ブログにて日常の記録

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 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

雅楽演奏会

2017年01月31日 08時11分56秒 | 日常の散歩にて感じた事

    

                            雅楽演奏会

 

 

 

 

 

 

平成29年1月29日(日)シンフォニア岩国にて浄土真宗本願寺派山口雅楽発足
30周年記念にて、第2回雅楽演奏会が午後13時30分開場、演奏14時~16時
迄有りました。何とシンフォニア岩国コンサートホールは超満員でしたのには
びっくりしました。

◆それではいつもの様に雅楽演奏会を少し述べて見ます。

◎管絃(かんげん)

龍笛・篳篥・鳳笙(りゅうてき・ひちりき・ほうしょう)の管楽器三管、鞨鼓・
太鼓・鉦鼓(かっこ・たいこ・しょうこ)の打楽器三鼓、楽琵琶・楽筝(がくびわ
・がくそう)の絃楽器両弦で演奏します。

◎平調 音取(ひょうじょう ねとり)

音取(ねとり)とは、曲のはじまる前に楽器の音律を整えるとともに調子の旋律
法を示し、雰囲気を作り出すために奏する短い曲です。洋楽のチューニングと
違うところは、各調子ごとに様式化された曲として音取が定められている点で
あります。
本日の演奏曲は平調(洋楽のE音に近い音)に属しますので、この音取が最初に
奏されます。

◎五常楽急(ごしょうらくのきゅう)

唐の太宗(在位627~649)の作。人が常に行うべき五常「仁・義・礼・智・信」
を「宮・商・角・徴・羽」の五声に配して作られたと言われます。別名
「礼儀楽」

◎越殿楽(えてんらく)

結婚式などによく演奏され、雅楽野中で一番有名な曲です。「越殿楽今様」
や福岡民謡「黒田節」、また最も古い仏教賛歌「法の深山」のもととなった
曲です。

◎倍臚(ばいろ)

林巴(南ベトナム)の八楽の一つ。婆羅門僧正と林巴の僧の仏哲とが、天平8
年(736)8月に我が国に伝え、大安寺で四天王の楽人に教えたと言われてい
ます。聖徳太子はこの曲を奏して守屋の軍を破ったと伝えられています。

 

          

 

 

 

 

 

 


宮本常一

2017年01月28日 08時06分46秒 | 旅行

                    

                    

                                  宮本常一記念館         

 

              

 

 

平成29年1月24日(火)今日は冬の好天気に恵まれ、友達のK君と大島の戦艦陸奥
記念館を見学して帰り、星野哲郎記念館と、宮本常一を見学しました。
今回は最後の宮本常一記念館をブログにお載せ致します。

◆それでは少し宮本常一記念館を述べて見ます。

周防大島生まれ。天王寺師範学校(現大阪教育大学)に学び、小学校で教職を務める。
子の頃から民俗学に興味を持ちはじめ、柳田國男に師事し、後に澁沢敬三の主宰する
アチックミューゼアム(日本常民文化研究所)の所員となる。全国の農山漁村を旅し、
徹低した実地調査を行い、その土地の暮らしを支えたものは何であったのかに目を
配った。さらに持続的な地域の発展の方策を住民に寄り添いながら探求し、島嶼地域
をはじめ、地域振興策を提言しつづけた。武蔵野美術大学教授、日本観光文化研究
所長も務め、伝統的な生活文化に着目しながら後進の育成にも努めた。
晩年には故郷で民具収集を企画、さらに東和町郷土大学を主宰し、ふるさとの人々と
ともに島の未来を考えつづけた。著者に「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本
常一著作集」全51巻(未来社)、「宮本常一離島論集」全5巻(みずのわ出版)などが
ある。


星野哲郎記念館

2017年01月27日 08時20分46秒 | 旅行

 

                       星野哲郎記念館                

 

 

 

 

 

 

平成29年1月24日(火)今日は冬の好天気に恵まれ、友達のK君と大島の戦艦
陸奥記念館を見学しましたが、その帰り道で星野哲郎記念館と宮本常一記念館
を見学しました。まず最初に星野哲郎記念館をブログにお載せ致します。

◆それでは少し星野哲郎記念館の模様を述べて見ます。

大正14年(1925年)9月30日、山口県大島郡森野村和佐(現・周防大島町和佐)
に生まれる。有近哲郎。
開導小学校、安下庄中学校(現・周防大島高等学校)を経て、子供のころから憧
れた高級船員を目指し、高等商船学校(現・東京海洋大学)に入学。
昭和21年に卒業。日魯漁業(現・ニチロ)のトロール船「第6あけぼの丸」に乗
る。2年後、肝臓結核を発病、下船して摘出手術。以後約4年間の闘病生活に入
る。同人誌、文芸誌への投稿、家庭教師などに活路を見出す。
昭和27年(1952年)、雑誌「平凡」の募集歌に入選した「チャイナの波波止場」
昭和30年(1955年)、同人誌「新歌謡界」に発表した「むすめ巡礼」、昭和32
年(1957年)、横浜開港100周年の歌募集で「浜っ子マドロス」「みなと踊り」
が1,2位当選。作詞家への道を開いた。
昭和33年(1958年)、遠縁で幼なじみの有近朱實と結婚、後に一男一女に恵ま
れる。同年、日本コロンビアと専属契約、その後昭和58年(1983年)にフリー
となり、現在までに創作した作品は4,000を超え、数々のヒット作を世に送り
出してきました。
代表作は「思い出さん今日は」(島倉千代子)、「恋は神代の昔から」(畠山みどり)
「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)、「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子)「昔
の名前で出ています」(小林旭)、「風雪ながれ旅」(北島三郎)、「兄弟船」
(鳥羽一郎)、「女の港」(大月みやこ)、「雪椿」(小林幸子)、「みだれ髪」
(美空ひばり)等々。
日本音楽著作権協会会長、日本作詞家協会会長などを歴任、功績が称えられ、
昭和61年(1986年)に紫綬褒章、平成12年(2000年)には勲三等瑞宝章を受章。

           

 

 

 


戦艦陸奥パート2

2017年01月26日 08時07分36秒 | 旅行

 

 

                        戦艦陸奥パート2

 

 

 

 

 

平成29年1月24日(火)今日は朝から冬の好天気なもので友達のK君と大島の
戦艦陸奥記念館を見学に行きました。今日は戦艦陸奥が野外に展示して有る
(戦艦陸奥の引き揚げ) のうブログにお載せ致します。

◆それでは少し戦艦陸奥を述べて見ます。


戦艦「陸奥」は、呉で建造された戦艦「長門」型の2番艦として横須賀海軍
工廠で建造されました。しかし、主要な部材である主砲身・副砲身・装甲板・
主舵・スクリューなどは、呉海軍工廠で製造されたものを運搬し、横須賀海軍
工廠で製造されたものを運搬し、横須賀海軍工廠で取付けられました。

◆展示コーナー(大正時代より沈没までの資料、遺品、引き揚げ品を展示)

戦艦陸奥(以下、陸奥)は1921年(大正10年)に完成、米英より廃艦を主張され
る中での誕生でした。当時世界最高と言われた陸奥は、連合艦隊の旗艦、お召
し艦として活躍しました。
1943年(昭和18年)6月8日、連合艦隊司令部付として周防大島町伊保田沖、
柱島水道に警泊中、謎の大爆発を起こし沈没、総員1,471名のうち、死者
1,
121名、生存者はわずか350名にすぎませんでした。
1947年(昭和22年)引き揚げが試みられましたが、作業は困難を極め、一旦
中止となりました。1970年(昭和45年)遺族や生存者らの20年越しの熱意が
実り、8年間の作業の末、遺骨・遺品・主砲など船体の75%が引き揚げられ
ました。現在も残り船体は柱島沖の海底に眠っています。陸奥記念館は引き
揚げにより回収された物品や、全国から寄せられた、遺品、資料等の展示、
保存に努め乗組員の冥福を祈ると共に、戦争の悲惨さを後世に伝え、恒久の
平和を願い建設されました。

         

 


戦艦陸奥記念館

2017年01月25日 08時16分33秒 | 旅行

 

                       戦艦陸奥記念館

 

 

 

 

 

 

平成29年1月24日(火)今日は冬の好天気に恵まれ、友達のK君に大島の戦艦陸奥
記念館でも見学に行くかと話しを持ち掛けるとすぐ行こうと返事が返って来て行く
事に成りました。岩国の自宅を9時頃に出発すると、大島町伊保田に着いたのが10
時20分位でした。さっそく戦艦陸奥記念館を見学をしました。

◆それでは少し戦艦陸奥について述べて見ます。

戦艦陸奥、艦歴、大正7年6月1日、八八艦隊計画の二号艦として、横須賀海軍工廠
で起工、大正9年5月31日進水、大正10年10月24日竣工、昭和2年1月12日艦首
形状変更工事、昭和2年1月30日海軍大演習、昭和9年には昭和天皇が乗艦されま
した。昭和18年、瀬戸内海で原因不明の爆発を起こし沈没した戦艦「陸奥」の船影
をとらえた立体画像が、山口県周防大島町の「陸奥記念館」で展示されている。
戦後70年の今年、米の資産家がフイリピン沖の戦艦「陸奥」とみられる水中映像を
公開して居ます。全長200m超、全幅約29m、1921年に完成したが、第2次世界
大戦中は温存され前線への出陣はほぼなかったという。
当時では世界最大規模の戦艦でした。1943年(昭和18年6月)山口県岩国市の沖合
に停泊していた所、突然主砲火薬庫から爆発を起こして一瞬のうちに沈没しました。
1,474名の乗り組み員のうち1,121名の海の人達が死亡しました。
大日本帝国海軍最大の爆沈事故とされて居ます。生存者はわずか350名に過ぎませ
んでした。

         

 

 


第22回天皇盃全国男子駅伝表彰式

2017年01月24日 10時26分44秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                           第22回天皇盃
        全国男子駅伝表彰

 

 

 

 

 

平成29年1月22日(日)第22回天皇盃全国男子駅伝競走大会が有りました。
その中第22回天皇盃全国男子駅伝表彰式が広島国際会議場にて行われましたの
で、これをブログに載せて見ようと思います。
総合成績は7区間48.0㎞を走り、長野県チームが2時間19分9秒(1位)でした。
(2位)は福岡県チーム2時間19分28秒で、(3位)は愛知県チーム2時間20分31
秒でした。愛知県チームは去年は優勝して、今年は(3位)中々実力の有るチーム
だと思いました。又、長野県チームも7度目の優勝でこれも前評判の通りのチーム
だったと思います。
その他(4位)京都、(5位)静岡、(6位)群馬、(7位)東京、(8位)新潟迄が入賞
でした。ちなみに広島県チームは(26位)でした。

◆それでは天皇盃第22回駅伝の解説、尾方剛氏(広島経済大陸上競技部監督)

前回に引き続きまして第22回大会も解説をさせていただくこととなりました。
さて、昨年開催されたリオネジャネイロ五輪は、みなさまもご存じのとおり、
陸上競技では、男子400mリレーで銀メダル、男子50㎞競歩では荒井広宙選手
が銅メダルを獲得し、大いに盛り上がりました。しかし、マラソン・長距離種目
に関しては、メダルはおろか入賞にも絡めない散々な結果に終わりました。
2020年東京オリンピツク・パラリンピックに向けて、これからの一回一回の大
会がとても重要になると考えます。世界でマラソン・長距離種目で戦えない現状
を早く打開して、少しでも戦える状態にするたにも、選手はもちろん指導者も
「世界で戦い、メダルを獲得する」という強い意志を持ち続けて、トレーニング
や国内外の試合での経験を積んでいくしかないです。
駅伝はしょせん、トラック競技やマラソンなどのロードレースの練習の一環に
すぎません。しかし、この都道府県対抗男子駅伝は違う意味合いを兼ね備えてい
ます。それは、中学生、高校生、一般(実業団・大学生)の日本でトップ選手が一堂
に会し、戦う大会であり、ジュニア層育成のためには、その経験が後々の競技人生
に大きく左右する可能性を秘めた、非常に価値のある大会だと思うからです。
昨年の大会では、雪が舞う中、4区を走りましたが愛知の三輪駆道選手が集団から
抜け出して首位に立ち、その後も堅実な走りで首位を守り、15年ぶり2度目の優勝
を果たしました。広島はエース鎧坂哲也選手を欠くオーダーで臨みましたが、各
選手が力を出し切り久々の2位となりました。
今大会では優勝争いにかみそうなチームとしては、優勝経験豊富な長野、兵庫、福岡
愛知、そして地の利を最大限に生かせる広島。埼玉も一般と高校生に力がある選手を
登録できれば、目の離せないスリリングなレースが今年も期待できるのではないかと
思われます。昨年も書かせていただきましたが、2020年東京オリンピツク・パラリン
ピツクまでは限られた時間しかありません。花形種目のマラソンで「世界と勝負する」
、または「絶対メダリストになる」という高い目標を持つ選手が必ず現れることを信じ
、正確にレース状況をお伝えしていきます。

 

 

 

 


第22回天皇盃全国男子駅伝

2017年01月23日 15時43分15秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

 

               第22回天皇盃全国男子駅伝

 

 

 

 

 

平成29年1月22日(日)天皇盃第22回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会が有りました。
この日の天気は強い寒気で朝から大変寒くて、日中の気温もほとんど上がりませんで
した。去年も大変寒かった覚えが有りますが、毎年この時期は雪が降って寒い時期に
天皇盃の男子駅伝が有りますが、でも選手にとっては今年はまあまあのコンデション
ではないかと思って居ります。各自分達の故郷のタスキを背負って頑張って居られました。
今年は広島県(26位)、岡山県(27位)、山口県(32位)、鳥取県(34位)、島根県(39位)
など中国勢は残念ながら入賞を逃しました。

◆それでは少し天皇盃全国男子駅伝を述べて見ます。

天皇盃第22回全国男子駅伝が平成29年1月22日(日)に12時30分スタート。
原爆ドームと宮島厳島神社の二つの世界遺産を結ぶコースを舞台に、日本のトップアスリ
ート達が各都道府県の選手329名がたすきを繋ぎ走り抜ける白熱した駅伝大会でした。

◆次に日本陸上競技連盟会長(横川浩)のご挨拶が有りました。

「天皇盃全国都道府県対抗駅伝競走大会」を、今年も全国47都道府県チームが一堂に会いし、
盛大に開催できますことは、主催者として誠に喜ばしい限りです。今年は駅伝発祥100年の
節目にあたり、1世紀の歴史に思いをはせるとともに、この先も駅伝競走がより発展し、継承
されていくことを祈念いたします。本大会は、トップランナーから高校生、中学生までが世代
を超えてチームをつくり、郷土の誇りを懸けて7区間48.0キロを「たすき」でつなぎ、駅伝
の魅力を伝える大会として人気を博しており、毎回大いに盛り上がって居ります。
前回大会は、雪が舞うコンデションの中、愛知県が、15年ぶりに2度目の優勝を飾りました。
また、この大会の前週に開催された、「皇后杯、全国都道府県対抗女子駅伝競走大会」におい
ても愛知県が優勝し、男女そろっての優勝は、大会史上初となる快挙でした。
昨年8月にブラジル・リオデジャネイロで開催された第31回オリンピック競技大会では、陸上
競技で二つのメダルを獲得いたしましたが、長距離・マラソン種目においては、世界との壁を
感じずにはいられませんでした。次回オリンピツクとなる2020年東京に向けて、一層の奮起
が必要となります。本大会へ各都道府県を代表して出場する選手の皆さんは、それぞれが持て
る実力を遺憾なく発揮し、「天皇盃」を目指し、「全国男子駅伝」の歴史の1ページにその名
を刻んでください。そして、皆さんの中から、世界選手権、2020年東京オリンピツク、さら
にはその先のオリンピックという世界の舞台で活躍する日本代表選手が誕生することを切に願
っております。結びに、本大会の開催にあたり、ご支援、ご協力を賜りました、中国新聞社、
NHKをはじめ、協賛各社、競技運営にご尽力された広島陸上競技協会、多くのボランティア
の方々、そしてご声援をいただく多くのファンの皆さんに心からお礼申し上げ挨拶と致します。

 

 

 

 


防府天満宮パート2

2017年01月08日 08時08分14秒 | 旅行

 

                        防府天満宮パート2

 

 

 

 

 

 平成29年1月6日(金)中国新聞主催にて、午前8時~18時分迄防府天満宮初詣
&下松健康パークに行きました。
今回は防府天満宮パート2をブログにお載せ致します。

◆それではいつもの様に防府天満宮外周を少し述べて見ます。

菅原道真公が亡くなった翌年である延喜2年(904)に創建され、「日本最初に
創建された天神様」を名乗る。かっては「松崎天満宮」「宮市天満宮」有るいは
単に「天満宮」と称していたが1873年に近代社格制度のもとで県者に列格し、
松崎神社と改称されていましたが、戦後防府天満宮に改名されました。
防府天満宮には、昭和17年5月山口県防府海軍通信丘之魂、防飛二期生の碑、
ああ予科練、碑文、昭和20年1月25日15歳前後の一千有余命の私達は、防府
海軍通信学校第二期乙種の碑が有ります。又、防府天満宮には(2年前)平成27年
1月~12月迄NHK大河ドラマ花燃ゅ)楫取素彦・美和子(文)の銅像が有ります。
第二納骨殿に平成27年11月7日に竣工しました。
外周には川を利用した堀があり、内部には庭園と本館、博物館が見学できます。
防府天満宮は天神様と呼ばれ親しまれているのが、祀られており多くの受験生が
天満宮に参拝して居られます。防府天満宮の門前町として、又、江戸時代には三
田尻港は商港として栄える一方、沿岸部には塩田が開かれるなど製塩の・・・・
国道2号から沿岸部にかけて、既成市街市地外周部を包括する外郭環状道路として、
(都)環状一号線を位置づける。


防府天満宮

2017年01月07日 15時06分34秒 | 旅行

 

 

                           防府天満宮

 

 

 

 

 

 

平成29年1月6日(金)新春初詣をかねて、中国新聞主催にて防府天満宮&下松
健康パークに行きました。バス旅行1号車~4号車にて行きました。
1号車は麻里布地区、2号車は川下&人絹地区、3号車は西岩国地区、4号車は
美和町&錦町と奥くを中心とした人達で有りました。
私は2号車で午前8時10分に車町3丁目バス停にて乗りました。
防府天満宮に着いたのが9時40分でした。それから10時30分迄約1時間の予定
にて、防府天満宮を見学致しました。その中で菅原道真公で学問の神様として祀
って有る防府天満宮は日本三天神様と称せられているだけ有って大変みごとなも
のでした。

◆それでは少し防府天満宮について述べて見ます。

防府天満宮は、山口県防府市にある神社です。菅原道真を学問の神として祀った
天満宮である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別長神社。学問の神様菅原道
真公を祀った神社で、京都の北野天満宮、福岡の大宰府天満宮と共に日本三大天
神様と称せられています。菅原道真公は九州への西下の途中、防府に立ち寄りす
っかりこの地が気に入り、自分が死んだら魂となって帰って来ると約束して、九
州の地へ下りました。防府天満宮には年1回(裸坊祭)が有ります。
西日本屈指の荒祭りです。日本三天神の一つ、防府天満宮の大祭として、又西日
本屈指の荒祭りとしても有名なこの祭りは、寛弘元年(1004)10月15日、一条
天皇が初めて北野社に行啓
 された時、同時に勅使が防府天満宮に遣わされました。
防府天満宮は学問の神様としてあがめられている菅原道真を祀った「日本最初の
天満宮」で、京都の北野天満宮、福岡の大宰府天満宮、とともに日本三天神とい
われています。菅原道真公を崇敬した高杉晋作辞世の句が有ります。
菅原道真の歌「東風(こち)吹かばにほひこせよば梅の花、主(あるじ)なしとて
春を忘るな」を「春な忘れそ」と書いてあるものもあるが、どちらが正しいか。
文献によって記載が異なる。