は久しぶりの戦跡めぐりです。

沖縄には戦前まで鉄道が走っていました。
軽便鉄道というかわいい汽車で、県民から「け~びん」と呼ばれ親しまれていたそうです。



軽便鉄道は北部の名護まで伸ばす予定でしたが、計画も、駅も、線路も戦争で全て壊滅してしまいました。

映画館やサーカスや観覧飛行などで賑わっていた与那原駅もこんなありさまです。



現在はJAおきなわになっていますが、わかりますか?なんと躯体は当時のまま使われているのですよ。驚きですねぇ。


プラットフォームがリフォームだ!

なんのひねりもなくて。・・すいません。

裏にまわると、フォームの面影をちゃんと残しておりました。





おばさんたちが汽車待ちのゆんたく(井戸端会議)をしているように見えて、しばし当時の駅のすがたに思いをはせることができました。

しかしながら世の中は3連休、東京からお客さんが2組来てるのでゆっくりしてはいられません。

おとうさんはこれから市場に食材を買いにいってきまス。


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香港占領地総督部

2007-12-04 19:38:40 | 戦跡巡り
日本軍が香港を占領していたのは3年8ヶ月。
総督部はあのHSBC銀行にありました。(もちろん接収した)
この看板は最近一般公開されたとのことです。

写真は総督就任時の磯谷廉介陸軍中将。

















久々に博物館に入りましたが、ここはすごくいい出来でした。

はやく沖縄県立博物館にも行きたいなぁ。


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報道カメラマン その2

2007-10-16 18:13:24 | 戦跡巡り
前回のつづき。

で、屈強な自衛隊員がこちらに向かって歩いてきたんだが、
ちょうどそこに赤いサイレンを回したジープが猛スピードで到着。

さっきの無線で呼んだのかな。

連行されるのね俺。


と観念しながらも、ジープの写真をパチリと撮って特派員は最後の悪あがきをみせる。


ところが。。

くだんの隊員、満面の笑みである。

「どうせならもっと近くで撮ってくださいよ」
「近頃では珍しいですよー、あんな大物」

と、なんかゆる~いネイチャーガイドみたいな口調で言う。

ガイドに処理現場へと案内され(!)、
そこで見たものは、なんと日本軍250キロ爆弾であった。
うちの裏にこんな大物が寝ていたのか。


聞くと、唯一の地上戦が行われた沖縄には、まだまだ多くの不発弾が眠っていて、
全部を掘り起こすにはあと80~100年を要すとのこと。
処理日の朝はパンツを新しいものに履き替え、子供をぎゅっと抱きしめるのだそうだ。
危険手当は5千円。隊員の皆様には心からご苦労様といいたい。

緊張感漂う男の現場。


しかしこんなすげぇところなんで入れたのかしら。
迷彩Tシャツ着てたからかな。
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報道カメラマン

2007-10-13 17:31:03 | 戦跡巡り
秋の味覚のことで頭がいっぱいになったので、
昨夜、スタッフたちと寿司屋「かわじ」を襲撃。
最高のネタに舌鼓をうち、松茸の土瓶蒸しに陶然となった。
山形の銘酒、出羽桜が旨い。

朝、例によって二日酔う。
頭を掻きながら新聞を読んでいたら、何か違和感。
なんだかいつもと外の様子が違う。
静かすぎるのだ。
窓から外をうかがうと、車も人も全く消えてしまっている。




うちの近所で不発弾が見つかり、近隣住民はみな近所の小学校に避難してしまっていたのだった。

ヤバス。

しかし冷静になってみると街の中にただひとり取り残された俺だ。
こんなときはどうするべきか。

しめしめ、酒屋に入って略奪か?

いや、俺も一応特派員の名をしょっているので、とりあえずカメラを持って取材にGOだ!

戦地報道カメラマンの気分を出すために、カーゴパンツと迷彩Tシャツに着替える。
カメラはあゆのスゴうすだけど。

                こんなカメラの報道がいてたまるか。




しずまりかえった街へおそるおそる繰り出してみる。
いくつかの角を曲がったところに、いた。
自衛隊員が仁王立ち。
まさに不発弾処理の現場だ。
この三年間、飲んで食って吐いてというくだらないネタに終始していた特派員報告も、いよいよ本領発揮の時が来たようだ。

あゆのスゴうすを構え、最初のシャッターを押した・・・ところでギロリとにらまれる。
あちゃー、もうみつかってしまった。
隊員がこっちへ来いと手招きしている。
ネコみたいに後ずさりしながら逃げる準備をしていると、
つかつかとこちらに詰め寄ってきた。
無線で誰かと話しながら。


うぅ、テラヤバス。


驚愕の展開は、次号。


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