ブログにて日常の記録

旅行=(日本各所) 畑作り=(100坪の土地に野菜作り)
 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

別府地獄めぐり

2011年06月30日 14時31分31秒 | 旅行

 

     

 

     

 

                  別府地獄めぐり

 

平成23年6月20日~21日の岩国駅構内タクシー旅行で今日は6月21日のことについて述べてみようと思います。
亀の井ホテルを8時15分出発して、8時30分に着き今回旅行のメインである別府地獄めぐりをしました。
(8時30分~10時30分迄)約2時間の予定にて見学しました。それからは別府IC~杵築IC~11時10分杵築城
町並みを見学及び散策、昼食が少しおくれて14時~15時頃になりました。
その後は別府の土産店にて買い物をして19時頃岩国に帰りました。又、今日は昨日の大雨とはうって変わって大変好天に
めぐまれ楽しい旅行でした。

     

それでは、皆様も別府地獄めぐりは良く知っておられますかと思いますが、
少し8箇所の地獄を御話致します。

 

 まず上の写真は第1番目の海地獄です。これはとても神秘的で涼しげなコバルトブルーの池。
 じつくり見ると海のようですが、実は摂氏98度もあるのです。今から1200年前に鶴見岳の爆発によって出来ました。
 豊後風土記にいうところの「玖倍理の湯」にあたります。

 

 

第2番目の上の写真は鬼石坊主地獄です。灰色の熱泥が大小の球状をなして沸騰する様が坊主頭に似ており、
鬼石という地名に由来して鬼石坊主地獄と呼ばれています。
 

 

第3番目の上の写真は山地地獄です。山のいたるところから噴気が上がっているため
山地地獄と呼ばれています。温泉熱の利用により飼育されている。
世界各国の珍しい動植物はみんなイキイキしています。泉温は90度。

 

第4番目の上の写真はかまど地獄です。昔、氏神窮門八幡宮の大祭に地獄の噴気で御供飯を炊いた
習わしがあったところから名付けられました。猛烈な噴気と共に高熱温泉を出しています。泉温90度。

  

第5番目の上の写真は鬼山地獄です。鬼山という地名に由来する鬼山地獄。
別名「ワニ地獄」の名で親しまれています。大正12年に日本で初めて温泉熱を
利用したワニの飼育100頭のワニを飼育しています。泉温98度。

 

第6番目の上の写真は白池地獄です。噴出時は無色透明の熱湯ですが池に落ち、温度と圧力の低下に
より自然に青白色を呈してきます。園内では温泉熱を利用して、各種の大型熱帯魚を飼育しています。
泉温95度。含むホウ酸食塩泉。

  

第7番目の上の写真は血の池地獄です。煮えたぎる粘土は、噴気までが赤色。
豊後風土記に「赤温泉」と記された日本最古の天然地獄です。ここから産出する赤い
粘土で、皮膚病に効く「血の池軟膏」が作られています。泉温78度。

 

第8番目の上の写真は龍巻地獄です。別府市指定天然記念物の「間欠泉」。
間欠泉は一定の間隔で熱湯と噴気を噴出します。
世界の間欠泉の中でも休止時間が短いことにおいて注目を浴びています。

 

 

上の写真は海地獄、足湯、屋根付きの和風露天足湯です。
当然のことですが、どこでも温泉は「掛け流し」です。

 

上の写真は、大分県杵築市杵築にあった城。「編集」概要、杵築城は、室町時代初期に本付氏
によって八坂川の河口にある台山の上に築かれた。台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれ
た天然の要害である。連郭式の平山城です。

 

       こ れ は 杵 築 城 に 上 が る 階 段


福沢諭吉旧居

2011年06月24日 13時59分49秒 | 旅行

       

       

 

 

                    史蹟福沢諭吉旧居

 

 平成23年6月20日~6月21日に掛けて岩国駅構内タクシーの慰安旅行に私はお招きを受けて行きました。私は去年3月に岩国駅構内タクシーを退職して居るのですが、OBとしてご招待頂き誠に有り難うございました。ブログの画面にてお礼を申し上げます。
 さて岩国観光バスにて午前7時に岩国観光バス前を出発して岩国インターから苅田北九州空港IC<推田道>午前11時に福沢諭吉旧居に着ました
 11時30分頃迄見学をしました。その後豊後高田、昭和の町並み(12時15分~14時30分)昼食、散策宇佐IC~別府ICその夜は別府観海寺温泉
 (亀の井ホテル)に泊まりました。次の日、6月21日は別府地獄めぐりですが、これは次回のブログにてお載せ致しますので宜しくお願い致します。

 

              それではいつものとうり福沢諭吉旧居を少し御話し致します。

 福沢諭吉は、天保5年(1835年)に大阪の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下級武士福沢百助の次男として生まれました。1歳6ケ月のとき父と死別し、母子6人で中津に帰郷。貧しくとも信念を持った少年時代を過ごし、14、5歳のころからは勉学にめざめ、のちには儒学者白石照山の塾で学びました。安政元年(1854年)19歳の時に蘭学を志して長崎に遊学、翌年からは大阪の緒方洪庵の適塾で勉強に励みました。安政5年(1858年)には藩の命令で、江戸の中屋敷の蘭学塾の教師になりました。これが慶応義塾のはじまりです。
 西洋の文物に触れたいと考えた福沢は、万延元年(1860年)幕府使節の護衛船「咸臨丸」に軍艦奉行の従者として乗り込み渡米。
 文久2年(1862年)には、幕府使節の一員としてヨーロッパ諸国も歴訪。議会や郵便制度、銀行、病院、学校などを旺盛な好奇心をもって見聞しまた。その後これらの経験をもとに『西洋事情』を著し、続けて『学問のすすめ』『文明論之概略』などを次々と発表して、世界と隔絶されていた当時の日本人を啓蒙していったのでした。

 

 

          福 沢 諭 吉 旧 居 の 門

 

       福 沢 諭 吉 先 生 の 像

 

     福 沢 諭 吉 先 生 の 像 が 玄 関 前 に て

 

      福 沢 諭 吉 先 生 略 年 表

 

    福沢諭吉先生の学問のすすめが書かれている陳列

 

       福 沢 諭 吉 先 生 の 誕 生

 

      福 沢 諭 吉 先 生 の 生 ま れ 育 っ た 家

 

         福 沢 諭 吉 先 生 の 記 念 館

 

福 沢 諭 吉 先 生 が 幼 小 の 頃 住 ん で い た 部 屋

 

         昭 和 天 皇 行 幸 記 念

 

          福 沢 公 園 の 説 明 板

 

       豊後高田(昭和の町並み) ダツトサン三輪自動車

 

           昭 和 の 町 並 み

 

 昭 和 30 年 代 に 流 行 し た 三 輪 自 動 車

 

 

 


私の野菜作り

2011年06月16日 11時01分57秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

 

 

                私の野菜作り

 

 私は現在100坪の土地にキューリ、ナスビ、トマト、カボチャ、ジャガイモ、玉ネギ、トウモロコシ、サツマイモ、その他もろもろ沢山栽培しています。
 初めは趣味的なことから始めたのですが、現在はかなり本格的に野菜を作って居ます。
 なかでも、今年は私の一番の自慢作はカボチャでしょう。それと玉ネギかな ? カボチャは土地が狭いのでこの字形の屋根を作成しました。
 この方法ですと、まず3つの良い要素が有ります。まず第一に場所をとらない(カボチャは土地をはうので) 第二に土地をじかにはわさないので、
 カボチャの下が黄色にならなくて済みます。第三に空中にぶらさがって居るので四方八方から太陽の光をあびて甘味が出ます。
 この三点が良くて、私のカボチャは自慢するようですが、大変おいしいです。それと玉ネギを1000本ぐらい植えましたがなにしく私の畑けは(100坪)
 初めは広く感じたのですが、現在では少し狭い感じがします。又、ジャガイモ、ナスビ、トマト、(ナス科) など毎年連作をきらう作物が有りますので
 中々畑けの作物を栽培するのも気を付けなくてはいけません。でもこうして作った野菜は新生で大変おいしいです。
 又、私は無農薬なので安心して食べられます。

           それでは下記の写真で説明致しますので良く見て下さい。

 

これは4月の初め(10日前後植えたキューリです)

キューリは少しの寒さでも弱いから

寒さ対策で白いカバーにてかこいをしています。

 

これは4月15日頃カボチャを植えてこの字にて
屋根を造りおろぎを作成しました。

 

   これはナスビです(4月15日頃)植えました。

 

この写真はトウモロコシを植えてから1ケ月位たった所です。
4月21日頃苗を植えました。

 

これはトマトですが苗を5月3日に植えてから1ケ月ばかり経過した写真です。

 

これはキューリですようやく暖かく(5月)成ったので
白いカバーも外してすくすく大きくなって行く所です。

 

    この写真は玉ネギの収穫前の写真です(4月30日頃)

 

    玉ネギを収穫して倉庫の裏にて吊って居る所です。

 

これはカボチャが大きくなって毎日花粉を付けている頃です。
(5月20日から5月30日位です)

 

この写真はナスビを植えてから1ケ月位たった時の写真です。
(5月20日頃撮影したものです。)

 

この写真はカボチャがだいぶん大きく成ってトンネルに成った所です。

 

   この写真はカボチャが沢山成ってぶら下がって居る所です。
         (ちなみに50個位できました。)

 

                  ボチャの外周の写真です
                      (外から回って上に登って行きます)

 

       これは6月10日頃トウモロコシの写真を撮影した所です。

 

この写真は最近でキューリを食べるさかりです。
5月22日から食べ始めました。

 

     最後に5月20日頃に植えたサツマイモの写真です。

 

 


柿本人麿&万葉植物園

2011年06月11日 08時23分06秒 | 旅行

     

 

 

                    柿本(人麿)神社

 

 平成23年6月10日(金)一週間前に須佐町のホルンフェルス断層にいったので今度は、同じ山陰側で益田市にある柿本人麿神社と万葉植物園に行く事に決めました。
 これはあまり自動車でも、時間が掛りませんでした。岩国を7時に出発して、日原町迄約2時間でそれから30分位で益田市の柿本人麿神社に到着しました

 

          またまた柿本人麿神社の事について少し延べて見たいと思います。

柿本人麿(660年から720年頃)は、飛鳥時代の歌人。名は「柿本人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに呼ばれ称られている。
 また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。
 数々の傑作を生み出した歌人、柿本人麻呂、しかしながらあまりにも謎が多く、現在にいたってもなおそのロマンを追求する者は多い。
 柿本人麿が石見の国を訪れた理由ははっきり分からないが、どうやら柿本人麿はここ江津市で依羅娘子と出会い、二人は恋に落ちたと言われて居る。
 万葉集の代表的歌人であり、今も歌聖として崇められる柿本人麿だが、その伝説や生没年は不詳だ。
 「いろは歌」の作者そこに読み込まれた暗号とは・・・? 柿本人麿にまつわる謎は尽きない。万葉集巻き(223巻) 
 「柿本朝臣人麿、石見国に在りて死に臨みす」
 

こ れ は 柿 本 神 社 に 上 が る 手 前 の 橋 と 門 柱

 

  これは柿本神社に上がる階段ですが、少し急だったと思います。

 

  こ の 像 は 柿 本 人 麿 公 の 人 物 像 で す。

 

       柿 本 人 麿 が 祭 わ れ た 神 社

 

 

柿 本 人 麿 神 社 に 行 く 途 中 水 飲 場 及 び 手 洗 い

 

           山 崎 寒 村 句 石 碑

 

 

 それでは次に万葉植物公園について少し延べて見たいと思います。

 

万葉植物公園は柿本人麿ゆかりの益田市にあり、万葉集の歌と詠まれている植物の展示、家族で楽しめるオートキャンプ場、緑の中の
ウオーキングコース等様々なレジャーにご利用頂いている公園です。
キャンプ場は他県の利用者にも人気があります。このほど、日本の歴史公園100選に万葉公園が認定されました。
万葉集の中でも唯一温泉についてうたわれた湯河原を象徴する。貢献している歴史的公園の評価を選定するものです。
その結果、全国から332件もの応募の中、万葉公園が認定されまたものです。

 

 

   万 葉 植 物 公 園 コ ー ス 0.9Km
     (健康の為植物公園の中を歩きましょう)

 

             万 葉 公 園 の 石 碑

 

      万 葉 公 園 に 行 く 途 中 の 道 中

 

万葉公園に行く途中で風車があったので載せて見ました。

 

こ こ で 昼 食 を し ま し た。 (お抹茶も大変おいしく頂きました)

 

   植物公園の中で日常見かける(もっこくの木)が有ったので載せました。

 

                      は ま ゆ う (ヒ ガ シ バ ナ 科)

 

 

 


ホルンフェルス断層

2011年06月05日 14時01分45秒 | 旅行

             ホルンフェルス断層

 

平成23年6月4日(土)今日は朝から天気も良く、自動車にてドライブで妻と須佐町にあるホルンフェルス断層に見学に出掛けました。
岩国市の自宅を午前6時に出発して岩国インターに6時20分に入り徳山インターを6時50分に降りて2号線を15分ばかり通り辻交差点
より315号線に入って鹿野を(7時35分)通過して阿東町を通り須佐町8時50分(ここで315号終わり)10分ばかり305号線を走りいよいよ
目的地のホルンフェルス断層に9時に到着しました。岩国から約3時間かかりました。

 

            それではいつものとうり(ホルンフェルス断層)を少し御話し致します。

山口県の北側「須佐町」にある北長門国定公園に指定された景観地。40mの岸壁に描かれた地層の模様が綺麗な縞模様を浮かび上がらせている。
特に整備された感じもなく、自然のままであります。ホルンフェルスとはドイツ語で面が角ばった岩石という意味だそうです。
高熱で再結晶した岩石のことを言い、白と黒の須佐「断層」は世界でも類を見ない断層のようです。初めて見る不思議な場所でした。
山口県須佐町のホルンフェルスほど大規模なものは全国でも珍しく、地質学的にも大変貴重とされています。
ホルンフェルスで自然の神秘と夏の解放感を感じ、その先に広がる日本海で育まれた黄金色のウニを食す。
これぞまさしく萩の夏を楽しむ極意です。

 

  ホルフェンスに行く途中良く整備された遊歩道を下がって行く

 

 ホ ル ン フ ェ ン ス 断 層 に 行 く 途 中 の 景 色

 

 

岸壁から下をのぞくと足を取られそうな気がしました、深く刻まれた

岩石は東尋坊を思いよこした感じがしました。

 

 下に降りて断層を見ると白と黒のコントラストが大変綺麗です。白い部分は砂岩層、

 黒い部分は泥岩層からなる須佐層群です。

 

綺麗な縞こう模様の断層です。写真ではわかりにくいのですが、断層表面の所どころが

スポンジのように穴だらけになって大変面白いです。

 

     岩礁の風景、日本海のあら海が打ち寄せる波です。

 

畳岩に近づくと、割れ目の断岸の風景に圧倒的な景観となっています。

 

 自 然 の 美 し さ に ハ ッ ト し た 瞬 間 で し た。

    ホ ル ン フ ェ ル ス 断 層 の 景 色 (湾)

 

最 後 に こ こ で (つ わ ぶ き の 館) で 食 事 を し ま し た。