出 雲 大 社
平成23年7月8日朝起きて見ると昨日とはうって変わって大変良い天気の為、今日は又出雲大社にでも行こうかと妻に話を持ち掛けると、
今日はどうしても行かなくてはいけない所が有るので、1人で行っておいでと言うので今日は私1人が行く事に成りました。
(又、ブログの材料も居る為) 午前6時に自宅を出発して、岩国インターを6時20分に入り山陽自動車道を通り中国自動車道を通り千代田
JCT浜田自動車道を通り、国道9号線から途中431号線を走って、出雲大社に着いたのが10時30分でした。
1時間ばかり出雲大社を見学して、最後の目的地日御碕灯台に行く為11時30分に出雲大社を出発して11時50分には日御碕灯台に着きました。
それでは、いつものとうり先に出雲大社の事について述べて見たいと思います。
島根県出雲市(旧大社町)にある。一畑電鉄・出雲大社前駅から北へ1キロメートルほど。
鳥居をくぐり、並木の参道を歩くと境内へ。正面に拝殿があり、後方垣内に社殿。
周囲には境内社が並んでいる。八足門前には、発掘された宇豆柱模型がある。
国宝出雲大社本殿には出雲大社の創建は神代にさかのぼる、皇祖天照大御神が、
御祭神大国主神の国つ゛くりの偉業にむくいるために「天下無双のおおやしろ」
と譖える住居として築づかれたのを初発とする。
現在の本殿は1744年に造営され今日に至っているが、高さ24メートルの
豪壮な建築は、神社界にても特異な存在であり大社造りの代表として国宝に指定されている。
陳列品の主なものは、国宝の秋野鹿蒔絵手箱、重要な文化財の宝治2年遷宮儀式注進状、
後醍醐天皇王道再興論旨、赤絲威肩白鎧大袖付、豊臣秀吉、刀、クリス形銅才、硬玉製勾玉、
や古代の火切板、楽器などである
上の写真は出雲大社に行く並み木の参道てす。
上 の 写 真 は 出 雲 大 社 の 拝 殿 で す。
上 の 写 真 は 宝 物 殿 の 写 真 で す。
上 の 写 真 は い な ば の 白 ウ サ ギ4
上 の 写 真 は 松 の 木 の 参 道 へ
それでは日御碕灯台について少し延べて見たいと思います
出雲日御碕灯台は、明治32年 (1899年) に浜田、堺の両港が開港場に
指定され、外国貿易が盛んになってきたことから大型沿岸灯台設置の必要
性が高まり、明治33年から3か年をかけた大工事の末に完成しました。
この工事には、島根県八束郡森山から硬質の石材を切り出し、堺港から海
路54海里を運搬し、灯塔用材に使われました。我が国の洋式灯台建設の
技術は、明治政府が招へいした外国人技師の指導のもとにはじまったのです
が、外国人技師は、明治10年代にはすべて帰国していますので、出雲日御碕
灯台の設計、施行のすべては日本人の手によつて行われました。我が国は
昔から城等を築いてきた経験があり、優れた石工技術を持っていましたので、
この頃には堅固で美しい石造りの灯台が各地に築かれていますが、この灯台
は、建設時から我が国最高の灯塔の高さ(43.65m) を有する灯台として
親しまれ、現在もなおその王座を守り続けています。
いす上
出雲出雲
う 日 御 碕 に 行 く 道 し る べ上野
上うえ上のうえ 日 御 碕 灯 台 全 景
海 上 保 安 庁 出 雲 日 御 碕 灯 台 室
日 御 碕 灯 台 の 階 段 入 り 口
日 御 碕 灯 台 の 階 段 (20段)
日 御 碕 灯 台 の 階 段 (70段)
日 御 碕 灯 台 の 中 に 貼 っ て あ る 張 り 紙
日御碕灯台でこの段が(100段)です
日 御 碕 灯 台 の 階 段 (165段) が 最 後 の 階 段 で す。
日御碕灯台から下をのぞいて写真を撮影しました。