ブログにて日常の記録

旅行=(日本各所) 畑作り=(100坪の土地に野菜作り)
 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

岩国市民総踊り

2012年10月29日 07時12分01秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                   岩国市民総踊り

 

 

 

 

 

 

平成24年10月21日(日)岩国祭りのイベントも第11弾目の最後
は岩国市民総踊り総勢1000人の踊り手が「えーじゃないか!
えーじゃないか」の掛け声と共にお祭り広場を所狭しと踊る。この
祭りの最大イベントで終わりです。

踊り手は、岩国市役所、山口銀行、西京銀行、もみじ銀行、広島
 銀行、立正佼成会、海上自衛隊、及び各種団体です。
 特に最初に岩国市役所では総勢100人位踊り手が有った様な気
 がしましたが、その中で先頭に福田岩国市長も踊って居られました。
 又、今年は会社関係の日本製紙や、岩国帝人が参加して居なか
 ったのは少し残念な気が致しました。
 よいとこカーニバルに出場した踊り子による総踊りはまた迫力満
 点の踊りでした。

 


屋島寺(84番札所)

2012年10月20日 08時04分43秒 | 旅行

 

                   屋島寺(84番札所)

 

 

 

 

 

10月13日(土)四国方面ドライブ旅行第3弾目の屋島寺(四国八十四
番札所)を少し記事に載せるのには遅いのですが、今回のドライブ旅行
の最後をお載せ致します。

それでは下記の様にご説明致します。

754年鑑真和上の建立といわれ、弘法大師を中興開山と仰いでいる。
本堂は鎌倉時代に造営され、本尊千手観音と共に国の重要文化財に
指定されている。境内には、宝物館が併設され、屋島寺に伝わる秘宝
や源平合戦の貴重な遺品が収蔵されている。

それでは八十四番札所の詠歌をお載せ致します。

あずさ弓、屋島の宮にもうでつついのりをかけて、いさむますらお

 


:源平屋島古戦場

2012年10月16日 11時37分33秒 | 旅行

 

           源平屋島古戦場

 

 

 

 

 

 

10月13日(土)四国方面ドライブ旅行第2弾目の源平屋島古戦場
を今回は、お載せ致します。宜しくお願い致します。

それでは、下記の通りにご説明致します。

屋島の戦いは、平安時代末期の元暦2年/寿永4年2月19日(1185
年3月22日)に讃岐国屋島(現高松市)で行われた戦いである。
後白河法皇は三種の神器の返還と源平の平和を打診させる使者を平
宗盛へ送ります。屋島の東側にある檀ノ浦の両岸には、源平屋島合戦
の史跡が数多く点在して居ます。屋島の合戦は、那須与一の扇の的、
源義経の弓流し、佐藤継信の殉死、悪七兵衛景清、のしころ引きなど
数々の逸話を生んだ、平家物語中の日眉といえる箇所です。

 

 


栗林公園

2012年10月14日 19時32分02秒 | 旅行

 

               栗林公園

 

 

 

 

 

 

平成24年10月13日(土)朝から絶好の秋晴れの天気なので友達の
村重君と今度は四国方面にドライブに出掛けました。その中で栗林公
園と、平家が戦った屋島の古戦場と、屋島寺(四国88箇所)を見学し
ました。少し今回は日帰り旅行としては遠方な為夜遅く成りました。

それではまず栗林公園からご説明致します。

国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で、最大の広さを持
つ栗林公園は、緑深い紫雲山を背景に六つの池と十三の築山を巧み
に配し、四百年近い歴史を誇る江戸初期の回遊式大名庭園として、
すぐれた地割り、石組を有し、木石の雅趣に富んでいます。
春夏秋冬と四季折々の風物にも恵まれ、ここに咲く花々は、一千本
もの見事な手入れ松とともに、一歩一景といわれる変化に富んだ美
しさを醸し出します。長い年月をかけ、多くの人たちによって受け継
がれてきた、栗林公園は、かけがえのない文化遺産です。

 


吉田松陰歴史館

2012年10月12日 17時36分20秒 | 旅行

 

                  吉田松陰歴史館

 

 

 

 

平成24年10月6日(土)萩方面ドライブ旅行の記録もいよいよ最後
の第6弾目と成って来ました。これを載せて見ようと思います。
又、最後はビデオーにて撮影したのうお載せ致しますので宜しくお
願い致します。

それでは吉田松陰先生の生涯を下記の通りにご説明致します。

吉田松陰神社の境内の中に吉田松陰歴史館というものがあります。
これは吉田松陰の生涯を蝋人形で描いたものです。吉田松陰は、
文政13年(1830年)萩城下松本村で長州藩士、杉百合之助の次男
として生まれる。吉田松陰歴史館は松陰神社の境内の中にある明治
維新の源流が見えてくる歴史館。短くも激しい吉田松陰先生を、20
シーン70個の蝋人形で再現しています。「吉田松陰先生は不思
議な魅力を持っておられます。」


萩八景遊覧船

2012年10月12日 11時43分59秒 | 旅行

 

            萩八景遊覧船

 

 

 

 

平成24年10月6日(土)萩方面ドライブ旅行第5弾目は萩八景遊覧船
を載せて見ようと思います。宜しくお願い致します。

それではいつもの通り下記の文章でご説明致します。

萩八景遊覧船コースは指月橋を始点に、萩城跡横の疎水を通り、橋本
川本流に入り、堀内伝建地区内、平安古伝建地区内の武家屋敷群を
川から眺める約40分の往復ルートです。
船頭さんの説明を聞きながらゆったりと動く遊覧船で、いつもと違う萩
の魅力を川面の上から楽しめます。


伊藤博文

2012年10月10日 18時35分31秒 | 旅行

 

                             伊藤博文

 

 

 

 

 

平成24年10月6日(土)萩方面ドライブ旅行第4弾目は伊藤博文
旧宅、別邸、を載せて見ますので宜しくお願い致します。

それでは下記のとうりに伊藤博文宅について述べて見ようと思います。

藁葺平屋建てで博文14歳の時より13年間居住し少年時代数々の物語
を残す見返りの窓等そのままの旧宅が残っています。
また別邸は、伊藤博文公が明治40年(1907)に東京府下荏原郡大井
村に建てたもので、往時の面影をよく残す玄関大広間、離れ座敷の3棟
を移築しました。
明治時代の宮大工伊藤満作の手によるもので、大広間の鏡天井や離れ
座敷の節天井など意匠に優れています。

 


萩城跡と周辺

2012年10月09日 07時38分51秒 | 旅行

 

             萩城跡と周辺

 

 

 

 

 

 平成24年10月6日(土)萩方面ドライブ旅行第3弾目は萩城跡と
周辺を載せて見ようと思います。

それでは少し萩城城下町の模様をお話し致します。

国指定史跡に指定されており、周辺は今も江戸時代の地図がそのま
ま使える程町筋がそのまま残って居ます。
菊屋横町、伊勢屋横町、江戸屋横町と呼ばれる小路があり、そこには
萩藩御用達の豪商菊屋やなまこ壁の土蔵、高杉晋作誕生地、木戸孝
充旧宅など往時の面影をとどめたものがたくさんあります。
萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城しました。
明治7年(1874)に建物は解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の
姿をとどめており、旧本丸跡は指月公園として整備されています。

 

 


東光寺

2012年10月08日 07時32分22秒 | 旅行

  

                       東光寺

 

 

 

 

平成24年10月6日に萩方面の旅行の記録第2弾は東光寺を載せて
見ようと思います。東光寺の模様は今回はビデオーにて載せて見ます。

それではいつもの様に東光寺のご説明を少し致します。

「沿革」

萩市大字椿東字推原にあり山号を護国山といい、元禄4年(1691)
萩藩主三代藩主毛利吉就が建立しました。吉就は若くして深く黄檗宗
(おうばくしゅう 禅宗の一派)に帰依して、京都府宇治市、本山黄檗
山万福寺に範を求めて広壮な堂宇を建立し、萩出身の高層慧極道明
禅師を開山に迎えました。
吉就の歿後ここに墓所を営み、毛利氏菩堤寺となりました。
黄檗三叢林の随一と称えられ、文化年間の最盛時には全山塔40棟
を数えたといいます。


吉田松陰先生の墓

2012年10月07日 18時51分51秒 | 旅行

 

         吉田松陰先生の墓

 

 

 

 

 

平成24年10月6日(土)朝から絶好の行楽日和なので友達の村重君
と萩方面にドライブで日帰り旅行に出かけました。
萩は歴史の故郷で見学する所が大変沢山有ります。萩城跡と周辺、萩
八景遊覧船、伊藤博文、東光寺、吉田松陰歴史館、吉田松陰先生の墓
等々沢山見学致しました。それではまず初めに吉田松陰先生の墓を今
回はブログに載せて見ます。この他もちくじ載せて行きますので宜しくお
願い致します。

それでは少し吉田松陰先生の事からご説明致します。

吉田松陰1830年(天保元年)吉田松陰は萩市に生まれました。
松陰は幕末の激動の時代に生きた人です。短い生涯を自ら激しく燃やし、
その情熱で周囲の人たちの心を揺り動かしました。
そして門人たちの中から、やがて明治維新の中心となりました。明治維新
で活躍した人たちを数多く輩出しました。高杉晋作の他、久坂玄瑞、吉田
稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有明、前原一誠、品川弥二郎、などです。
吉田松陰は、日本の武士(長州藩士)思想家、教育者、兵学者、地域研究
家である。一般的に、対外思想、6格言教え7一族、8系譜、9肖像、10
影響、11資料文献、幕末、明治維新の精神的支柱であった。
吉田松陰について分かりやすく解説したサイトです。