ブログにて日常の記録

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 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

冠梅園

2011年02月28日 08時03分07秒 | 日常の散歩にて感じた事

                          冠梅園

 

 平成23年2月27日(日)妻と2人で光市の冠梅園に梅を見学に行きました。
 あの日は日曜日の為かしら結構人数も沢山来て居られました。
 広島の方面からも沢山来て居られたようでした。冠梅園の方は7分~8分咲き位
 でした。来週の日曜日には満開になるのではないかしらと思いました。
 冠梅園の梅は赤梅、白梅、黄色の梅、(蠟梅)と3種類位で又本数としてはかなり
 (1つの山が全部梅園) 有りました。


 次ぎに冠梅園について少し述べて見たいと思います。


 冠公園の中央に位置し、梅の里(冠梅園)へと拡がる庭園は、四季の香りが漂い、
 皆様に安らぎと、潤いを提供します。日本庭園菅原道真公ゆかりの冠天満宮に
 隣接する梅の里(冠梅園)には、100種類、約2000本の梅の木を公園にしたのが
 大変良かったものです。冠山総合公園は丘陸には遊歩道も整備されていて大変
 歩き安かったです。所々階段もあるので体力は少し消耗しますけどね。

 

                           梅 の 里 道 し る べ

 

              赤 梅 が 咲 い て 居 る 所

 

            白 い 梅 が 咲 い て 居 る 所

  

 

    黄 色 の 梅 (蠟梅) が 咲 い て 居 る 所

 

          夜 の 梅 園 見 物 の 為 (ボンボリ)

 

                        冠  橋

 

    み は る か す 梅 花 み 先 の 梅 真 白 (礼子)

 

         古 里 は 近 道 の あ り 赤 と ん ぼ (達子)

 

                     池  (庭 園)

 

          冠 天 満 宮 に 行 く 参 道 (石段)

 

                 梅 園 に 上 る 坂 道

 

                 赤 梅 が 咲 き 誇 っ て 居 る 所

 

        は る か 彼 方 に 見 え る の は 新日鉄の工場です。

 

 

 

 

 

 


星野哲郎先生 お別れ会

2011年02月14日 08時10分44秒 | 日常の散歩にて感じた事

             星野哲郎先生 お別れ会

 

 平成23年2月13日(日) 天気も昨日の大雪とは変わって本当に冬の天気です。
 妻に今日は大島の星野哲郎記念館にでも見学に行って見るかと話を持ち掛けて
 行く事に成ました。するとこの日は丁度星野哲郎先生のお別れ会が合って私達も
 一般参加として参列させて戴きました。
 星野哲郎先生は、大正14年(1925年)9月30日、山口県大島郡森野村和佐(現:周
 防大島町和佐)生まれ。本名、有近哲郎。開導小学校、安下庄中学校(現:周防大島
 高等学校)を経て、子供のころから憧れた高級船員を目指し、清水高等商船学校
 (現:東京海洋大学)に入学。昭和21年卒業。日魯魚業(現:ニチロ)のトロール船「第6
 あけぼの丸」に乗船。2年後、肝臓結核発病、昭和24年山口の日赤病院にて摘出手
 術。術後の経過が芳しくなく帰郷。以後4年間、闘病生活を送る。
 徐々に病状が回復してきたころに詞や小説を書きはじめ、子供達を集めて勉強を教
 えたり同人誌、文芸誌へ投稿したり家庭教師をするなどに生活の活路を見出す。
 昭和27年(1952年)、雑誌「平凡」の募集歌に入選。翌昭和28年(1953年)にデビュー作
 「チャイナの波止場」(作曲:竹岡信幸・唄:若山彰と初代コロンビア・ローズ)を発表。
 昭和30年(1955年)、同人誌「新歌謡界」に「むすめ巡礼」(作曲:下川博省・唄:鈴木美
 重子)を発表。昭和32年(1957年)、横浜開港100周年の歌募集で1,2位に当選した「浜
 っ子マドロス」「みなと踊り」(共に作曲:船村徹・唄:美空ひばり)を発表し、作詞家への
 道が開けた。同年、船村徹氏に励まされて上京。翌年の昭和33年(1958年)、遠縁で
 幼馴染の有近朱實と結婚。一男一女に恵まれる。同年、日本コロンビアと専属契約
 。昭和39年(1964年)には日本クラウンの創設に参加し専属契約をする。
 その後、昭和58年、(1983年)にフリーとなる。生涯に創作した作品は、4000曲を超え
 、数々のヒツト作を世に送り出した。日本音楽著作権協会(JASRAC)会長、日本作詩
 家協会(JLA)会長などを歴任。功績が称えられ、昭和61年(1986年)に紫綬褒章、昭
 和63年(1988年)に紺綬褒章、平成12年(2000年)には、勲三等瑞宝章を受章。
 この他にもレコード大賞、日本放送協会放送文化賞や第一回山口県文化特別功労
 賞を受賞するなど、数多くの賞を受賞し、昭和63年には、東和町(現:周防大島町)
 名誉町民となる。
 平成22年(2010年)11月15日午前11時47分東京都武蔵野市内の病院にて心不全の
 ため死去。享年85歳。

 

                           星野哲郎先生 お別れ会

 

 

      星野哲郎先生のお別れ会に送られた花束

 

 

星野哲郎先生のお別れ会が行われた東和総合センター 

 

             星野哲郎記念館の道しるべ

 

 

            星 野 哲 郎 の 記 念 館

 

 

            星 野 哲 郎 先 生 の 像

 

   星野哲郎先生が自宅にてくつろいで居られる所

 

 

              星 野 先 生 の 工 房

 

    星 野 先 生 の 工 房 の 中 に て 酒 場

 

 

             星 野 博 品 展 (収 蔵 庫)

 

                星 野 歌 酒 場

 

                星 野 劇 場

 

 

               二 行 詞 の こ こ ろ

 

 

 

 

 

 

 

 


防府天満宮

2011年02月10日 11時34分15秒 | 日常の散歩にて感じた事

                  防府天満宮

 

 平成23年2月8日にまだ少し早いかも知れませんが、防府天満宮の梅が見たくて
 出かけてみました。あんのじょうまだ少し紅梅は蕾でした。
 でももうすぐ咲くすんぜんのように思えました。防府天満宮は学問の神様らしく
 合格祈願の絵馬が沢山掛けて有りました。又、志望校に合格した受験生から返納
 された「合格はちまき」が良く洗濯して掛けて有りました。
 次に防府天満宮について少し述べて見たいと思います。防府天満宮は学問の神様
 菅原道真公を祀る、日本最初の天満宮といわれる防府天満宮には、約50種類1100
 本以上もの紅梅、白梅の樹が有り、梅の名所としても有名です。
 毎年2月上旬~3月中旬に美しい花を咲かせるこの梅を皆で楽しもうと植えられたも
 のです。防府天満宮は京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで日本三神
 に数えられる祭神は菅原道真公。市街が一望出来る高台に有り、梅と桜の名所とし
 ても知られて居ます。市内北部は、防府天満宮の門前町として商業が発展。
 南部は、毛利藩時代からの三白(米、紙、塩)政策の一つ製塩業が盛んだったが、
 昭和35年の製塩業の廃止を契機に塩田跡地に企業誘致を進め今日、大規模な
 自動車組み立て工場(東洋工業マツダ)など輸送用機器具製造業が出来ました。

 

               防 府 天 満 宮

 

            防 府 天 満 宮 に 行 く 参 道

 

  防 府 天 満 宮 に 行 く 参 道 の 鳥 居

 

                     毛 利 重 就 公 像

 

          合 格 御 礼 絵 馬 奉 納 所

 

              防 府 天 満 宮 の 紅 梅

(東風吹かば匂いおこせば梅の花主人なしとて春を忘るな)

 

              防 飛 二 期 生 の 碑

 

                あ あ 予 科 練

  

                   国 分 寺

 

                    滝 穴 橋

 

 

 

 

 

 

 


秋芳洞

2011年02月07日 11時11分51秒 | 日常の散歩にて感じた事

                   秋芳洞

 

 平成23年2月6日(日) 今日は冬晴れの天気に恵まれ、妻にささやかなレジャー
 で秋芳洞にでも行くかなと?話を持ち掛けると妻も秋芳洞は度々行って居るので
 と少し返事が重かったですが、日帰りのコースでドライブを兼ねて行ってみょうと
 急きょ話がまとまり、自動車にて家を午前8.00分に出発して岩国インターから
 (高速道路にて)午前10.00分には秋芳洞に着きました。
 途中山口から秋芳洞に抜ける道路には残雪が少し残って居りましたが、秋芳洞
 近くには、残雪は有りませんでした。
 でも秋芳洞周辺は5℃前後でしたが、秋芳洞の中は17℃(冬でも夏でも同じ温度)
 で温度差が12℃有りました。秋芳洞の中をしばらく歩くと汗が出て来ました。
 なにしく冬支度で(ジャンバーを着込んで居ました)したので暑かったです。
 この2月というのに秋芳洞は結構観光客が沢山居られました。特に韓国人が沢山
 見物にこられて居られました。最近は洞窟の中に所どころに置いてあるスピーカーで
 も、韓国語で洞窟中を説明されて居りました。
 さすが山口県(秋芳洞)は韓国に近いので来られるのだと思います。秋芳洞も色々
 観光客を呼びこむのに、あの手この手でやって居るのだなあーとつくづく感心しました。
 これでなくては観光客は集まらないと思います。

 

    次に秋芳洞の事を少し御話ししたいと思います。

 

 山口県の美祢市総合観光部による観光案内では、この秋芳洞は3億年の歴史を持
 った神秘の地、秋吉台。2005年に「秋吉台地下水系」がラムサール条約に登録され
 、2007年には秋芳洞とともに日本の地質百選に選定されて居ます。
 秋芳洞はその総延長は10㎞以上といわれ、地下の大殿堂を思わせる主洞と
 華麗さをいかんなく魅せつける黒谷支洞の1㎞が観光洞として公開されて居ます。
 その中にあって、秋芳洞は国の特別天然記念物に指定されており、秋吉台の地下
 100mにある洞窟で、秋吉台に降った雨水が石灰岩を徐じょに溶かしながら地下に
 浸み込む過程で出来て行った鐘乳洞としては、日本最大の長さを誇る大規模な洞窟
 です。
 

 

                           秋 芳 洞 入 り 口

 

                   秋 芳 洞

 

 

                   身 代 観 音

 

                    青 天 井

 

                    広 庭

 

                      南 瓜 岩

 

               百 枚 皿 の 写 真

 

                       大 松 茸

 

                   岩 屋 観 音

 

                    黄 金 柱

 

                 黄 金 柱 の 写 真

 

 

                   猿 す べ り

 

 

                     巌 窟 王

 

 

                  巌 窟 王 の 写 真

 

                    傘 づ く し 

 

                 傘 づ く し の 写 真

 

                  秋 吉 台 (国 定 公 園)

 

                                  秋 吉 台 の 岩

 

            秋 吉 台 の 外 の 風 景