後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

孤高の俳人、飯田蛇笏と芥川龍之介の評価

2018年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人は学校で芭蕉や一茶の俳句を習います。芭蕉の句を幾つも暗唱している人もいます。
俳句とはそれだけのご縁という人も多いようです。私もその部類でした。
しかし飯田蛇笏の句を読んだ後は考えが変わりました。毎日の新聞に出ている俳句を真剣に読むようになりました。 82歳になって俳句が少し分かったのです。まったく恥ずかしいですね。

山梨県の県立美術館や文学館には何度も行きました。甲斐駒岳の麓の山林の中の自分の小屋に通う道の途中なので度々立寄ったのです。美術館でミレーの絵画を沢山見た後で同じ敷地内のの文学館にも寄ったのです。
すると山梨県を代表する文人として俳人の飯田 蛇笏の直筆の俳句や句集や、 蛇笏関連の数多くの写真が広い部屋に展示してあるのです。
そうして飯田蛇笏を格調の高い俳句を作った孤高の俳人だったと紹介してあったのです。
俳句など作ったことの無い私は飯田蛇笏のことを知りませんでした。愚かでした。
最近偶然にも芥川龍之介が飯田蛇笏を賛えている文章を読んだのです。
そこで蛇笏の句を幾つか読みました。成程、穏やかな美しい俳句なのです。穏やかな中にも人生の深さが暗示してあります。そして読む人の心を高いところへ連れて行くのです。

今日は飯田蛇笏の俳句をご紹介します。そして芥川龍之介の蛇笏の俳句を讃えた短い文章も示したいと思います。
飯田 蛇笏(いいだ だこつ)は1885年(明治18年)に生まれ 1962年(昭和37年)に亡くなりました。享年77歳でした。どちらを向ても山ばかりの甲斐の国で孤高の暮らしをしていました。
そして俳句を作り、大正時代における俳句の雑誌、「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍した俳人です。俳誌「キララ」後の「雲母」を主宰します。
蛇笏は山梨県の笛吹市境川町小黒坂の旧家に生れました。
1898年(明治31年)には山梨県尋常中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)に入学し、後に早稲田大学に入学します。
詳しい経歴や活躍の様子は、https://ja.wikipedia.org/wiki/飯田蛇笏 に書いてありますのでご覧下さい。

飯田蛇笏が詠んだ冬の俳句
●浪々のふるさとみちも初冬かな   (ろうろうの ふるさとみちも しょとうかな)
●炉をひらく火のひえびえともえにけり(ろをひらく ひのひえびえと もえにけり)
●写真師の生活ひそかに花八つ手   (しゃしんしの たつきひそかに はなやつで)
●桃青忌夜は人の香のうすれけり   (とうせいき よはひとのかの うすれけり)
●ふぐ食うてわかるゝ人の孤影かな  (ふぐくうて わかるるひとの こえいかな)
●風邪の児の餅のごとくに頬ゆたか  (かぜのこの もちのごとくに ほおゆたか)
●山国の虚空日わたる冬至かな    (やまぐちの こくうひわたる とうじかな)
●市人にまじりあるきぬ暦売     (いちびとに まじりあるきぬ こよみうり)
●大つぶの寒卵おく襤褸の上     (おおつぶの かんたまごおく ぼろのうえ)
●手どりたる寒の大鯉光さす     (てどりたる かんのおおごい ひかりさす)

以上の10句の出典は、https://cazag.com/1892 です。
続けて春、夏、秋の俳句も示します。

春の俳句
●川波の手がひらひらと寒明くる   (かわなみの てがひらひらと かんあくる)
●古妻や針の供養の子沢山      (ふるつまや はりのくようの こだくさん)
●春めきてものの果てなる空の色   (はるめきて もののはてなる そらのいろ)
●彼岸会の故山ふかまるところかな  (ひがんえの こざんふかまる ところかな)
●花弁の肉やはらかに落椿      (はなびらの にくやわらかに おちつばき)
●つみためて臼尻に撰るよもぎかな  (つみためて うすじりにえる よもぎかな)
●月に鳴く山家のかけろ別れ霜    (つきになく やまがのかけろ わかれじも)
●ぬぎ捨てし人の温みや花衣     (ぬぎすてて ひとぬくみや はなごろも)
●わらべらに天かがやきて花衣    (わらべらに てんかがやきて はなごろも)
●花薊露珊々と葉をのべぬ      (はなあざみ つゆさんさんと はをのべぬ)


夏の俳句
●滝おもて雲おし移る立夏かな    (たきおもて くもおしうつる りっかかな)
●白牡丹顎をあらはにくづれけり   (はくぼたん がくをあらわに くずれけり)
●五胡のみちゆくゆく余夏の曇りけり (ごこのみち ゆくゆくよかの くもりけり)
●やまみづの珠なす蕗の葉裏かな   (やまみずの たまなすふきの はうらかな)
●野いばらの青むとみしや花つぼみ  (のいばらの あおむとみしや はなつぼみ)
●大南風くらつて尾根の鴉かな    (おおみなみ くらっておねの からすかな)
●夜にかけて卯の花曇る旅もどり   (よにかけて うのはなくもる たびもどり)
●大串に山女のしづくなほ滴るる   (おおぐしに やまめのしずく なおたれる)
●白衣着て禰宜にもなるや夏至の杣  (はくいきて ねぎにもなるや げしのそま)
●じだらくに住みて屋後に立葵    (じだらくに すみておくごに たちあおい)

秋の俳句
●秋立つや川瀬にまじる川の音    (あきたつや かわせにまじる かわのおと)
●落日に蹴あへる鶏や鳳仙花     (らくじつに けあえるとりや ほうせんか)
●をりとりてはらりとおもきすすきかな(おりとりて はらりとおもき すすきかな)
●桔梗やまた雨かへす峠口      (きちこうや またあめかえす とうげぐち)
●竜胆を見る眼かへすや露の中    (りんどうを みるめかえすや つゆのなか)
●刈るほどにやまかぜのたつ晩稲かな (かるほどに やまかぜのたつ おくてかな)
●山柿の一葉もとめず雲の中     (やまがきの ひとはもとめず くものなか)
●無花果を手籠に湖をわたりけり   (いちじくを てかごにうみを わたりけり)
●濡れそむる蔓一すぢや鴉瓜     (ぬれそむる つるひとすじや からすうり)
●白菊のあしたゆふべに古色あり   (しらぎくの あしたゆうべに こしょくあり)

これらの飯田蛇笏の俳句に対して芥川龍之介はどのような感想を持っでしょうか?
以下に彼の感想文を紹介します。
出典は、https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43362_26111.html よりの抜粋です。

   『飯田蛇笏』  芥川龍之
 或木曜日の晩、漱石先生の処へ遊びに行っていたら、何かの拍子に赤木桁平が頻しきりに蛇笏を褒めはじめた。当時の僕は十七字などを並べたことのない人間だった。勿論蛇笏の名も知らなかった。が、そう云う偉い人を知らずにいるのは不本意だったから、その飯田蛇笏なるものの作句を二つ三つ尋ねて見た。赤木は即座に妙な句ばかりつづけさまに諳誦した。しかし僕は赤木のように、うまいとも何とも思わなかった。正直に又「つまらんね」とも云った。すると何ごとにもムキになる赤木は「君には俳句はわからん」と忽ち僕を撲滅した。
 丁度やはりその前後にちょっと「ホトトギス」を覗いて見たら、虚子先生も滔滔と蛇笏に敬意を表していた。句もいくつか抜いてあった。僕の蛇笏に対する評価はこの時も亦ネガティイフだった。
爾来僕は久しい間、ずっと蛇笏を忘れていた。
 その内に僕も作句をはじめた。すると或時歳時記の中に「死病得て爪美しき火桶かな」と云う蛇笏の句を発見した。この句は蛇笏に対する評価を一変する力を具えていた。僕は「ホトトギス」の雑詠に出る蛇笏の名前に注意し出した。勿論その句境も剽窃した。「癆咳の頬美しや冬帽子」――僕は蛇笏の影響のもとにそう云う句なども作った。
 当時又可笑しかったことには赤木と俳談を闘わせた次手に、うっかり蛇笏を賞讃したら、赤木は透すかさず「君と雖いえどもついに蛇笏を認めたかね」と大いに僕を冷笑した。
 しかし僕は一二年の後、いつか又「ホトトギス」に御無沙汰をし出した。それでも蛇笏には注意していた。
或時句作をする青年に会ったら、その青年は何処かの句会に蛇笏を見かけたと云う話をした。同時に「蛇笏と云うやつはいやに傲慢な男です」とも云った。僕は悪口を云われた蛇笏に甚だ頼もしい感じを抱いた。それは一つには僕自身も傲慢に安んじている所から、同類の思いをなしたのかも知れない。けれどもまだその外にも僕はいろいろの原因から、どうも俳人と云うものは案外世渡りの術に長じた奸物らしい気がしていた。「いやに傲慢な男です」などと云う非難は到底受けそうもない気がしていた。それだけに悪口を云われた蛇笏は悪口を云われない連中よりも高等に違いないと思ったのである。
 爾来更に何年かを閲けみした今日、僕は卒然飯田蛇笏と、――いや、もう昔の蛇笏ではない。今は飯田蛇笏君である。――手紙の往復をするようになった。蛇笏君の書は予想したように如何にも俊爽の風を帯びている。成程これでは小児などに「いやに傲慢な男です」と悪口を云われることもあるかも知れない。僕は蛇笏君の手紙を前に頼もしい感じを新たにした。
春雨の中や雪おく甲斐の山
 これは僕の近作である。次手を以て甲斐の国にいる蛇笏君に献上したい。僕は又この頃思い出したように時時句作を試みている。が、一度句作に遠ざかった祟りには忽ち苦吟に陥ってしまう。どうも蛇笏君などから鞭撻を感じた往年の感激は返らないらしい。所詮下手は下手なりに句作そのものを楽しむより外に安住する所はないと見える。
おらが家の花も咲いたる番茶かな
 先輩たる蛇笏君の憫笑を蒙れば幸甚である。(終り)

さて格調の高い俳句とはどういうものでしょうか?愚見を申せば次のような俳句だと思います。
1、詩的な美を感じさせる句であること。
2、季語がさり気なく読み込まれ、自然の季節を示し、そして詠まれた情景が眼前に見えること。
3、俳句の内容が読む人の心を俗世間から離れさせ、ある高いところへ連れていってくれること。
4、俳句の内容の一部が心象風景を暗示していて高い精神性を感じさせること。

例えば、次の句はススキの原の情景が眼前に見えます。つい手を伸ばしてその一本を折って手に取ってみたら意外に重かったのです。軽そうに見えるものが重いのという精神のありかたを詠っているようです。
●をりとりてはらりとおもきすすきかな(おりとりて はらりとおもき すすきかな)
そして・・・はらりとおもき・・・は何と詩的で美しい表現ではないでしょうか?

今日の挿し絵代わりの写真は飯田蛇笏が住んでいた笛吹市の境川から見える山々の写真です。私が撮りました。
写真は南アルプスの主峰、農鳥、間ノ岳、北岳や鳳凰三山と甲斐駒ケ岳などの写真です。
最後の写真は八ヶ岳の写真です。
3番目の写真は鳳凰三山で右から順に地蔵岳、観音岳、薬師岳です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










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