ブログにて日常の記録

旅行=(日本各所) 畑作り=(100坪の土地に野菜作り)
 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

岩国城

2016年08月28日 11時04分31秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                             岩 国 城

 

 

 

 

 

 

 

 

平成28年8月26日(金)に午前中、畑の水まきも(キューリ、ナスビ、)終わり、
友達のYさんと岩国城にでも行って見ようと相談して、近くの岩国城に行きました。
岩国城は近くなので私は度々行っては居ますが、又、城見物は私にとっては大変
好きなもので、違った感覚で見物致しました。

◆それではいつもの様に岩国城を少しお話し致します。

●城下町岩国の沿革

岩国地方には、平安末期に「岩国氏」と称する「平安」に属する一族がいて、相当
の勢力を持っていましたが、寿永4年(1185)「壇ノ浦の合戦」でその地位を失い
ました。之に代わって勢力をふるったのが「弘中氏」で、鎌倉時代末期には周防
国防国守護職であった「大内氏」の武将となっていました。
しかし、弘治元年(1555)「厳島戦争」で「毛利元就」に敗れ滅亡しました。
戦国時代の末期、中国地方のほとんど(8カ国3郡)を領有し、112万石の大大名と
なった「毛利氏」も、慶長5年(1600)、「関ヶ原の役」ののち、防長2国に厳封
され、出雲の国富田城(12万石)にあった「吉川広家」も岩国3万石(のち
6万石)
に転封されました。吉川氏の家系は藤原氏の分かれで、もともと関東が地盤でした。
「吉川氏」の始祖「経義」は、駿河の国に始まり、正和2年(1313)5代「経高」
は安芸国に移り、13代271年間の間活躍しました。
なお、初代岩国藩主「吉川広家」は、サンフレッチェ(3本の矢)の教訓状を書いた
「毛利元就」の子「元春(吉川氏の養子)の三男にあたります。
岩国藩は271年間、藩政の方針として、文武両面の振興と人材養成、文化の向上
につとめ、なお、2,000余町歩に及ぶ大干拓を行い、産業の振興、勤勉貯蓄の美風
に努めました。この結果、岩国藩の石高は、幕末には実質10万石以上と言われる
程になりました。

◆悲運の岩国城

岩国に移った「吉川広家」は、要衝の地横山の山頂に要害を、山麓に居館を築く
ことにし、慶長8年(1603)に山頂の起工式を行い、同13年(1608)に岩国城
が完成しました。横山の三方を迂回する錦川は天然の外堀で、川向こうに町割を
行い、城下町が形成されていきました。
緑の山頂にそびえる白亜の天守は、3層4階の上に物見を置くという、桃山風南蛮
造りの山城で、藩の象徴として仰がれていましたが、元和元年(1615)、幕府の
「1国1城令」により、完成からわずか7年で破却の運命に見舞われました。
以来、山下の居館だけで藩政治が行われました。第2次世界大戦後、岩国城再建
の動きが活発になり、昭和32年には遠く「ハワイ岩国市人会」をはじめ、市民
より多額の募金が寄せられ、復元されることになりました。

起工 昭和36年12月
竣工 昭和37年3月21日

再建された岩国城は、錦帯橋付近からの景観を考え、本丸南側に移動させました。

      

 

 

 

 

 

 

 

 


岩国シロヘビの館&旧目加田家住宅

2016年08月27日 12時59分25秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

 

                         岩国シロヘビの館
         旧目加田家の住宅

 

 

 

 

 

 

 

 

平成28年8月26日(金)私は今年出来た岩国シロヘビの館が見物したくて行きました。
最近出来たシロヘビの館は岩国ロープウェイのすぐそばにて有りました。
又、シロヘビのすぐ隣に旧目加田家住宅が有りますのでこれも一緒に見学しました。
けっこう私達が住んで居る岩国市でも見学する所が有るものです。

◆それでは少し岩国シロヘビの館を述べて見ます。

岩国シロヘビの館は、シロヘビを間近に身ながら、歴史や生態について楽しく学べる
ミュージアム! 国の天然記念物「岩国のシロヘビ」の見学をはじめ、資料や模型の展示、
イメージ映像、ゲームや体験展示で、シロヘビのことをたのしみながら学ぶことができます。
昭和47年(1972)、国の天然記念物に指定されたシロヘビ。体の大きさは長さ180㎝ほどで、
胴回り15㎝ほどで、目はルビーのように赤く、全身は白く光沢があり、その姿は美しく
神秘的です。性質はおとなしく、人に危害を加えることはありません。シロヘビは突然変異で
生まれた体が白いアオダイショウ。昔から岩国だけに集中して生息する貴重な生き物です。
岩国市は市民とともにシロヘビの保護・保存活動およびシロヘビの理解を広める普及活動を
行っています。

◆次に旧目加田家の住宅を少しお話し致します。

旧目加田家住宅は、十八世紀中頃と見られる中級武家屋敷の数少ない遺構として、国の重要
文化財に指定されています。錦川が氾濫し横山地区が冠水することを想定してか、武家屋敷
としては珍しく二階が造られていますが、表通り側(玄関側)には二階窓が有ります。
旧目加田家住宅は18世紀中頃とみられる中級武家屋敷の数少ない遺構で、国の重要文化財
です。目加田家は、天正年間に吉川元春に召し抱えられ、その後、吉川家が岩国に移封された
祭に藩主広家に従いました。旧目加田住宅は、岩国吉川藩士であった目加田家の住宅です。
 

 


錦帯橋の鵜飼

2016年08月21日 06時54分33秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

 

                           錦帯橋の鵜飼

 

 

 

 

 

 

 

 

平成28年8月19日(金)友達のYさんと一度岩国錦帯橋の鵜飼船に乗って見ようと
話し合いました。私も岩国に住んで居ますが一度も錦帯橋の鵜飼船に乗った事は
有りませんでした。恥ずかしながら今回が私は初めて錦帯橋の鵜飼船に乗りました。
午後18時45分受付開始して、午後19時~21時分迄鵜飼を屋形船で鑑賞しました。

◆それでは鵜飼を少しお話し致します。

「鵜飼い」は錦帯橋上流の錦川で行われる夏の風物詩で、鳥帽子や腰巻など古式
豊かな衣装に身を包んだ鵜匠が巧みな手縄さばきで鵜を操る伝統漁法です。
鵜船の篝火が錦川の川面に映り大変幽玄な光景が展開されます。起源は古く約370
年前と言われて居ます。
岩国市にある日本三名橋の一つ「錦帯橋」。その下を流れる錦川で行われ、夏の
風物詩となって居るのが鵜飼です。鵜飼は岩国市民の誇るべき伝統文化ですが、
近年、鵜飼を鑑賞する遊覧船の乗客数は低迷を続けています。
錦帯橋の鵜飼夏の風物詩「錦帯橋の鵜飼」は古式豊かしい衣装に身をかためた鵜匠
が、巧みな手網さばきで鵜をあやつる伝統漁法です。篝火が川面に写り、錦帯橋を
浮かび上がらせる様を、一度御覧くださいませ。

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 


宮島水中花火

2016年08月13日 20時04分50秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

 

                          宮島水中花火

 

 

 

 

 

 

平成28年8月11日(木)宮島水中花火大会が19時45分~20時45分迄有りました。
友達のYさんと宮島水中花火を見学しょうと話し合いまして行く事にしました。
今年は少し早めに岩国を15時30分自動車にて出発して、宮島に到着したのが
16時10分位でしたが、どこの駐車場も満杯で又、しかたなく宮島ちゅうぴー
パーク(中国新聞)迄下がりようやく駐車する事が出来ました。
ちゅうぴーパークより15分位歩きようやく宮島口連絡船乗り場まで到着しました。
さっそく連絡船往復キップを買って一路宮島へ、宮島に渡るとなんと人の多い事
多い事1歩ゆづりで、宮島大鳥居近く迄行き、場所の良い所を確保しました。
宮島の花火は、中々迫力が有って、錦帯橋の花火では見る事が出来ない海から
吹き上げる水中花火は見て居てもまるで海を真っ赤に染めて花火が海に浮かんで居る
様に見えて大変感動しました。

◆それでは少し宮島水中花火について述べて見ます。

宮島の夏を彩る一大イベントがこの宮島水中花火大会です。水中花火船より海中に、
投げ込まれた水中花火は大音響と共に炸裂し、朱の大鳥居や厳島神社の社殿を幻想的
に浮かびあがらせます。日本花火百選では最高のローケションと言うことです。
2016年は8月13日開催でした。宮島水中花火大会は中規模の花火大会ながら、
大鳥居を前景に大玉の打ち上げ花火が開花します。又、錦帯橋の花火の時でも大変
多くさんの人が居てごったがえしましたが、宮島は日本三景の一つだけ有って人、人、人
でした。島内や対岸に陣取った人約35万8千人(主催者発表)が5千発余りの光のショー
に見入って居ました。呼び物の水中花火は約150発。大音響とともに海面に扇形に
広がる光が大鳥居のシルエットを浮かびあがらせ、大きな拍手と歓声を誘いました。

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 


錦川水の祭典

2016年08月08日 08時36分55秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

                           錦川水の祭典

 

 

 

 

 

 

平成28年8月6日(土)岩国市の夏の風物詩(錦川水の祭典)が錦帯橋下河原にて今年
も有りました。約6,000発の花火が5連のアーチを彩りました。
約12万人(主催者発表)が見守る中花火大会は午後20時~21時30分迄有りました。
赤、青、黄色、等色とりどりの大輪が夜空を染めると、見物に詰め掛けられた家族
連れ達に歓声が上がりました。錦川水の祭典は毎年8月の第一土曜日に錦帯橋周辺
にて開催されます。今年は8月6日(土)に開催されました。
錦川水の祭典2016年8月6日(土)錦帯橋周辺(山口県岩国市)錦川の豊かな恵みに
感謝する祭りです。宝さがし大会、水温感謝祭、吹奏演奏会、岩国太鼓など盛りだ
くさんのイベントが催されます。夜には花火大会が開催され、錦帯橋を背景に
6,000発の花火が夜空を彩りました。
錦川水の祭典花火大会は、日本三名橋の一つである。錦帯橋を背景として打ち上げ
られる花火がなんとも風情が有ります。伝統的な鵜飼による夜の鮎漁を鑑賞するこ
とが出来ます。又、涼やかな屋形船に乗ってライトアップされた錦帯橋の夜空に
約6,000発の花火が舞い、川面にも映される光景は本当に素晴らしいものが有り
ました。又、私も1日の疲れが大変癒された夜でした。