ブログにて日常の記録

旅行=(日本各所) 畑作り=(100坪の土地に野菜作り)
 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

結婚式(ハンター迎賓館)新神戸迄の道程

2013年02月27日 18時15分27秒 | 旅行

 

 

             結婚式(ハンター迎賓館)
                   新神戸迄の道程 

 

 

 

 

 

平成25年2月24日(日)親戚の結婚式が兵庫県の神戸市(ハンター
迎賓館)にて有りました。私達は朝早く起きて(午前6時44分)こだま
新岩国発の新幹線にて出発しました。
途中広島駅に(7.00分)着き、午前7.10分のぞみ35号に乗り替え
て、8.20分に新神戸に着きました。のぞみ(スピード時速300㎞)
の早いこと早いこと、広島~新神戸迄1時間10分位で着くのですか
ら、又、16両編成で1両当たり100人位乗せて16両で一度に1600
人位運搬する事に成ります。
(在来線だとそうわ行きません又、時間も掛かると思います。)
新神戸に着き神戸駅前のマンションなど40階ビルがかなり建ち並
んで居ました。さすが大都会だなーとつくづく感じました。
新神戸駅からタクシーにて10分くらいの所に今日の目的地結婚式場
(ハンター迎賓館)が有りました。
ハンター迎賓館と名前がハイカラなもので大変大きなホテル(結婚式場)
かと思ったらなんとなんとこじんまりした、どこの田舎でも有る様な古びた
和風式の建物で、こじんまりした結婚式場でした。
でも私達にはこんな雰囲気が大変良かったです。結婚式は10.00分か
ら始まり若い2人が出発に相応しい式で有りました。
11.15分から結婚おひろめ会が有ってなかなか盛り上がりました。


岩国芸能花舞台 (沼田貴美)

2013年02月23日 06時43分03秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                  岩国芸能花舞台 
                      (沼田貴美)

 

 

 

 

 

 

平成25年2月17日(日) 第2回(祝)岩国錦帯橋空港開港記念
(岩国芸能花舞台)第6弾目(最後の人)は沼田貴美さんの唄を
お載せ致します。

それではいつものとうり沼田貴美様のプロフィールをご紹介致します。

(プロフィール)
●本名:沼田貴美 ●出身地: 山口県岩国市●最終学歴:岩国短期大学
卒(英語科) ●血液型:B型●趣味:絵画・旅行●好きな色:シュッキング
ピンク●平成3年4月「"旅情"岩国のひと」でキングレコードよりデビュー
(第5回キングヒット奨励賞受賞)●OL演歌歌手としてTV・新聞・雑誌
で話題を呼ぶ●平成5年NHK新人歌手オーディションに合格●平成5
年「ちぎり川/夢恋酒」発売(第7回キングヒット奨励賞受賞)●平成8年
「ゆかたの少女に/港のいい女」発売(平成13年度キングヒット奨励賞
特別賞受賞)平成19年1月7日:「沼田貴美全曲集」発売●平成20年
11月「岩国よいとこちゃちゃちゃ/"旅情"岩国のひと」発売・現在は、
演歌だけでなくジャンルを問わず、衣装も独自にデザインし、各地の
イベントへ岩国観光大使としての役割も果たしている。


岩国芸能花舞台 (室口まこと)

2013年02月22日 06時30分54秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                   岩国芸能花舞台
                      (室口まこと)

 

 

 

 

 

 

平成25年2月17日(日) 第2回(祝)岩国錦帯橋空港開港記念
(岩国芸能花舞台) 第5弾目は室口まことさんの唄をお載せ致します。

それでは室口まこと様のプロフィールをご紹介致します。

(プロフィール)
本名:室口 誠●出身地:山口県岩国市玖珂町339番地●趣味:詩吟・
ボーリング●尊敬する歌手:三橋美智也
(芸歴)
●平成11年:「母の残照」でキングレコードよりデビュー●平成12年:
「めおと花」発売●平成14年:「望郷三度笠」「母子の絆」発売●平成
18年:「哀愁夜汽車」「晴れ舞台」発売●平成21年9月「命ある限り」
「空蝉の女」発売●現在、キングレコード詩吟剣詩舞会専属歌手とし
て活躍中●25歳より詩吟を習い、詩吟を生かした詩吟歌謡も得意
です。

 


岩国芸能花舞台 (大樹いつか)

2013年02月21日 11時12分07秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                  岩国芸能花舞台
                     (大樹いつか)

 

 

 

 

 

 

平成25年2月17日(日)第2回(祝)岩国錦帯橋空港開港記念
(岩国芸能花舞台)第4弾目は大樹いつかさんの唄をお載せ致します。

◆それでは大樹いつか様のプロフィールをご紹介致します。

(プロフィール)
●本名:大木いつか●生年月日:1982年7月17日●出身地:山口県岩国
市●血液型:A型●趣味: 演劇鑑賞
●芸歴
●平成18年: キングレコードよりデ゛ヒュー●平成19年2月にシンフォニア
岩国でデビューコンサートを行う●平成21年9月にリビエール平安で3周
年ディナーコンサートを行う●今では岩国を中心とし広島等で前川清さん
や長保有紀さんなどの前座を務めさせて頂いております。
●平成25年3月予定7周年記念ディナーショー(ゲスト 秋岡秀治)


岩国芸能花舞台 (前川光珠)

2013年02月20日 11時01分57秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                  岩国芸能花舞台
                      前川光珠

 

 

 

 

 

 

平成25年2月17日(日)第2回(祝)岩国錦帯橋空港開港記念
(岩国芸能花舞台) 第3弾目は前川光珠さんの唄をお載せ致します。

それでは前川光珠様のプロフィールをご紹介致します。

 (プロフィール)
●本名:前川いえ美●出身地:岩国市柱島●尊敬する歌手:美空ひばり、
北島三郎、天童よしみ●1993年4月21日:「黒田武士」作詞 島田
きん也作曲・編曲坂下滉●1993年4月21日:「おやじさん」作詞
石本美由紀 作曲 和田香苗 編曲坂下滉●2003年12月17日:「
名槍日本号」作詞 野村耕三 作曲 橘左門 編曲 坂下滉 ●2005
年1月19日「夫婦一輪」作詞 はち惣平 作曲 市川昭介 編曲 坂下
滉●2005年:「あんたの河内節」作詞 川端はじめ 作曲 三山敏 編曲
伊戸のりお●2006年:白虎隊

 

 

 


岩国芸能花舞台 (錦川愛子9

2013年02月19日 07時09分57秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                                 岩国芸能花舞台 
                                             (錦川愛子) 

 

 

 

 

 

 

 

 平成25年2月17日(日)第2回(祝)岩国錦帯橋空港開港記念
(岩国芸能花舞台) 第2弾目は錦川愛子さんの唄をお載せ致します。

それでは錦川愛子様のプロフィールをご紹介致します。

(プロフィール)
◆本名:竹内愛子 出生地:島根県吉賀町 現在地:岩国市横山町

(芸歴)
平成3年「岩国恋歌」 でデビュー●オリジナル曲全12曲●好きで
始めた歌の世界●記念として平成23年5月岩国観光ホテルにて
20周年ディナーショー開催●毎月、にしみ苑への慰問も協力して
下さる方と共に20年、何よりの誇りと思うところです、「いざない
街道錦帯橋」でこれからも頑張りますので宜しくお願い致します。


岩国芸能花舞台 (貴船翠風)

2013年02月18日 19時34分20秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                岩国芸能花舞台 
                    (貴船翠風)

 

 

 

 

 

 

平成25年2月17日(日)岩国市民会館大ホールにて岩国地区芸能
協会主催(岩国芸能花舞台)が12時30分から有りました。
(出演者)は貴船翠風、錦川愛子、前川光珠、沼田貴美、室口まこと、
大樹いつか、岩国出身の歌手が多くさん唄われました。
その中で今日はトップバッターとして貴船翠風、様の歌からブログに
載せて行きます。

それでは貴船翠風様のプロフィールをご紹介致します。

(肩書) 日本コロンビア吟詠音楽会理事日本コロンビア吟詠音楽会
山口地区会長、日本吟詠総連盟常任理事、日本音楽アカデミーMF
作詞研究会、正会員・岩国地区芸能協会副会長。
(芸歴) 昭和52年:日本コロンビア吟詠コンクール全国大会優勝・
昭和53年:日本吟詠総連盟全国コンクール優勝、同優勝により文部
大臣賞受賞・昭和54年:水府流吟道翠風会創設・平成4年:演歌
「雨の錦帯橋」「小次郎無情」で歌手デビユー・平成8年「水軍譜/夫
婦酒」を発表・平成15年「萩の人」を発売・現在作詞活動も行っており、
数多くのグランプリー受賞。


小倉城

2013年02月14日 17時04分19秒 | 旅行

 

                     小 倉 城

 

 

 

 

 

 

平成25年2月9日(日) にドライブ旅行最後は北九州市小倉に行った
時の模様 (小倉城) を載せて見ようと思います。

それでは小倉城の歴史を少し述べて見たいと思います。

小倉城の歴史は、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興によって、
1602年に本格的に築城されました。忠興は城下町繁栄策として、諸
国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実地。
外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させました。細川氏熊本
転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名
の小笠原忠真が、1632年に入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家
光から九州諸大名監視という特命を受けていました。この時期、小倉
は九州各地に通ずる街道の起点として重要な地位を確立し、同時に
小倉城は一層充実し、城下町も繁栄しました。
小笠原忠苗の時期には、城内下屋敷に泉水を持つ回遊式庭園もつく
られています。しかし、1837年城内から発した火災によって全焼。
2年後に再建されましたが、天守閣は再建されませんでした。
幕末期になると、小倉は長州藩を攻める第一線基地となり、その中で
小倉と熊本藩は勇敢に戦いましたが、他の九州諸藩の兵には積極的
な戦意がなく、ついに1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を後退
せざるをえませんでした。明治10年の西南戦争の祭には、小倉城内
に駐屯していた歩兵第14連隊が、乃木将軍に率いられて出征しまし
た。その後は、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれ
ました。太平洋戦争後は米国に接収されましたが、1957年に解除さ
れ、1959年市民の熱望によって天守閣が再建されました。
この天守閣は「唐造りの天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひ
さしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的です。
また、城の石垣は切り石を使わない野面積みで、素朴ながらも豪快
な風情にあふれて居ます。


東行記念館

2013年02月13日 17時33分15秒 | 旅行

 

                    東 行 記 念 館

 

 

 

 

 

 

平成25年2月9日(土) にブログ取材(ドライブ旅行)第3段目は東行
記念館をお載せ致します。

それでは又、少し東行記念館を御紹介致します。

東行庵は山口県下関市にある曹洞宗の寺院で功山寺の末寺である。
山号は清水山。山陽花の寺24ケ寺第八番札所。「編集」歴史、東行庵
の地は清水山といい、幕末の頃奇兵隊軍監山山縣有明(当時は狂介)
は麓に革庵を建て「無類菴」といっていました。
「東行庵」高杉晋作(東行)の死後、側室おう、東行庵の敷地内にある
下関市立東行記念館。東行記念館の2階展示室には幕末維新期に、
高杉晋作が活躍した事が多くさん展示して有ります。

又、東行庵に隣接した場所にある土産、御食事処「東行庵名物」
「晋作もち」
こし餡の入った焼き餅などが有ります。


巌流島

2013年02月12日 07時22分03秒 | 旅行

 

                     厳 流 島

 

 

 

 

 

 

平成25年2月9日(土)にブログ取材第2弾目は巌流島を載せて見
ようと思います。宜しくお願い致します。

それでは少し厳流島をご紹介致します。

厳流島は山口県下関市にある、関門海峡に浮かぶ(無人島)です。
正式な島の名前は船島と成っています。決闘が行われたとされる
当時は豊前小倉藩領の船島であったが、小次郎が「厳流」「岩流」
とも名乗ったことから巌流島と呼ばれるようになりました。
1612年(慶長17年)4月13日に長門の国船島(現在の厳流島)
で宮本武蔵(当時29歳)と佐々木小次郎が決闘をしました。
宮本武蔵は、細川興長らの決闘の承諾を受け、佐々木小次郎に
決闘を申し込みました。約束は辰の刻(午前8時)でしたが武蔵の
到着が遅れ島に着いたのは、巳の刻(午前10時)に成りました。
佐々木小次郎は波打ち際で宮本武蔵を迎えました。
遅参に怒った小次郎は鞘を投げ捨て、刃渡り三尺は有りそうな刀
を抜きました。武蔵の前頭部に振り下ろされましたが、刃は武蔵
の鉢巻の結び目を切っただけで、かわりに武蔵の船の長い櫂
(かい)が小次郎の頭を打ち砕き、小次郎はその場にばたりと倒
れました。武蔵はとどめを刺すことも忘れ船へ飛び乗り、下関へ
と急ぎました。敗者を想う地元の人々は敗れた小次郎の流派を
とって後に「厳流島」と呼ぶ様に成りました。


東行庵

2013年02月11日 07時50分16秒 | 旅行

 

                                      東 行 庵

 

 

 

 

 

 

平成25年2月9日(土) 今日は又ブログの取材にM君と、下関方面及
び小倉方面に出掛けました。いつもの様に午前7時自宅(岩国)を出発
して、午前10時には美祢インターを降りて、15分ばかり自動車で走る
と東行庵に着きました。
東行庵は高杉晋作の墓及び奇兵隊の墓が有ってなかなか見る所が有
りました。その他は、東行記念館、厳流島、北九州市小倉北区の小倉城
を見学して返りましたがその日は少し遅くなりました。

それでは少し東行庵についてご説明致します。

天保10年(1839年)8月20日、萩市菊屋横町に生まれ、慶応3年
(1867年)4月14日下関市新地で病死するまでのわずか27年7ケ
月という短い一生を、これほど激しく燃えつくした人は居なかった。
近代日本のあけぼの明治維新新の最大の推進力は長州藩であった
が、その長州藩を引っ張つて行ったのは実に彼であった。
彼の創設した奇兵隊に明治維新の精神があるともいえる。常に大局
をつかみ、敢然と一歩先を歩み続けた高杉東行こそ、今日における
最も期待される人間像である。
東行庵高杉東行の側室おうのは、東行の死後尼となり谷梅処と名乗っ
て、その墓を守り菩提をとむらった。高杉晋作の墓守りを志したおうの
(後の梅処尼)の為に明治17年、山縣有朋・伊藤博文・井上馨等が
発起人となって全国署名氏より浄財を募り、庵を建てておうのに贈っ
た者である。


石手寺

2013年02月04日 08時30分45秒 | 旅行

 

                     石 手 寺

 

 

 

 

 

平成25年1月26日にM君と、四国方面に小旅行(ドライブ)に行った
時の模様を今回は最後の取材で第3弾目をブログに載せて見ようと
思います。

それでは石手寺のご紹介を致します。

石手寺は、愛媛県松山市石手にある真言宗豊山派の寺院。
熊野山、虚空蔵院、寛平4年(892年)河野氏に生まれた子供が石を
握っていたという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。
石手寺の歴史、由来、日本最古といわれる道後温泉の近く。
参道が廻廊形式となり仲見世の土産店が並ぶ。境内は、巡礼者よりも
地元のお大師さん信者や観光客が多い霊場である。そのもう一つの
要因は、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に成って居ります。
石手寺の第3番目の顔「珍スポットとしての石手寺」をご紹介致します。
四国88箇所の中でも一級、歴史的にも一級というだけでなく、珍スポット
としても一級の、オールマイテイーなお寺なんですよ。
珍妙、奇妙な観光地、珍スポットB級です。石手寺は、四国88箇所の
51番目の札所で、美しい三重塔もあり、遍路の格好をした人が何人も
お参りをしているという。表向きは大変雰囲気がいい寺である。
しかしながら、本堂脇にある地下道から先は、大きく雰囲気が変わり、
実に怪しげな寺に変身致します。


正岡子規

2013年02月03日 16時59分09秒 | 旅行

 

                      正岡子規

 

 

 

 

 

 

平成25年1月26日に小旅行(ブログ作成の為取材)に行った時の
模様の第2弾目は正岡子規を載せて見ようと思います。

正岡子規の模様を少しお話します。

正岡子規、本名正岡常規。慶応3年9月17日松山市に生まれる。
明治35年9月19日36歳で死去。子規17歳、我が国に入って来た
ベースボールを幼名から升と野の球とをかけ合わせて野球と云う言
葉をつくったと云わる。
やがて松山の地に初めて野球を伝えた。明治25年日本新聞社の
社員となる。日清戦争に従軍記者で活躍、28年東京時代の学友で
あった夏目漱石が松山中学の教壇にたっていた。
夏目漱石の下宿、愚陀仏庵に子規が同居し、この時松山の新派俳
句は興ったと云われている。新聞「日本」の俳句雑誌、「ホトトギス」
等によって子規は日本新派俳句を全国に普及させた。
また叙事文、写生文を提唱し当時の小説家達に影響を与えた。
子規堂は、文学なかまであった正宗住職仏海禅師が業績を記念
して子規が17歳で上京するまでの住居を、寺の中にのこした。
正岡子規堂前の「坊ちゃん列車」は夏目漱石の小説「坑っちゃん」
でも有名で有ります。

◆正岡子規堂へようおいでたなもし。

 

 

 


今治城

2013年02月02日 18時53分55秒 | 旅行

 

                     

                     今 治 城

 

 

 

 

 

 

大変長らくお待たせしました。この記事(今治城、石手寺、ぼっちゃん)
は1月26日にM君と
小旅行(ブログの取材)から帰るとすぐにインフレ
エンザに掛かり4~5日寝込んだ為に、ブ
ログ編集が遅れましたので
あしからず、さて、今回は最初に行った所今治城をお載せ致します。
その後、ちくじ石手寺、坊ちゃん、は載せて行きますので宜しく。

それではいつもの様に今治城の歴史を少し述べて見ます。

今治城は、伊予国越智群今治(四国・愛媛県今治市通町)にあった城。
昭和28年(1953年)今治城完成以前の今治の支配拠点は、唐子山
山頂にあった国府城であったが、より能率的な都市経営を目指すため
築城されました。今治城藤堂高虎により建立された海水を堀に引きこ
んだ珍しい城。今治城今治城内には藩主着用の鎧や書画など貴重な
収蔵品などが有ります。