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岩国民俗芸能まつり パート5

2015年09月04日 07時59分02秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

 

 

                     岩国民俗芸能まつり
                             パート5

 

 

 

 

 

 

 

 

平成27年8月30日(日)岩国市合併10周年記念にて「岩国民俗芸能まつり」
が有りました。今日は、最後のブログで第5弾目の「頼政」向峠神楽保存会
をお載せ致します。

◆それでは山代神楽とは、を少し述べて見ます。

神楽とは元々、神様に奉納される舞楽のことをさす言葉です。山里の神楽の
多くは、土地を守る神々に対して、鎮魂、五穀豊穣、災厄払拭などの意味を
持ち、田植え前の春先や、稲刈り後の秋に執り行われます。毎年の奉納のほ
か、地域によっては数年に一度、式年祭とよばれる特別な祭りが行われます。
近世までは神職による神楽奉納が一般的でしたが、明治以降、その多くは里
人に引き継がれました。
現在山代地方に伝承されている神楽は、境を接する近隣の石見(島根県西部)
や安芸(広島県西部)の影響を受けながら、独自の文化を育ててきました。
その総称を「山代神楽」と言います。

◆向峠神楽保存会 (頼政)

向峠神楽の起源は、安政年間(1854~1860)と伝えられています。
天保の大飢饉を憂えていた庄屋・山田利右衛門が、十数年にわたる水路工事を
完成させ、その記念に芸洲に縁があり神楽を知っていた豊蔵林七という者を支援
し、山代神楽を習得して、地域の若者に教え秋祭りに奉納したのが始まりとされ
ています。その後、地区の若者に伝承されて居ましたが、明治26(1893)年に
玖北神宮取締支所により神社付神楽の証を得て、他地域の神社に奉納するように
なりました。大正初期には、岩見神楽を採り入れ現在に及んでいますが、その間
地区民を挙げて協力し、衣装・面等の資金調達のため舞子頼母氏講を作り、また
後継者難の時には、地区内男子青年全部がこれを習得する等、紆余曲折はあった
ものの今日の向峠神楽保存会に継承されています。

 

          

 

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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ブログの作りが素晴らしいですね (家計応援)
2015-09-04 15:05:51
ブログの作りが素晴らしいですね。
このブログを利用していくらか収入を得ることができるのにもったいないと思います。
http://fanblogs.jp/kakeiouenn/archive/6/0
こちらの情報は、初心者は単発的にした収入が得られないものですが、あなたでしたら継続的にできる可能性があります。
もしよかったら参考にしてみてください。
返信する
Unknown (家計簿応援様)
2015-09-09 07:44:35
家計簿応援様コメント誠に有りがとうございます。
私も彼方がたの様にブログを見て下さると私としても
より一層のファイトがわいて、頑張って継続して行きますので宜しくお願い致します。

                        笠井文雄より。
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