後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

南北高官会談、平昌オリンピック、北朝鮮の農村風景

2018年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は板門店での韓国と北朝鮮との大臣級高官の会談のことを書こうと思いました。
そして北朝鮮が韓国の平昌冬季オリンピックへ参加することで束の間の平和がやって来たことを喜びたいと思いました。
トランプ大統領も南北会談に協力しています。束の間の平和でホッとしました。
そんな記事を書こうと思い、その記事の挿し絵代わりの写真として北朝鮮の農村の写真を使おうとしました。
そこでその写真をあれこれ探しました。そうしたら北朝鮮の地方の人々の生活の実態を捕らえた写真が沢山掲載されたブログを見つけたのです。
そのブログは、「北朝鮮の地方の風景 」;http://happytraveler.hateblo.jp/entry/2015/05/10/234224 です。
写真を撮った方は日本人ですが、この方は人間に興味があるのです。貧しそうな農村で人々が懸命に生きている姿を写しているのです。
嗚呼、どんなにも苦しくても人間は明るい希望を持って生きているのだと感動します。そしてその一方では生活苦の悲しみも滲んでいる写真なのです。
これから紹介する写真には、限りない人間の喜びと悲しみが写し出されています。
胸が締め付けられます。かつての戦争中、戦後の日本の農村風景とあまりにも似ているのです。当時の苦しみや喜びを思い出すのです。かつては日本にもこんな風景が広がっていたのです。

1番目の写真は北朝鮮の農地の風景です。美しい風景ですが収穫後の水田なので荒涼としています。よく見ると道の端を何人かの農民が離れ離れに歩いています。何故かシーンとする風景写真です。

2番目の写真は集落の道路の風景です。母親と娘の姿が見えます。背後にも人々が歩いている姿があります。静かな風景です。

3番目の写真は賢そうな少女が二人、学校の制服姿で歩いています。脚が長いので栄養状態が良いのでしょう。何故か安堵します。

4番目の写真は土手の上の道を3人の人間が通っているところを下から撮った写真です。右の2人は母娘です。若い母親が赤い服を着てお洒落をしています。貧しくてもお洒落をする心意気が嬉しいです。後ろの中年の男は実直そうな農民の顔をしています。

5番目の写真は遊び回る子供達です。これらの子供達を見るとその両親や祖父母も明るくなるでしょう。戦中、戦後の日本の農村の子供達と同じ風景です。

6番目の写真は朝の集落の橋のたもとの風景です。近くの小さな工場にでも出勤する人々なのでしょう。活気があります。元気そうです。背後の屋根の大きな建物は農作物の共撰所と貯蔵倉庫なのでしょうか。

7番目の写真は農民がバスの代わりにトラックに乗っている風景です。
戦争直後、私もトラックの荷台に乗りました。荷台は高く見晴らしが良かったです。そのトラックは復員兵が勝手に軍隊から持ち出して故郷に帰ってきたトラックでした。戦闘機に乗って、そのまま故郷の川原に下りた復員兵もいました。よほど急いで故郷に帰りかったのでしょう。そんな風景を疎開した農村で見たのです。この7番目の写真は私に日本の昔の農村風景を思い出させるのです。

北朝鮮は昨年、たて続けにミサイルを発射しました。日本上空を飛び越して太平洋まで飛んで行った弾道弾ミサイルもありました。
これに対してアメリカは航空母艦打撃群を、同時に3つも北朝鮮の沖を巡航させ、軍事攻撃の体制で北朝鮮を脅迫したのです。
軍事衝突が起きれば韓国が修羅場になり、日本も北のミサイルで攻撃されるのです。緊張が続きました、
しかし北朝鮮の金正恩委員長が態度を軟化し板門店での韓国と北朝鮮との大臣級高官の会談が開催されたのです。
これで平昌冬季オリンピックの間だけは束の間の平和が訪れるのです。
しかし北朝鮮は核兵器を持ち、アメリカを攻撃する長距離弾道ミサイルを作っている恐ろしい国です。
今年は核弾頭を完成し、アメリカを攻撃出来る長距離ミサイルを実戦配備を完了する年になるでしょう。日本を取り巻く環境はまだまだ危険な状況が続くのです。
それにしても北朝鮮の農民の写真を見ると、そんな恐ろしい国には見えません。この人々に何時までも平和があるように祈りたくなります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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