ブログにて日常の記録

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 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

砲兵詰所跡

2019年11月30日 08時31分25秒 | 四国88箇所1番~45番迄

                                          対馬旅行
                                                     砲兵詰所跡

 

 

 

令和元年11月22日~24日迄長崎県対馬市方面に妻と2人で旅行に行きました。
午前7時5分新岩国駅を出発して、午前8時18分博多駅に着きました。
博多~福岡空港迄地下鉄にて10分位で福岡空港に着き、福岡空港10時5分発~
対馬空港に10時45分に着きました。飛行機は早い者で40分ばかりで着きます。
フエリーなら4時間掛かかります。高速船で2時間掛かるそうです。
次に観光タクシーにて午前11時~17時迄対馬を観光しました。
ただこの記事をお載せするのに少し日にちが空きましたが色々雑用が有りまして
遅く成りました。あしからず。

◆それでは少し対馬を述べて見ます。

日本の離れ島で3番目(北方領土と沖縄本島を除く)に大きく韓国迄わずか40㎞
の国境離れ島の長崎県対馬。韓国展望所は対馬の最南端にあるため、対馬中心
部にある空港から車で2時間ほど掛かります。日韓国境に近く、旅行者の大部分
を韓国人が占める長崎県・対馬のホテルや飲食店などの観光業が、日韓関係悪化
による韓国人旅行者の激減に悲鳴を上げているそうです。韓国釜山から高速船で
1時間強とア
クセスが良く、人口は約3万人の島である。

上見坂堡塁(かみざきほうるい)展望所の裏にある遊歩道を5分ほど歩くと、雰囲気
が一変し、明治時代の砲台跡などが姿を現します。砲兵詰所跡=兵の仮眠所とあり
ますが、待避所などいろいろな説があるようです。堡塁の入り口付近にツツジが咲
いていた。九州本土より開花が遅いようだ。砲兵詰所(待避所)跡。弾薬庫跡、
門柱、砲座跡、国道382号線から車へ2㎞、行き泊まり付近に比較的広い駐車スペ
ースがあり、砲台跡迄徒歩40分で砲台跡まで行かれます。大阪砲台工廠(ほうへい
こうしょう)表門と守衛詰所表門…大阪砲兵工廠にはいくつかの間が、ここが正門
である。入った横に守衛詰所、焼跡地は不発弾が多く危険だという理由で放置され、
見るも無残な有様で有りました。

 

 


岡山城 パート1

2019年11月16日 08時00分56秒 | 四国88箇所1番~45番迄

                                                             岡 山 城 

 

 

 

令和元年11月13日(水)岩国歴史研究会の秋の日帰り旅行が有りました。
行く場所は、岡山県の岡山後楽園&岡山城に巡見旅行に行きました。今回は新幹線
にての旅行で、新岩国駅改札口午前9時分集合して新岩国駅午前9時29分発岡山駅
に11時31分到着しました。先に岡山後楽園を見学してその後は私と波羅様と2人
で岡山城を見学しました。

 

◆それではいつもの様に岡山城を少し述べて見ます。

岡山城(鳥城)


戦国時代、備前に"国盗り"の雄として登場した宇喜多直家。
その子秀家は豊臣秀吉の厚遇を受けて、慶長2年(1597)壮麓な岡山城を竣工。
それは、秀吉の大阪城を偲ばせる古式の名城です。
黒い下見坂張りの外観から鳥城と呼ばれ、金箔瓦を多用したうえに、金箔の鯱
を上げていたと伝えられています。創建時の岡山城は昭和20年の戦火で焼失し
ましたが、昭和41年に再建。築城400年を機に創建時を想定して平成8年に金
箔の瓦と鯱を上げ、往時の輝きを再現しています。


岡山 後楽園 

2019年11月15日 16時30分37秒 | 四国88箇所1番~45番迄

                                                        岡山 後楽園 

 

 

 

 

令和元年11月13日(水)岩国歴史研究会の日帰り旅行が有りました。
行く場所は岡山県の岡山後楽園&岡山城に巡見旅行に行きました。今回は新幹線
にての旅行で、新岩国駅改札口、午前9時分集合又新岩国駅午前9時29分発岡山
駅11時31分に到着しました。早速岡山後楽園迄タクシーにて約10分位で着いて
岡山の後楽園内にて、昼食を取りいよいよ現地の観光案内人に従ってまず最初に
鶴鳴館を見学しました。

 

◆それでは岡山後楽園内(鶴鳴館)を少し述べて見ます。

 

現在の鶴鳴館は、以前山口県岩国市に建っていた旧岩国藩主吉川家の住宅を移築した
ものである。明治23年(1890)に吉川家の宗家である公爵毛利家が家憲を制定し、
住居地を山口県に置くことを決定した時、吉川家もそれに倣い。明治24年(1891)
住居を岩国に移し、本邸の建築に着手、明治25年(1892)暮れに竣工したのがこの
建物である。
現在の鶴鳴館及び本館は昭和24年(1949)後楽園が「岡山産業文化大博覧会」の会場
となった際に、岩国の吉川家住宅を購入、元の鶴鳴館があった場所に移築されたもの
である。

 

◆日本三名園の一つ、岡山後楽園は世界に誇る文化財。

 

岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に
着工、元禄13年(1700)には一応の完成をみました。その後も、藩主の好みで加えら
れましたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。
また、江戸時代の絵図や池田家の記録、文物が数多く残され、歴史的な返遷を知るこ
の出来る、地方では希な大名庭園となっています。