ブログにて日常の記録

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(第27回) 大藪まつり

2011年07月31日 19時17分21秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

         (第27回) 大藪まつり

 

 平成23年7月30日(土) 午後18時~21時迄川下供用会館駐車場にて(第27回)大藪まつりが有りました。
最初に慰霊祭が有り、その後盆踊り、カラオケ大会など沢山のイベントが有りました。
 主催は大藪第一自治会、第三自治会、大藪子供会、中津婦人会、川下商工連盟有志などでした。
 主催さんの皆様大変ご苦労様でした。
大藪まつりのスローガン「おいでんさい、来てみんさい 夏の一夜をみんなで楽しもうーね」でした。
私も大藪まつりを見学して、又1日の疲れを和む夜でした。

 

   それでは、下記の写真にて慰霊祭、カラオケなど撮影しましたので見て下さい。

 

       神主様が祝詞をあげておられる所

 

   「福田岩国市長」 大藪まつりの祝辞を述べておられる所

        次にいよいよ盆踊りの開始

 

    本部席には来賓のお客が見物されて居られる所

 いよいよカラオケ大会の始まりまずは小学生から、曲目(夢をかなえて)

  次に大藪子供会全員による、 (川下小学校校歌)

  これからは大人の部第一番目は(夫婦船)を歌われました。

     第二番目は(おんな風の盆)を歌われました。

 

         第三番目は男性が(おやじの船唄)歌われました。

        第四番目は(もくれん)を歌われました。

    第五番目は(越前雪の宿)を歌われました。

     第六番目は(玄海恋太鼓)を歌われました。

     第七番目は(みんな空の下)を歌われました。 

    第八番目は(ふたりの船唄)を歌われました。

       最後は男性で締めくくり(ふたり酒)を歌われました。

 大藪最後のイベントは再び盆踊りで中津婦人会が(岩国音頭)踊られました。

 

 

 


岩国港みなと祭

2011年07月24日 16時07分03秒 | 日常の散歩にて感じた事

      

 

   岩国港みなと祭 (岩国港築港200年記念)  

 平成23年7月23日 (土) 20.00~21.00分迄岩国港波止場にて花火大会が有りました。私も錦帯橋の花火は毎年行って居りますが、
 岩国港(新港)の花火はあの近くに有るのですが今回が初めてです。
 又、今回は岩国港築200年記念に当たり大変盛大でした。見物席も国道2号線すぐそばでポートビル周辺は大変な人だかりでした。
 なかでも中国四国最大大迫力の2尺玉、そして怒濤の花火の連続発射は大変見ごたえが有りました。港を舞台にした夜空に開く
 尺玉と海面より打ち上げる水爆花火や、6ケ所より連続発射されるワイドスターマイン花火、さらに音楽と花火をシンクロさせた
 メロデイ花火、また2尺玉も打ち上げられて岩国港築200年イベントでした。

 

  それでは新港にて打ち上げられた花火を紹介します。

 

       まず1番目にスターマイン尺玉

 

 

        2番目に小規模スターマイン

 

       大3番目に単発打ち上げ

 

      第4番目に小規模スターマイン打ち上げ

 

          第5番目に型物単発打ち上げ

 

      第6番目にスターマイン尺玉打ち上げ

 

          第7番目に単発打ち上げ

 

      第8番目に中規模スターマイン打ち上げ

 

       第9番目にも中規模スターマイン打ち上げ

 

       第10番目に小規模スターマイン打ち上げ

 

        第11番目に単発打ち上げ

 

          第12番目に尺玉打ち上げ

 

      最後にスターマイン2尺玉の打ち上げで終わりでした。

 

       岩国港築港200年記念の花火を見物して居る所

 


美川ムーバレー(地底王国)と根笠観音

2011年07月18日 14時11分47秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

    美川ムーバレー(地底王国)と根笠観音

 

平成23年7月17日(日) 今日は午前中は畑け仕事に行き、午後は近くにある美川ムーバレー(地底王国)を妻と二人で暑さしのぎとレジャーをかねて
見学に行きました。外は35℃ぐらい暑いのですが美川ムーバレーの中は17℃~18℃位なので、なんと涼しい涼しい温度差が17℃位はあるので
家の中のクーラーよりも良く冷えて大変気持ちが良かったです。洞窟の中は音楽祭が出来るステージも有り、その他洞窟も四方八方に通路が有って
洞窟の中から、寒いくらいの風が吹き出して暑い夏場にはぴったりの避暑地です。皆様も暇があったら是非一度行って見て下さい。

それではいつものとうり美川ムーバレーの事について少し述べてみようと思います。

美川ムーバレーは昔タングステン鉱山でしたが、昭和61年の閉山により地域は主たる産業を失いました。地域に新たなる産業の創出
を考えた末、当時の美川町(町長)の要請を受けて出来上がったものです。
山口、広島当たりの人達以外はあまり知られてはいないと思うのですが、簡単に説明すると美川ムーバレーというのは、20数年前に
閉山した全長45㎞に及ぶ玖珂鉱山の坑道跡を謎の地底王国として公用し、色々なアトラクションを行っているテーマパークです。

 

 

     地底王国謎の秘宝伝説(入場入口)

 

        美川ムーバレーに入る坑道入口

 

 坑道の中の通路が大変良く整備して歩き安いです。

 

 謎の石球(ころげ落ち、侵入者をくいとめる・・・)

 

 顔桂の回廊(顔が彫られた柱は、何の意味なのか・・・)

 

 

    聖なる間(黄金像を守る戦士にかこまれた・・)

 

  黄金像(地底王国の守護神・・・)

 

    地底の滝(轟音とともに水が流れ落ちる・・・)

 

 謎の階段(どこにつづくのか誰も知らない・・・)

 

  石柱の回廊(柱の彫刻は何を意味するのか・・・)

 

 謎の井戸(地底のさらに奥まで続いている・・・)

 

 

 

    それでは次に根笠観音について少し述べて見たいと思います。

 

 

 根笠岩屋観音には根笠山の登山口にあたるようで、遊歩道でまずは順を追って行くと、岩屋観音窟入口の橋の袂に平成の始めまで、
日本一の大きさを誇った水車で挽いたそば粉の手打ちそばが大変おいしですよ。

 

 

  念 ず ん ば 花 ひ ら し (石 碑)

 

    観 音 水 車 (でかまるくん看板)

 

     で か ま る 水 車 (赤い橋とともに)

 

   根 笠 観 音 入 り 口 階 段

 

   根笠観音像の御神体が祀られている所

 

 


出雲大社と日御碕灯台

2011年07月09日 14時05分41秒 | 旅行

 

                  出 雲 大 社

 

 平成23年7月8日朝起きて見ると昨日とはうって変わって大変良い天気の為、今日は又出雲大社にでも行こうかと妻に話を持ち掛けると、
 今日はどうしても行かなくてはいけない所が有るので、1人で行っておいでと言うので今日は私1人が行く事に成りました。
 (又、ブログの材料も居る為) 午前6時に自宅を出発して、岩国インターを6時20分に入り山陽自動車道を通り中国自動車道を通り千代田
 JCT浜田自動車道を通り、国道9号線から途中431号線を走って、出雲大社に着いたのが10時30分でした。
 1時間ばかり出雲大社を見学して、最後の目的地日御碕灯台に行く為11時30分に出雲大社を出発して11時50分には日御碕灯台に着きました。

 

 

  それでは、いつものとうり先に出雲大社の事について述べて見たいと思います。

島根県出雲市(旧大社町)にある。一畑電鉄・出雲大社前駅から北へ1キロメートルほど。
鳥居をくぐり、並木の参道を歩くと境内へ。正面に拝殿があり、後方垣内に社殿。
周囲には境内社が並んでいる。八足門前には、発掘された宇豆柱模型がある。
国宝出雲大社本殿には出雲大社の創建は神代にさかのぼる、皇祖天照大御神が、
御祭神大国主神の国つ゛くりの偉業にむくいるために「天下無双のおおやしろ」
と譖える住居として築づかれたのを初発とする。
現在の本殿は1744年に造営され今日に至っているが、高さ24メートルの
豪壮な建築は、神社界にても特異な存在であり大社造りの代表として国宝に指定されている。
陳列品の主なものは、国宝の秋野鹿蒔絵手箱、重要な文化財の宝治2年遷宮儀式注進状、
後醍醐天皇王
道再興論旨、赤絲威肩白鎧大袖付、豊臣秀吉、刀、クリス形銅才、硬玉製勾玉、
や古代の火切板、楽器などである

上の写真は出雲大社に行く並み木の参道てす。

 

 

上 の 写 真 は 出 雲 大 社 の 拝 殿 で す。

 

 

 

上 の 写 真 は 宝 物 殿 の 写 真 で す。

 

 

 上 の 写 真 は い な ば の 白 ウ サ ギ4 

 

 

上 の 写 真 は 松 の 木 の 参 道 へ 

 

 

 それでは日御碕灯台について少し延べて見たいと思います

 出雲日御碕灯台は、明治32年 (1899年) に浜田、堺の両港が開港場に
 指定され、外国貿易が盛んになってきたことから大型沿岸灯台設置の必要
 性が高まり、明治33年から3か年をかけた大工事の末に完成しました。
 この工事には、島根県八束郡森山から硬質の石材を切り出し、堺港から海
 路54海里を運搬し、灯塔用材に使われました。我が国の洋式灯台建設の
 技術は、明治政府が招へいした外国人技師の指導のもとにはじまったのです
 が、外国人技師は、明治10年代にはすべて帰国していますので、出雲日御碕
 灯台の設計、施行のすべては日本人の手によつて行われました。我が国は
 昔から城等を築いてきた経験があり、優れた石工技術を持っていましたので、
 この頃には堅固で美しい石造りの灯台が各地に築かれていますが、この灯台
 は、建設時から我が国最高の灯塔の高さ(43.65m) を有する灯台として
 親しまれ、現在もなおその王座を守り続けています。

  いす上

  出雲出雲

 う  日 御 碕 に 行 く 道 し る べ

  上うえ上のうえ   日 御 碕 灯 台 全 景

海 上 保 安 庁 出 雲 日 御 碕 灯 台 室

日 御 碕 灯 台 の 階 段 入 り 口

日 御 碕 灯 台 の 階 段 (20段)

 日 御 碕 灯 台 の 階 段 (70段)

日 御 碕 灯 台 の 中 に 貼 っ て あ る 張 り 紙

日御碕灯台でこの段が(100段)です

日 御 碕 灯 台 の 階 段 (165段) が 最 後 の 階 段 で す。

日御碕灯台から下をのぞいて写真を撮影しました