後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

絶滅寸前のヨーロッパの少数民族(2)カタルーニャ民族の独立運動の混迷

2018年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム
一般的に少数民族の独立運動には同情が集まりがちです。しかしその独立運動の実態を少し調べてみると、独立運動の指導者の政治的野心や経済的利権への欲が見え過ぎて、必ずしも尊敬出来ない場合もあります。
少数民族の特有の貴重な文化を保存維持するためには、あくまでも合法的で穏健な方法を採るべきです。
西ヨーロッパには13ほどの少数民族が特有の言語を持っていることは次の題目の前報で記しました。『絶滅寸前のヨーロッパの少数民族(1)北欧のサーミ民族の文化』

今日は最近、日本のマスコミでも話題になったスペインのカタルーニャ民族の独立運動の実態を少し詳しく見てみましょう。
カタルーニャ独立運動は、スペインからのカタルーニャ州の独立を目指す政治運動です。スペイン中央政府がカタルーニャ民族を軽視するような言動を繰り返したことと、カタルーニャ州が税金として支出する金額とスペイン中央政府から還元される金額に大きな隔たりがあることの2つの理由で2010年頃から独立運動が盛んになってきました。
特に2017年のカタルーニャ独立住民投票の後で、中央政権と州政府の激しい対立が起きました。
その結果、中央政府によるカタルーニャ州の自治権の一時廃止が起き、州首相が反逆罪になり、ベルギーへ亡命したのです。
海外メディアでは「カタルーニャ危機」として大々的に報道されたので皆様記憶に新しいと存じます。
カタルーニャ州の首相が国家反逆罪に指名されたりベールギーへ逃亡するなど荒っぽいことが起きるのは如何にも情熱の国、スペインらしい事の成り行きです。しかしもう少し詳しく見てみましょう。

1番目の写真はスペインの東南の端にあるカタルーニャ州の場所を示す地図です。フランスと国境に接していて、地中海に面しています。首都はスペイン第二の都市のバレセロナです。

2番目の写真は独立運動のデモの様子です。
2017年10月27日のプチデモン州首相の罷免・議会解散を受けて、12月21日に自治州議会選挙(定数135)が行われました。独立賛成派が過半数となる70議席を獲得し、投票率は過去最高となる83%だったそうです。

3番目の写真は高揚した独立派のデモの様子です。

4番目の写真はカタルーニャ州の復活祭の前の謝肉祭(カーニバル)の様子です。カタルーニャ州ではカトリックの信仰が強くカーニバルを祝う文化を持っています。

5番目の写真もカタルーニャ州のカーニバルの様子です。
このようにカーニバルを祝うのはカタルーニャ州だけでなく南ヨーロッパと南米のカトリック圏全般の文化です。ですからカタルーニャの特有の文化とは言えません。
特有のものとは何でしょうか?それは特別な言語にあります。
カタルーニャ語はスペイン東部のカタルーニャ州に居住しているカタルーニャ人の特有の言語です。言語学的にはインド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属します。
カタルーニャ地方のほか、バレンシア州、バレアレス諸島州、アラゴン州のカタルーニャ州との境界地域、南フランス・ルシヨン地方(北カタルーニャ)、イタリア・サルデーニャ州アルゲーロ市などに話者がいる言語だそうです。
アンドラ公国では公用語になっており、またスペインではガリシア語、バスク語と並んで地方公用語として認められています。
言語学的には、ラテン語(より正確には俗ラテン語)から変化したロマンス語の一つで、歴史的関係により、南フランス(オクシタニア)の地方言語であるオクシタン語に近いと言われています。詳細については、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A3%E8%AA%9E をご覧下さい。
以上を分かり易く要約するとラテン語から変化したロマンス語の一つで、スペインではガリシア語、バスク語と並んで地方公用語として認められているのです。
しかしカタルーニャ語はスペイン語の親類のようなもので、日本語とアイヌ語ほど大きな違いはありません。この事実は独立運動の正当性に私が疑問を感じる原因にもなっています。

それでは何故、カタルーニャの独立運動が燃え盛るのでしょうか?次の資料の抜粋を下に示します。
『――なぜカタルーニャのかなりの部分の人たちが独立に賛成しているのでしょう?』
https://www.footballista.jp/interview/39857
 「理由はいくつかある。それに、みんなが同じ理由で独立を望んでいるわけではない。実際、これだけ独立支持者が増えたのは、当初からの理由に新たな理由が加わったからだ。私にとって重要な理由が一つある。複雑なテーマでかいつまんで語るのは難しいのだが……。これから説明することはスペインの人たちの間には異論があるだろうと思う。
 根本の問題はスペインの成立にある。つまりどうやってスペインができたかなのだが、それについての合意はない。私にとってスペインとは様々な民族が集まってできた国だが、多くのスペイン人にとってスペインとは単一民族による単一国家だ。彼らはスペインという国籍があり、スペインという文化があると考えている。だけど私たちがしゃべっているのは別の言語だ。
 はるか昔、イベリア半島ではラテン語が話されていたが、他民族や侵略者との交流によって別々の言語が発達していった。今日カタルーニャ語と呼ばれるものは、この地域でスペインの成立前にはすでに話されていた長い歴史を持つものだ。もちろん昔のカタルーニャ語と今のそれとは異なっているが、そこにこの言語の起源があった。
 ある時カタルーニャの伯爵がアラゴンの王女と結婚。今のアラゴン州とカタルーニャ州を合わせた領土を持つアラゴン連合王国が生まれた。そのアラゴン連合王国の王がカスティージャの女王と結婚してできたのが、スペイン王国だ。テレビドラマシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』と同じだよ。王族の婚姻によって領土を拡大した新しい国が生まれていく。
 こうして生まれた連合国だから、スペインの中央権力が異なる伝統や文化、民族をスペインの統一と継続の脅威として受け取ってきたことは理解できる。だからこそカタルーニャを想う感情が力を持たないようにしてきた。もし、なぜ人々は独立を願うのかと問われれば、最も重要な原因は連合国家の成立の仕方が公平でなかったという点に根本原因がある」・・・以下省略・・・

皆様このような理屈を読んで嫌になりませんか?

私の考えではカタルーニャの独立運動はスペイン国内の政治権力闘争であり文化的な活動を装っていますがそれはまやかしのようです。
しかしヨーロッパの歴史の勉強になる絶好の機会です。
そんな観点から「絶滅寸前のヨーロッパの少数民族」という連載をもう少し続けたいと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

===ご参考までに・・・・
カタルーニャ出身者にはいろいろ個性的な芸術家がいます。建築家のガウディや画家のダリやミロなど。チェリストのカザルス、テノールのホセ・カレーラスなどなどです。

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