東大寺別院
(周防阿弥陀寺)
平成29年6月25日(日)朝から梅雨空ですが、友達のMさんに防府市に有る
(東大寺別院、周防阿弥陀寺)あじさいが良く咲いて居るので見学に行こうと
誘うとすぐ様行く事に成りました。小雨が降る中ですが、岩国を午前9時に出発
して午前10時30分に着きました。さすが日曜日なもので多くさんの人でした。
少しブログにお載せするのには日にちが立ちましたが、でもあえてこれを載せて
見ます。
◆それでは少し東大寺別院(周防阿弥陀寺)を述べて見ます。
阿弥陀寺は、名僧俊乗芳重源上人が、東大寺を再建のため、周防国務管理在任中
に建立された由緒のある古寺であります。
治承四年(1180年)東大寺が平重衡の兵火にかかって焼失しましたので後白河法皇
はひじょうに残念がられ、ぜひ大仏を改鋳し大仏殿を再建しょうとの悲願を起こさ
れました。朝廷は重源上人を東大寺再建の大勧進とされました。上人はまず大仏を
鋳かえることとし、文治元年(1185年)にこれを改鋳され、ついで大仏殿の再建に
着手されました。翌2年に、朝廷は周防一国の租税を東大寺に寄付され重源上人を
周防国務管理に任ぜられました。上人は宋人の陳和郷、日本の大工物部為里らをひ
きいて防府に下向され、四月十八日佐波川をのぼり徳地のないところへ岩を崩して
道をつけ、橋を架け、材木を佐波川の木津に出して筏を流し送られました。
上人は寒暑も厭わず、老齢の骨身を削って精進と努力を続けられ、仙始めから五年
後の建久元年(1190年)10月、東大寺上棟式を挙げ、ついで同6年(1195年)竣工
の大供養が営まれした。後白河法皇が建久3年3月崩御されて、この大会式に臨席の
なかったことは、いかにも寂しいことでありました。上人が当地に下向されました
ときには、源平戦争の余波で国府は疲幣し、土民の流亡する者も多く、また飢えを
訴える者がたくさん集まりました。上人はこれに米を与え、野菜の種をとり寄せ、
耕作を励ますなどして国府の繁栄を図られました。