ブログにて日常の記録

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 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

瀬田八幡宮

2014年02月25日 08時54分37秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

 

                           瀬田八幡宮
          (山口県和木町)

 

 

 

 

 

 

平成26年2月23日(日)冬の好天気に恵まれたので阿品の弥山と和木
町の瀬田八幡宮を見学して帰りましたので、これをブログにお載せ致し
ます。

それでは少し瀬田八幡宮をご説明致します。

瀬田八幡宮は、山城国男山八幡宮から観請されたと伝えられ、寛永6年
(1629年)岩国領主、吉川広正により再興が命じられた瀬田村ほかの
氏神である。
現在の本殿は、棟礼によれば、正徳5年(1715年)吉川亀次郎(6代藩
首径永の幼名)の命で、建立されたもので、桁行40.6m、染間3.97m
前室付き三間社流造り向拝(本殿の正面の引り出し部分)一間、銅板葺
である。全体的に装飾的要素が少なく、とくに妻飾り(屋根の両端の三角
形の部分)を亥叉首(いのこさす)。棟木を支えるために2本の木材を山
型に組んだもの。叉首(さす):合掌とするなど古形式をとどめている。
細部の絵様も控えめで、虹梁(こうりよう、虹の形のように曲がった梁(は
り)の渦、若葉は細く張りのある線をもつ。また、虹梁も端に線彫りで袖
切りをあらわすが、その両端の材の幅をたたまずに、そのまま他の材と
つなげる手法は珍しい。
以上のように古く(室町時代)からの神社建築様式を継承し、しかも棟礼
により年代の確実な山口県下でも数少ない18世紀初頭の神社建築で
ある。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 


阿品弥山

2014年02月24日 08時33分17秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

 

                              阿品弥山
            ( 美和町)

 

 

 

 

 

 

平成26年2月23日(日)冬の好天気に恵まれたので、一度はこんなに
近くにあるのに阿品の弥山に行った事がなかったもので見学に行きました。
阿品の弥山登山口から自動車にて10分~15分位で阿品弥山(435.2m)
に着きました。

それでは少し阿品の弥山について述べて見ます。

信仰の山で、今では山頂迄車道が上り、祭りの日ともなると車でお参りす
る人が多く見られます。阿品名山とも呼ばれた事も有ります。
山頂は昔の阿品村、日宛(ひなた)村の境に成っており、阿品には弥山堂
互谷には赤滝神社、そして旧美和町の日宛には日宛神社(弥山本宮)があ
ります。弥山(435m)は旧岩国と旧山代との境界の山で、古くから日本最
南端の弥山として、広く弥山信仰者のメッカとなっていました。

「古村記」「享保増村記」「岩邑年記」「岩国市誌」など多くの書籍に記述が
みられ、天明9年8月(1789年)に登った。司馬江漢の「西遊日記」にも
記録がある。江戸時代迄は一つの弥山社とされていたが、明治維新後「神
仏判然令」により、「阿品の弥山堂」「互谷の赤滝神社」「坂上の日宛山神社」
の三つに分離された。現在は頂上まで車道があり、参拝が大変容易になって
います。
毎月の4日、14日、24日、が祭日として賑わい、特に1月4日、14日、は
参拝者が一段と多くなっています。
海底から隆起したチャート岩盤の絶壁上に建てられた展望台からの眺望は、
南は海を隔てて四国を望み、北は中国を望み、中国山脈の王蜂がパノラマ
のように見え、雄大でため息の出る程美しい。
万人に是非一度は登山し参拝されることをお勧めしたいと思います。

    

 

 

 

 

 

 


周防国分寺(すおうこくぶんじ)

2014年02月15日 15時41分23秒 | 旅行

 

 

                            周防分寺
          (すおうこくぶんじ) 

 

 

           

 

 

 

平成26年2月11日(火)M君と防府地方にドライブ旅行に出掛けました。
今回はブログ第3弾目として、(防府)国分寺をお載せ致します。

それではいつものとうり国分寺を少し述べて見たいと思います。

周防国分寺は、山口県防府にある仏教寺院で、高野山真言宗の別格本山
である。山号は浄瑠山。天平13年(741年)の聖武天皇の詔により各国に
建立が命じられた国分寺のうちでその一つの周防国の国分寺である。
境内地は国の史跡に指定されており、金堂内で迫力の仏像拝観が゛てきま
す。聖武天皇の勅願により国ごとに建てられた官寺のひとつで創建当初の
境内に今も伽藍を残すきわめて珍しい例として知られて居ます。
大平山ロープウェイから見渡せる防府平野は、防府天満宮、毛利氏庭園、
周防国分寺東大寺別院阿弥陀寺の建造物をはじめとする。
歴史と文化がいっぱい詰まった宝箱です。


毛利庭園及び博物館

2014年02月14日 09時40分34秒 | 旅行

 

 

 

                   毛利庭園及び博物館

 

 

 

 

 

平成26年2月11日(火)M君と防府地方にドライブ旅行に出掛けました。
其の時毛利庭園及び博物館をブログ第2弾目としてお載せ致します。

それでは少し毛利家の歴史及び博物館をお話し致します。

毛利家の歴史

鎌倉幕府創設の功労者大江広元を祖とする毛利氏は、その子李光が本
拠相模国(現在の神奈川県)毛利荘にちなんで毛利氏を名乗り、時親の
代に安芸国(現在の広島県)吉田荘に移住しました。
その後、元就により西国最大の戦国大名へ飛躍した毛利氏は、輝元時代
に長門国(現在の山口県)萩へ移り、その子秀就が初代長州藩主となりま
す。歴代藩主の努力で力を蓄えた長州藩は明治維新を実現、功により最
後の藩主元徳は公爵となりました。

毛利博物館

毛利博物館は旧長州藩主毛利氏の邸宅の一郭にある。邸は標高225m
の多々良山の南麓台地にあり、晴れた日には九州の国後半島までも展望
できる景勝の地である。明治25年に着工、大正5年に完成した。
その広さは庭園約84,000㎡、本邸約4,000㎡に及び、明治・大正の建
築・造園技術の粋をつくし、かつ自然の美を配した規模雄大なもので、朱
に本邸は書院造り様式の総ヒノキ造り、まさに当時代の頂点をゆく日本建
築・日本庭園として高く評価され、平成8年に国から名勝に指定された。
昭和41年、明治100年を記念して財団法人を設立し、毛利家から本邸・
庭園ならびに毛利家伝来の家宝を一括して寄贈を受け、これを一般に公
開するとともに、国民の財産として永久保存の措置を講ずることになった。
毛利博物館には雪舟筆四季山水図をはじめ国宝・重要文化財など48件
をふくめ、平安時代以降、中世・近世・近代の美術工芸品や歴史資料、古
文書など約20,000点余りをしている。

           

 

 

 

 


防府天満宮

2014年02月12日 17時14分38秒 | 旅行

 

 

                        防府天満宮

 

 

 

 

 

 

平成26年2月11日(火)友達のM君と冬の好天気に恵まれたので防府
天満宮方面に日帰りのドライブ旅行に出掛けました。
見学した所は防府天満宮、毛利庭園、旧毛利家本庭、毛利博物館、国分寺、
等を見学して帰りました。その中でまず第一に防府天満宮をブログに載せて
見ようと思います。

それでは少し防府天満宮を述べて見たいと思います。

防府天満宮は学問の神様菅原道真公を祀る。日本最初の天満宮といわれ
る防府天満宮には約50種類1100本以上もの紅梅、白梅の樹が有り、梅
の名所としても有名です。
毎年2月上旬~3月中旬に美しい花を咲かせるこの梅を皆で楽しもうと植え
られたものです。防府天満宮は京都の北野天満宮、福岡の大宰府天満宮、
と並んで日本三神に数えられる祭神は菅原道真公。
市街が一望出来る高台に有り、梅と桜の名所として知られて居ます。
市内北部は、防府天満宮の門前町として商業が発展、南部は、毛利藩時代
からの三白(米、紙、塩)政策の一つ製塩業の廃止を契機に塩田跡地に企業
誘致を進め今日、大規模な自動車組み立て工場(東洋工業マツダ)など輸送
機具製造業が出来ました。