ブログにて日常の記録

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 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

四十七義士の石碑と赤穂城の中内堀と門壁

2013年06月29日 18時48分03秒 | 旅行

 

                          四十七義士の石碑と
                                赤穂城の中内堀と門壁

 

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月8日(土)M君と姫路城と赤穂城跡を見学に行きました。
今回の第10弾目のブログにて、姫路城方面と赤穂城跡は最後にな
りました。大変長らくご愛読して下さいまして誠に有りがとうございま
した。

それでは最後のブログ赤穂城の半分の城をご紹介致します。

赤穂城の大手門から進んで行きますと、桝形虎口を抜けた先に、
現存するのは長屋の半分以下で、門扉の部分は有りません。
赤穂城の起こり赤穂城の歴史は室町時代の中頃に赤松満祐の一
族が東有年にあたった大鷹城をこの地に移した事に始まると言わ
れていて、どうやら現状の赤穂城跡は城跡半分、市街地半分とい
った奇妙なバランスで成り立っているようです。
赤穂城跡公園は赤穂市役所の南側にある赤穂城公園が城址。
播州赤穂と言えば忠臣蔵でお馴染みの浅野家の居城であり、
姫路城に行く前に30分もあれば容易に見学出来ると思って居ま
したが、意外や意外、城の規模は想像以上に大きくて見所も多か
ったです。


大石邸長屋門

2013年06月27日 18時23分42秒 | 旅行

 

                   大石邸長屋門

 

 

 

      

 

 

平成25年6月8日(土)M君と姫路城と赤穂城跡を見学に行きました。
今回のブログは第9弾目の大石邸長屋門をお載せ致します。

それでは大石邸長屋門を少しお話致します。

大手門から桝形を通り抜けると、家老であった大石良雄の居宅跡が
有ります。残念なことに居宅は享保年間(1716年~1736年)の火
災で大半は消失しましたが、江戸の悲報を知らせる早打ちがたたい
た長屋門や庭園は昔のままです。
大石邸長屋門は国指定史跡浅野赤穂藩の家老、大石家3代の屋敷
の長屋門で、屋敷は畳数にして308畳の広大な邸宅でした。
浅野内匠頭の人情事件の際、その知らせを持って早駕籠で駆けつけ
て早水篠左衛門、菅野三平が大石内蔵助に知らした部屋が有ります。
浅野長直の赤穂藩入封以来、家老職を務めた大石家3代の長屋門。
間口28間(約50.5m)奥行45間5尺(約83m)という大邸宅だった
が、1729年(享保14年)の火災で建物の大半を消失しました。
 

又、大石邸庭園は元禄の昔大石内蔵助、リク夫妻、主税を始め子女
らがそぞろ歩きをし、嬉々として戯れ遊んだ池泉観賞式回遊式の江
戸初期の古庭園である。

 

 

 

 

 

 


大石神社と義士資料館

2013年06月25日 16時25分20秒 | 旅行

 

 

               大石神社と義士資料館

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月8日(土)M君と姫路城と赤穂城跡を見学にいきました。
今回のブログでもう第8弾目になりましたが全部で第10弾目迄は有り
ますので最後迄宜しくお願い致します。尚、今回は大石神社と
義士資料館をお載せ致します。

少し大石神社と義士資料館をお話し致します。

赤穂城は浅野家初代藩主浅野内匠頭長直(刃傷をした長短の祖父)
が13年の歳月を費やして築城した変形輪郭式の海岸平城で、近世の
名城として国の史跡に指定されている。
三の丸には大石内蔵助ら四十七士を祀る大石神社が有り、元禄時代
の建物として唯一現存する大石旧邸長屋門がある。

★又、義士宝物殿には四十七士の討入関係の遺品や城請取り関係の
貴重な資料を展観、同別館には浅野家及び明治廃藩までの城主森家
の先祖森蘭丸ら戦国武将着用の甲胃武具が多数陳列してある。
また義士像奉安殿には大紋鳥帽子姿の浅野長短像、裃姿の大石良雄
像を始め現代超一流の木彫家が精魂こめて制作した四十七義士の木
像を奉安してあります。

 

 

 

 


私の定年後の野菜作り

2013年06月23日 10時57分13秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

               私の定年後の野菜作り

 

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月23日(日)今日は梅雨の為朝からどんより曇った空
ですが、今日は又、いつもの旅行より違ったブログをお載せ致します。
このビデオーは6月23日(日)午前9時頃撮影したものです。

それでは私の定年後の野菜作りについてご紹介致します。

私は現在満72歳で定年してからもう12年も立ちますが、まだ少し
アルバイト(岩国総合支援学校の添乗員)をして子供さん達を学校迄
マイクロバスにて午前と午後に送迎をして居ります。
その余暇を利用して、野菜作りをして居ります。私も最初はほんの趣
味程度でしたが、現在ではかなり本格的に野菜作りに専念して居りま
す。野菜も私の家だけでは食べ切れませんので、子供達、や孫達、隣
り近所の人や、私の故郷(岩国市美和町牛峠)などに野菜を持って入
ります。現在故郷ではサル、やイノシシ、が出て作物を食い荒らすので
野菜は出来ません。
町から田舎に逆輸出する様なものです。これも時代の流れで仕方が有
りません。私の作った野菜を故郷の人に喜んで食べてもらうと、又、私
も喜びがはかり知れんものが有ります。


大石神社外周

2013年06月22日 13時09分09秒 | 旅行

 

                   大石神社外周

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月8日(土)M君と姫路城と赤穂城跡を見学に行きました。
今回のブログ第7弾目は大石神社外周をお載せ致します。

いつもの様に大石神社外周をお話し致します。

大石神社から入場、スタンプは放置お城見学のみならず、浅野家の
義士達の菩提寺「花岳寺」大石神社等その他の史跡を廻ると、3~4
時間はかかると思います。出来れば時間内で外周を探索しました。
外周は高さ4~5mの土塁で囲まれ、内部にあった御殿・藩庁が置か
れていました。本丸をカバーしたこの二の丸・・・現在大石邸には大石
神社が祀られ大石邸長屋門、近藤源八邸長屋門が現存しています。
城内に大正元年(1912年)に建てられた大石神社が有り、大石内蔵
助以下四十七に加えて、余儀なく切腹に追い込まれた菅野三平が祀
られています。表御殿南面に広がり、東西38m、南北26m、外周150
mの広さで、二つの岬、三つの入り江、中央に中島を持って居ます。

 

 


赤穂城跡と大石神社

2013年06月20日 10時04分00秒 | 旅行

 

 

               赤穂城跡と大石神社

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月8日(土)M君と姫路城と赤穂城跡を見学に行きました。
今回のブログ第6弾目は赤穂城跡と大石神社をお載せ致します。

それでは少し赤穂城跡と大石神社を述べて見ます。

赤穂城跡、浅野長直の指示によって慶安元年(1648年)から13年の
歳月をかけて築かれた赤穂城は近代城郭として整備されました。
築城にあたっては、甲州流軍学と山鹿流軍学に従って築かれた城であ
り、その構造は戦を強く意識しております。

★次に赤穂大石神社は赤穂城跡付近にあります。この神社は明治33
年に神社を創立し、大正元年11月に四十七義士命を祀る神社として
ご鎮座になったとのことです。
ご祭神は「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助良雄以下四十七義士命を祀
られています。

        

 

 

 

 

 


西の丸の中

2013年06月18日 20時49分41秒 | 旅行

 

 

                      西の丸の中

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月8日(土)M君と姫路城と赤穂城跡を見学にいきました。
今回のブログ第5弾目は姫路城西の丸をお載せ致します。

いつものように西の丸を少しお話致します。

姫路城西の丸には現在は渡櫓とこれを結ぶ長局(ながつぼね)と化粧
櫓が現存する長局には侍女達の部屋が有り、化粧櫓は本多忠政が伊
勢桑名から移ってきた時に、千姫の化粧料10万石で元和(1618年)に
建てられたものである。
姫路城/西の丸は国宝で日本4城の一つで、織田、と、徳川、と、浅井
の血を引く戦国姫の城です。

★姫路城天守の置かれている「姫山」は古名を日女路の丘と称した。
「播磨国風土記」にも「日女道丘(ひめじおか)の名が見られる。
姫山は桜が多く咲いたことから「桜木山」転じて「鷺山(さぎやま)とも
言った。天守のある丘が姫山西の丸です。

 

 

 


西の丸の外周

2013年06月16日 06時55分53秒 | 旅行

 

 

                     西の丸の外周

 

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月8日(土)M君と姫路城と赤穂城跡を見学に行きました。
今回はブログ第4弾目は西の丸の外周をお載せ致します。

姫路城西の丸の外周について少し述べて見たいと思います。

姫路城西の丸、菱門の西側を南に登る坂の下が西の丸南東隅の力櫓。
ワ櫓を東から、左は力櫓との土塀、右はし渡櫓、ワ櫓北側、「百間廊下」
入口、レ渡櫓レ渡櫓は1層だが、この屈曲部で石垣が一段高くなります。
普段は入ることの出来ない、夜の姫路城西の丸庭園の桜ライトアップで
花あかり、コンサートやプロジェクションマツピングも有ります。
今年のテーマは「夜桜官兵衛」で黒田官兵衛をイメージした青色の配色
で夜桜を楽しませてくれます。
姫路城西の丸長局(百間廊下)千姫ゆかりの西の丸櫓群の外観を眺め
ながら散策するコースもいいものです。


姫路城修理の模様

2013年06月14日 18時59分42秒 | 旅行

 

 

                姫路城修理の模様

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月8日(土)M君と姫路城と赤穂城跡を見学に行きました。
今回はブログ第3弾目は姫路城修理工事の模様をお載せ致します。

それでは姫路城の事について少し述べて見たいと思います。

姫路城は現在本丸は修理中で「平成の大修理」をしていて、天守閣
を丸ごと囲う巨大工事用の櫓を組んで、その中で作業が行われてい
ます。その中には見学用施設「天空の白鷲」があって工事の模様を
見学することが出来ます。

★姫路城は兵庫県姫路市の小高い丘、姫山にある平山城。
姫路城が最初に築かれたのは、鎌倉時代の末期、元弘3年(1333年)
播磨の豪族、赤松財村が、西国からの幕府方の攻撃に備えて、ここに
城を築いた。その後も、西国統治の重要拠点として羽柴秀吉が使用
して居りました。
姫路城は標高45.6mの姫山を利用して構築された平山城、天正8年
(1580年)羽柴(豊臣)秀吉が3層の天守閣をもつ城郭に改修、慶長
6年(1601年)からは池田輝政が8年の歳月をかけて5層7階の天守
をもつ現在の城にしました。

 

        

 

 

 

 

 

 


姫路城の中に入る手前

2013年06月12日 19時19分47秒 | 旅行

 

              姫路城の中に入る手前

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月8日(土)M君と姫路城と赤穂城跡を見学に行きました。
今回のブログ第2弾目は姫路城の中に入る手前の事をお載せ致します。

それでは姫路城の事について少しお話致します。

姫路城に入るのにはいろいろ迷路の門をくぐり抜けなければお城に入る
事は出来ません。
まず いの門は脇戸付高麗門、切妻造本瓦葺です。ろの渡槽(井戸が
あり天守に近い貴重な水源です。
次に、 はの門は脇戸付櫓門、切妻造、本瓦葺です。又、にの門は鉄板
張りの潜り戸付櫓門と二重の隅櫓及びこの2棟を結ぶ続櫓を組み合わ
せた変形櫓です。ほの門は、塀中門で片開き扉の埋門です。
門扉は、鉄板張りで土砂などで門や通路を封鎖することができます。
への門は潜り戸付き高麗門、「打出の小槌紋」の鬼瓦が見られます。
ところどころ補強石垣が有り、江戸時代初期の補強石垣です。
又、切込みハギの石垣で姫路城では数少ない切込みハギの石垣です。
少し奥に入って行くと扇の包配の打ち込みハギの石垣。
隅を「算木積み」で築き、上部に行くに従って傾斜が急になる「返り」が
見られます。又、少し奥に行くと ちの櫓二重二階の隅櫓、櫓自体に
入口はなく、りの一渡櫓から入ります。
そして りの門脇戸付高麗門、「慶長四年大工五人」の墨書の発見さ
れ豊臣秀吉の義兄木下家定の時代に建てられたことがわかりました。
以上で姫路城に入る手前迄の説明は終わりますが次回のブログにて
国宝姫路城大天守保存修理工事の模様をお載せ致しますので宜しく。

 

 

      

 

 

 

 

 


姫路城外周

2013年06月10日 06時58分31秒 | 旅行

 

                    姫路城外周

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月8日(土)今日は梅雨というのに大変良い天気なので、
M君といつもの様に日帰りのドライブ旅行に姫路城と赤穂城跡を見学
に行きました。午前7時に岩国の自宅を出発して山陽自動車道をつぱ
しり、途中何回かサービスエリアによって午前11時10分に姫路城に
着きました。
現在姫路城本丸は修復の為外から見る事は出来ません。まず最初は
姫路城外周を歩いて桜門橋を通って史蹟姫路城の中に入り千姫(徳川
秀忠2代将軍の長女)のぼたん園を見学しました。
姫路城境内の広いこと広いことかなり歩かないと城迄着きません。
又、千姫のぼたん園も大変良く手入れが行き届いて美しかったです。

それでは少し姫路城の概要をお話し致します。

築城 1601年 池田輝政(徳川家康の女婿)築城の工を起こす。
    1609年 天守閣竣工
    1618年 本多忠政 嫡子忠刻とその室千姫(徳川秀忠長女)
           のために西の丸を造営し、今日に残る城郭の全容
           が整う。
敷地 内濠以内 約7万坪(23ヘクタール)外濠以内約70万坪。

文化財 国宝8棟(天守閣群)重要文化財74棟(その他の建造物)
      面積約2.400㎡ 重量約5,700t

大天守の鯱  高さ1.9m 重さ375㎏


ヤフオク!ドーム(ソフトバンク対阪神タイガース)

2013年06月05日 19時32分43秒 | 旅行

 

                 ヤフオク!ドーム
       (ソフトバンク対阪神タイガース)

 

 

 

 

 

 

 

平成25年6月2日(日)福岡ヤフオク!ドームにてソフトバンク対阪神
の試合を見学に行きました。
この日は朝から梅雨の空で雨が降って居りました。でも福岡ヤフオク
!ドーム球場はドームなので雨の心配がなく予定どうり有りました。
午前8時に岩国駅を岩国観光バスにて出発して途中玖珂インター、
下松インター、新山口駅、にお客を乗せて山陽自動車道~中国自動
車~九州自動車道を通り福岡ヤフオク!ドームに着いたのが12時20
分位でした。さっそく球場の中にて昼食をして、午後14時の試合開始
迄に時間が有るので阪神とフオークスの練習を見学しました。
試合の方は、先発ピツチャー阪神、藤波と、ソフトバンクV、バディーヤ
の投げ合いで始まりました。
どちらも決めてがなく5回位迄は点が入りませんでしたが、5回6回で
ソフトバンクが1点づついれその後阪神が7回の表で3点を入れました
が8回に阪神が1点を入れ8回の裏にソフトバンクが1点入れましたが
何とか、阪神が4対3にて逃げ切りました。
それにしてもヤフオク!ドームにて阪神ファンの多くさん居る事には、
ビックリしました。ドーム球場の半分は阪神ファンでした。
阪神ファンは全国的にファンが居るとは聞いて居りましたが?
しかし
私しは、どちらのファンでも有りませんが、出来れば
セリーグが勝てば良いと思っています。
又、少しブログに載せるのに遅れましたがあしからず!!

それでは少しヤフオク!ドームの概要をお話し致します。

●会社名=福岡ソフトバンクフォークス株式会社
●創立  =昭和13年、優勝回数17回
●事務所=福岡市中央区地区地行浜2-2-2
●本拠地=福岡ヤフオク!ドーム
●収容人員=38,561人
●グランド面積=13500㎡
●本塁~左右両翼迄100m
●本塁~中堅迄122m