あれは中学生の頃だから今から40年以上前、目蒲線の多摩川園駅という(今は線も駅名も変わってしまった)ところにある小さな町塾に通っていた
塾長は素晴らしい人格者だったので、猿だった俺を辛抱強く育ててくれた
勉強はもちろん、色々な世界を教えてくれた
時には車を飛ばし横須賀の猿島へ行き、釣りをして、夜は焚き火の前で踊り狂い、一緒に車のカバーにくるまって寝た
猿島は今も昔もキャンプ禁止なのだけど、自己責任という概念を教えてくれたのも塾長だった
その塾は24時間出入り自由で、当時は珍しかった帰国子女や大会社の社長のドラ息子などがうじゃうじゃとたむろしており、気が向けば揃って街に酒を呑みに出かけ、塾に帰ると机に向かって朝まで勉強をする、という「梁山泊」の体をなしていた
なのでみるみる成績が上がり、偏差値というなんだかよくわからないものも65くらいにはなった
そんな中学3年のある日、一茂が同じクラスにきた
すぐに仲良くなり、お互いの家を行き来するようになった
最初に長嶋邸に行ったときのことは今でも鮮明に覚えている
玄関で出迎えてくれたお母さんに挨拶して二階に上がると、別なお母さんが「いらっしゃい」といった
どっちがお母さんなのかな?と思っていたら、二階のお母さんが部屋をノックして「おやつは天丼にする、それとも鰻丼がいい?」
一般家庭の中学生は大変な混乱をし、「なんでおやつが鰻丼なんだよ!っていうかどっちがお母さんなの!」
「ああ、カツ丼が良かったの? あれは二人ともお手伝いさんだよ」
もうため息しか出ないし、広いリビングのアクリルケースの中にはこげ茶色のグローブが飾られているし
もちろん偉大なる四番でサードのグローブだ
当時の大ヒーロー、今だったら大谷翔平の家に遊びに行くようなものだ
生活のクオリティが違う
格差というものを初めて知った
ある夏の日、一茂から塾に通っている〇〇さんが好きだと打ち明けられた
彼女はうちの近所に住んでいて互いに仲が良く、時々渋谷に飲みに行く相手だった
中学生が酒を飲める穏やかな時代だった
一茂がうちに来て入念な作戦会議の後、〇〇さんの家に行き、塀に登って彼女の部屋の偵察をした (今なら通報もの)
塾長と一緒に色々な仕掛けをセッティングしてやると、やがて〇〇さんと一茂は付き合うようになった
なんでこんな話をしているのかというと、こないだの金曜日にテレビを見てたら一茂の番組に塾長が出演し、〇〇さんの話がでたからである
梁山泊7人の集合写真が映った 一茂よりずっと背が小さいのに顔が同じ大きさで泣ける
しかし驚いたなぁ、〇〇さんとヤクルト現役2年目まで付き合っていたとはなぁ
塾長を囲んで同窓会でもやろうかな
でも7人はそれぞれ社会的に重要なポジションにいるから、あの頃みたいに飲み屋で陰毛に火をつけるようなバカ騒ぎはできないな
俺は今でも時々やらかしてますがねぇ