山代中ブログ~伊万里市立山代中学校~

学校の日常の様子や山代の行事・歴史や自然等について、いろいろな記事を掲載しています。

山代の自然と歴史5~伊万里県と西山代村~

2009年09月22日 23時26分19秒 | 自然と歴史

 伊万里市の近代(明治以降)は、めまぐるしく地名が変わっています。

 「伊万里県」とは、明治初期にわずか9カ月足らず存在した県名です。

 明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県によって、佐賀藩などの諸藩は県に変わります。明治4年9月4日、佐賀県は人心一新を図る目的で県庁を伊万里に移しました。そして、いくつかの村などを統合して伊万里県が誕生しました。

 同11月には、唐津などの4つの県や村を統合し、現在の佐賀県に対馬を加えた広い範囲が伊万里県となりました。

 明治5年9月29日、県庁は再び佐賀へ移り、伊万里県は佐賀県と改称されました。その後、他県と合併したりしながら、明治16年(1883年)5月に佐賀県は、長崎県から分かれ、現在に至っています。

 そんな中、明治22年(1889年)市町村制がしかれ西松浦郡は、2町14村に編成されました。そのうち現在の伊万里市に入っていたのは、伊万里町、牧島村、大坪村、大河内村、黒川村、大岳村(後に波多津村)、南波多村、大川村、松浦村、二里村、東山代村、西山代村でした。山代は、この頃、西と東に分かれていたんですね。

 そして、昭和11年(1936年)、西山代村は、山代町に変わりました。

<この記事の内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第6集 歴史編ー」から引用しています。>

※ 関連記事:山代の自然と歴史7~川南造船所~ /山代の自然と歴史6~山代町の炭坑~山代の自然と歴史5~伊万里県と西山代村~ / 山代の自然と歴史4~楠久津の漁民~ / 山代の自然と歴史3~城山 飯盛城址~ / 山代の自然と歴史2~小島古墳~ / 山代の自然と歴史1~城山・伊万里湾大橋~

※ 山代中ホームページ(←クリック!)もご覧ください。


山代の自然と歴史4~楠久津の漁民~

2009年09月22日 10時12分20秒 | 自然と歴史

  

 山代中から南へ車で5分も下ったところに楠久津という場所があります。

 江戸時代、伊万里湾に面した楠久津では、漁業が盛んでした。最盛期には、漁船35隻、漁民120人以上がいました。

 楠久津の漁民は、鯛釣りを専門として、特に子鯛釣りの妙技は、良く知られていました。ここで釣った鯛は、そのまま活魚として売ったり、すぐ串に刺して焼いたりしました。また、五島沖など遠方で釣った鯛は、その場で塩漬けにされ、小城や佐賀まで運ばれました。これらは、「楠久鯛」と呼ばれ、新鮮さとおいしさで評判が立ちました。

 そのころの漁場であった山代の海は、今では、工業団地が造成され、伊万里湾大橋が架かっています。

<この記事の絵や内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第6集 歴史編ー」から引用しています。>

※ 関連記事:山代の自然と歴史7~川南造船所~ /山代の自然と歴史6~山代町の炭坑~山代の自然と歴史5~伊万里県と西山代村~ / 山代の自然と歴史4~楠久津の漁民~ / 山代の自然と歴史3~城山 飯盛城址~ / 山代の自然と歴史2~小島古墳~ / 山代の自然と歴史1~城山・伊万里湾大橋~

※ 山代中ホームページ(←クリック!)もご覧ください。