後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

昔の自動車とエンジンは技師の情熱と努力のあかし

2017年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム
皆様ご存知のように大学には工学部というものがあります。その学部の中はいろいろな学科に分かれています。
昔は機械工学科や電気工学科や電子工学科などから応用化学科、金属工学科、建築工学科、土木工学科、鉱山工学科、造船工学科、溶接工学科などがありました。
現在は学科の名前が電子工学科がコンピューター工学科のように変わったのもありますが基本的には同じです。
これらのどれかの学科を卒業すると工学士と呼ばれ各会社に技術者として採用されます。
この機械工学科や電機工学科や金属工学科卒業生の技術者の多くは自動車会社の技師になったのです。
そして彼等の夢は世界一性能の良いエンジンを作ることでした。エンジンこそが自動車の命なのです。
技師たちは情熱に燃え寸暇を惜しまず努力しました。
そして世界的にも優れたエンジンを製造して、日本を工業国に押し上げたのです。金属工学科の卒業生はエンジン部品の鋳造と鍛造を担当します。機械工学科の卒業生は鋳造部品と鍛造部品の切削と歯車の組み合わせを担当します。電気やコンピューター工学科の卒業生がエンジンの電気系統とコンピューター制御を担当します。こうしてはじめて自動車用のエンジンがが完成するのです。
このように自動車のエンジンこそは技師たちの情熱と努力の賜物なのです。
日野自動車の作った「日野オートプラザ」という博物館にはこの技術者の情熱が熱く感じられるように、歴代のエンジンが展示してあるのです。そういう博物館は珍しいものです。
それにしてもエンジンの写真だけを掲載しても面白くないのでまず昔の乗用車の写真を示します。2014年の8月に河口湖自動車ミュージアムで撮った写真です。

1番目の写真は戦前、1936年から1938年の日産のダットサン乗用車の写真です。日本で初めて量産された乗用車で、4気筒、722cc、でした。

2番目の写真は1933年のイギリスのライレー/ケストレルで6気筒1083cc・26馬力のスポーティ・セダンです。イギリスの落着いた伝統的なスタイルをしています。当時のイギリスの中流階級に人気があったそうです。

3番目の写真はアルファロメオ、6気筒、2500CCです。いかにもイタリアらしい華麗なデザインです。

さてそれはそれとして、日野自動車の「日野オートプラザ」に展示したあるバスやトラック用のエンジンの写真を示します。

4番目の写真は日野自動車によって昭和38年に開発されたバス用の水平対向12気筒、320馬力のジーゼルエンジンです。良く出来たエンジンだったのでバスに長く使われました。

5番目の写真は平成4年、日野自動車によって開発された直立6気筒、320馬力の大型トラック用のジーゼルエンジンです。軽量ダクタイル鋳鉄を使い軽量化に成功しました。斜流ターボチャージャーの採用により当時世界一の熱効率の45%を達成しました。

6番目の写真は平成18年に開発した小型トラック用のハイブリッドエンジンです。直立4気筒、4000cc、ターボ・インタークーラー式の最新鋭エンジンです。
このようなエンジンを作れる会社は、いざ戦争になると一斉に軍用機のエンジンを作るようになります。

7番目の写真は日野自動車が1936年から1940年まで製造していた軍用機用の星型9気筒、650馬力の航空ガソリンエンジンです。中島飛行機が軍用の「光」という飛行機に搭載していました。

あまりクドクド長い話は止めますが、現在の日本の先端的な工業技術を支えているのは日本の戦前からのエンジン製造技術なのです。少し過言ですが、工学部の卒業生の筆者の身びいきですが。
主張したいことは全ての技術分野には歴史があり工学的経験の積み重ねが非常に重要だという事です。とかく忘れがちなことなので、改めて強調したいと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。