後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「夏が来れば想う大海原と大空の風景」

2024年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も暑い夏が巡って来ました。夏が来るといろいろなことを想います。疎開した田舎の夏。学校で聞いた玉音放送。田畑での手伝い。蝉取り。海水浴。海辺から見た大海原の風景。崩れる大波の音。高い青空に輝く太陽。
もうあの時は返ってこないセピア色の思い出です。
いろいろな事がありましたが、今日は海水浴の思い出を書いてみようと思います。戦前の小学1年から戦中は除き戦後24歳になるまで毎年家族や友人と行きました。
当時は仙台に住んでいましたので海水浴と云えば近くの荒浜や菖蒲田の浜でした。そして松島の向こうには野蒜海水浴場があり、遠路にもかかわらず出掛けて行ったものです。その上、塩釜からポンポン船に乗って松島湾の桂島や宮戸島の海水浴場に何度も行きました。
ポンポン船と呼ぶ理由は、焼き玉エンジンの音がポンポンというからです。その音に合わせて白い煙を船のエントツから青空へ吐き出すのです。とても長閑な風景でした。
当時は戦後の貧しい時代だったので夏の娯楽と言えば海水浴しかなかったのです。
一番懐かしいのは荒浜や菖蒲田や桂島の、そして野蒜海岸や宮戸島での海水浴の時見た大海原の風景です。
懐かしさのあまりインターネットで検索して桂島と宮戸島の海水浴場の風景写真を探しました。

1番目の写真は桂島の海水浴場の風景です。この海水浴場は例年なら7月初旬に海開きします。

2番目の写真は海開き後の宮戸島の海水浴場の風景写真です。色とりどりのパラソルやテントが写っていますが、昔の海水浴場には無かった光景です。

一方、家内の少女の頃の思い出です。
戦争前に鎌倉で生まれ育った家内は自宅から水着にケープを羽織って松原を抜けて、由比ヶ浜に走って行って毎日のように海水浴をしていたそうです。そして地引網を引くのを手伝って小魚をもらったことを楽しそうに話します。
当時、海水浴は最大の娯楽だったので鎌倉の家に親類が沢山泊まりに来て一緒に海水浴を楽しんだそうです。

3番目の写真は茅ケ崎の海水浴場の写真です。ここから3枚は自分で撮ったものです。

4番目の写真は昔から有名な大磯の海水浴場です。毎年、夏には人で溢れる海水浴場です。

5番目の写真は茅ケ崎の海水浴場では若者達だけがサーフィンを楽しんでいる光景です。
これらの写真には人が殆ど写っていないので大海原と空の広さがよく判ります。空はあくまでも高く、海は無限に広いのです。海はさまざまな風景を見せてくれます。

追加の写真を2枚お送りします。プロの写真家の深沢さんが撮った海の写真です。
写真の出典は、https://capa.getnavi.jp/special/259436/ です。

6番目の写真はプロの写真家の深沢さんが撮った美しい海の写真です。

7番目の写真も写真家の深沢さんが撮った夕暮れの渚の写真です。

今日は夏が来れば想う大海原と海辺の風景写真をご紹介いたしました。こんな海と空の光景を見ると不思議に若かった頃の元気が湧き出して来ます。なんとか暑い夏を過ごす決心がつきます。皆様も暑い夏をお元気でお過ごし下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


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