後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

体験してわかった西洋文化のいろいろ(3)暗い冬の体験と謝肉祭や復活祭の楽しみ

2015年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム
ヨーロッパは日本に比べると遥かに北にあります。地中海沿岸以外の国々の冬は非常に寒く暗いのです。毎日のように、雲に覆われています。その雲が低く厚く垂れこめているのです。
その上緯度が高いので夜明けが遅く、午後はすぐに暗くなります。気温はマイナス20度くらいになるのが珍しくありません。
私は1969年の冬に家族とともにシュツットガルト市に一年間住んでいました。
一番深い印象を受けたのは暗い憂鬱な冬でした。屋内の暖房は行き届いているので寒さは気になりません。しかし毎日のように暗い雲が覆い気分がすごく滅入ってしまうのです。
そして暗いうちに仕事に出かけ、午後5時なのに真っ暗ななかを帰宅するのです。
その上借りていたアパートの室内灯が全て旧式の電燈で暗いのです。家庭では伝統的に蛍光灯を使わない習慣なのです。ドイツ人に苦情を言うと、「蛍光灯は工場で使うものです。家庭では温かみの感じられる昔ながらの暗めの電球を使うのが伝統なのです」と誇らしげに言うのです。そんな暗く寒い冬はパリでもロンドンでも同じようだといいます。
もし人々の考え方や文化がその土地の天候によって影響を受けるとしたら、ヨーロッパの文化もこの暗い憂鬱な冬の影響を受けているに違いありません。
そこでドイツの冬を旅した方のブログ、http://4travel.jp/travelogue/10476683 から冬景色の写真をお借りして、下にお送り致します。
この憂鬱な冬のなかを辛抱強く勤勉に働いているとたまには陽気な仮面舞踏会をして冬に敗けまいとするのが人情です。それが復活祭の四旬節の前の謝肉祭です。このように書きますと必ず宗教的な故事来歴を持ち出して説明する人がいます。しかし私個人には謝肉祭を冬の憂鬱さを吹き飛ばすお祭りのように感じられるのです。そんな理解があっても良いのではないでしょうか。その謝肉祭が南米では夏のリオのカーニバルへと発展したのです。文化伝承の不思議さです。
謝肉祭が終わると四旬節が来てやがて復活祭がやって来ます。その頃になると雪が解けクロッカスが咲き、野が緑の草の芽で覆われてきます。木々の葉も出始めます。空の雲も晴れ、明るさがよみがえって来ます。
凍った大地が再び生き返り草木を茂らせるのです。そんな頃なのでキリスト教以前の古代では復活祭は春が来たというお祭りだったと言われています。
この春の祭りは、死んだキリストが再び生き返って復活し、弟子たちに話をしたということと良く似ています。このキリストの生き返りを祝うのが復活祭なのです。しかし同時に春が来たことも感じる祭りなのです。心が浮き浮きして実に楽しい気分になります。
ついでに書けばクリスマスは冬至祭の頃にします。冬至が過ぎれは日が少しずつ長くなり明るさを増すからです。キリストが生まれて世が明るくなったということに似ています。
ヨーロッパの宗教的行事はその天候と深く結びついているとも考えられます。
それが南半球の南米に伝承されても四季に関係なくヨーロッパと同じ日に行われているのも面白いものです。何か人間の不条理性を暗示しているように私は感じています。
それにしても天候や地形などの自然環境は文化に深い影響を与えていると考えるほうが自然のような気が致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

写真はいずれもローテンブルグの近所の風景写真です。
詳しくは、http://4travel.jp/travelogue/10476683 をご覧下さい。







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