ブログにて日常の記録

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川下まちづくり協議会(デルタミネ2011年)

2011年12月24日 17時59分38秒 | 日常の散歩にて感じた事

 

 

 

 

    川下まちづくり協議会(デルタミネ2011年)

 

 

    平成23年12月26日今年も後少しで終わりです。12月23日の (デルタミネ2011年) 今年最後のブログをお載せ致します。
  平成23年度川下まちづくり協議会(デルタミネ2011年)キャンドルナイトが開催されました。午後17.00分いよいよキャンドルナイトが始まりまた。
  次にゴスペル(中上さん)担当日本グループが有りました。 又中学生以下の部で(ジヤンケン大会) 色々な景品が沢山出て居りました。
  プログラムの順を追ってコーラスは、コール.マドレー総員24名の大合唱が有り、その後のフラダンスは、白いドレスでは(サレンダーフロムハワイ)
  赤のドレスでは(アフリーフラダンス、南国の夜) 青のドレスの方は(レイホオフラダンス) と色とりどりのドレスで踊られました。又、それが薄着で
  (外気の温度2℃~3℃)位でフラダンスを踊られる方は大変寒かったと思いました。 
   でも踊られる本人達は寒さなんかみじんも感じられない様に見受けられました。最後に(午後19.30分) 豪華景品、大抽選会が有りました。
  私もキャンドルナイトの抽選会にて初めて当たりました。今迄私は抽選で当たった事は一度も有りませんでしたが今回当たった景品は
  (オルゴール付小物入れ箱) が当たりさっそく持ち帰り孫にやりましたら孫も大変喜び今年の最後が良かったので、
  もしかしたら来年は良い年になるのではと私流に思いました。!!

 

        ◎それでは川下まちづくり協議会について少し述べて見たいと思います。

 

   そもそも川下まちづくり協議会のキャンドルナイトは、3年前から始まったもので川下をどうしたら活気づくか、まちづくり協議会のメンバー
  の皆さん達が考えて、イルミネーションを造り、その中でお祭り事をしたらどうかと案が有り始めたのがきっかけです。
  川下地区まちづくり協議会は、岩国市川下地区において魅力あふれる住みよい「まちづくり」を推進する団体です。このイルミネーションは
  12月4日のオープニングイベントから来年の1月9日のクロージングイベント迄楽しむ事が出来ます。
   尚、今年は第一回目(12月4日)は川下供用会館駐車場にて川下中学生の(吹奏楽の演奏) 川下小学校の舞が有り、川下地区の幼稚園の
  (チアガール、笛、太鼓) 踊りが有りました。第二回目は(12月23日) これはキャンドルナイトといって米軍の方のゴスペルなどを呼んで
  基地内の聖歌隊、岩国市内のフラダンス、コーラスグループなど日米4チームが出演しました。岩国市麻里布町の教会「キングスチャベル岩国」
  は男女13人が「ハレルヤコーラス」など6曲をゴスペルで披露されました。息の合ったパラフルな歌声に訪れた家族連れ達ち約300人も拍手で
  盛り上げました。第三回目は来年(1月9日) クロージングイベントで終わりです。この日は餅まきとうがございます。
  
   

 

     ◎それではいつものように下記の写真にてご説明致します。

 

      主 催 者 会 長 挨 拶 (まちづくり協議会)

 

 

             ゴ ス ペ ル (聖 歌 隊)

 

       コーラス(曲目、さがみ川、ソプラノソロ、ペチカ)

 

           フ ラ ダ ン ス (サレンダーフロムハワイ)

 

            フ ラ ダ ン ス (アフリイ、南国の夜)

 

 

              フ ラ ダ ン ス (レイホーヘ)

 

                   ゴ ス ペ ル (5人で唱歌)

 

                                      竹 灯 篭 (150個)

 

                        フ ラ ダ ン ス (ハワイアン)

 

             これは人権町のJR(東口の前のイルミネーション)

 

        同 じ く こ れ も J R (東口のイルミネーション)

 

       こ れ は 岩 国 駅 前 の (イルミネーション)

 

     同 じ く こ れ も 岩 国 駅 前 の (イルミネーション)

 

   こ れ は 福 祉 学 校 (YMCAの横のイルミネーション)

 

    同 じ く こ れ も (YMCAの横にあるイルミネーション)

 

       いよいよ私達の作った川下での(絆のイルミネーション)

 

        これは少し遠距離の為(イルミネーションが薄いです。)

 

      川 下 ま ち づ く り 協 議 会 (イルミネーション)

 

 

             川 下 ま ち づ く り 協 議 会 (イルミネーション)

 

 

 


伊万里(秘窯の里)大川内山

2011年12月13日 14時52分09秒 | 旅行

 

 

 

       伊万里(秘窯の里)大川内山

 

  平成23年12月4日~5日の岩国観光バスミステリーツアー旅行もいよいよ最後の見物する所(12月5日)は伊万里(秘窯の里)見て歩きでした。
 ここでは佐賀県伊万里市大川内山町(伊万里鍋島焼会館)を見学することとなりました。伊万里焼は有田焼とならんて゛窯焼きが大変有名です。
 伊万里焼窯は全部で30軒有りました。私達もこれから伊万里窯焼きを見て歩くことに致しました。

 

           ◆それでは大川内山の歴史を少しお話致します。

   秘窯の里「大川内山」は、延宝3年(1675年)から廃藩置県(1871年)まで佐賀県鍋島藩の御用窯が置かれていました。
   その藩窯では朝廷、将軍家や諸大名などへ献上する高品位な焼き物が焼かれ、これが世界の至宝「鍋島」と呼ばれて
   おります。このような歴史を有する大山内山では、30数軒の窯元がその伝統、技法を現在の伊万里焼に受け継いで居ります。

 

        ※次に窯元めぐりについても少しお話し致します。

 

    三方を山に囲まれた"秘境"ムードあふれる大川内山は、別名"秘窯の里"として親しまれています。
   まず目を奪われるのは、山水画にも似た切り立つ大屏風奇岩の景観です。この地は、中国景徳鎮の管窯の組織を模し鍋島藩
   の御用窯が置かれたところで、レンガ造りの煙突や窯元が立ち並び、今なお300有余年の歴史と伝統が息吹いています。

 

          ◎又、伊万里焼はどうして出来るかをご紹介致します。

 

      成形=ロクロ・鋳込などで形をつくる。

      乾燥=天日で生製品の水分をとる。

      素焼=焼成温度850℃~900℃で焼く。

      下絵付=鉱物性絵具(コバルト・鉄)で絵付する。

      施釉=石灰石・長石を細かく砕いた釉薬をかける。

      本焼=焼成温度1300℃で焼く。

      上絵付=本焼したものに色絵をつけ800℃前後で焼き上げる。

      窯出し=焼上がった焼き物を窯よりていねいに取り出す。

 

 

    ◆それではいつものとうり下記の写真にてご説明致します。

     

            伊 万 里 焼 (幟)

      伊万里・有田焼 伝統産業会館

           瀬 貞 (寛 右 門)エントツ

       鍋 島 藩 窯 坂 (矢印)

         鍋 島 藩 窯 焼 き 道 理

      

    伊 万 里 鍋 島 焼 窯 元 (川副青山)

  青 磁 の 長 春 (藩窯御細工屋敷跡) 藩 役 宅 跡 

               陶 咲 花 (伊万里焼)

       伝 統 工 芸 (泰 仙 窯)

          権 現 谷 窯

     陶 工 の 墓 (藩窯時代の無縁の陶工の墓)

           大 秀 窯 (香のかおる店)

        伊 万 里 の 案 内 板

         陶 芸 館 (伊 万 里)

     伊 万 里 の 案 内 板 横 の 水 車

       片 岡 鶴 太 郎 工 藝 館

   片 岡 鶴 太 郎 が 工 藝 を し て 居 る 所

    (伊万里) 片 岡 鶴 太 郎 が 書 い た 額

    


大隈重信記念館

2011年12月12日 14時14分54秒 | 旅行

 

 

      大隈重信記念館

 

    平成23年12月4日~5日の岩国観光バスミステリーツアーの行く場所の2箇所目は、大隈重信記念館でした。
  世界的な政治家として、また早稲田大学の創設者として有名な大隈重信の生誕125年を記念して、昭和41年11月大隈記念館が落成しました。
  館内には、大隈候にまつわる歴史資料館が展示され、その生涯をイラストやビデオーで解説して有りました。又、同敷地内には大隈重信旧宅
  (生家)があり、武家屋敷の面影を残した貴重なもので、国の史跡に指定されて居ます。 

 

   ◆それでは少し大隈重信旧宅 (生家) について述べて見たいと思います。

  現在の水ケ江2丁目、佐賀城下の会所小路は多くの武家屋敷があった所です。川筋には蔵屋敷や問屋が並び、小路には役人や
 商人が集まる会所があったことから、会所小路の名が付けられました。大隈重信は天保9年(1838年)ここで生まれました。
 生家は天保以前の武家屋敷の面影を残した貴重なもので、国の史跡に指定されています。
  平屋芧葺きに一部二階建ての瓦葺きの家屋は、重信がうぶ声をあげて成長した八太郎の時代の家庭とその遺徳をしのぶことができる
 貴重な遺跡になって居ます。庭園には大隈を敬愛した政治家・波多野敬直の筆になる「大隈重信候の誕生地」の記念碑が建っています。
 

   ※次に大隈重信候の有名な言葉 (失敗を恐れるな!!) を述べて見たいと思います。

 

  佐賀県が輩出した、近代日本の礎を築いた偉人「大隈重信候」。その大隈候の残した言葉につぎのようなものがあります。
 「諸君は必ず失敗する。成功があるかもしれませぬけど、成功より失敗が多い。しかし、失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ。
 失敗を恐れず、学びのチャンスと捉えて、成功につなげていく大隈候のこの姿勢は、ストレスや悩みが多い現在社会においても非常に学ぶ
 べきところが有ります。大隈詣では、佐賀県にある大隈候の様々なゆかりの場所を詣でることで、大隈候の生い立ちや人生を知り、何を思っ
 て早稲田大学を創設したのか、どのようにして日本初の政党内閣を組閣するという大事を成し遂げることができたか等その思想や考え方に
 触れて戴き、是非何かしら皆様の心に残るメッセージを感じて見て下さい。

 

     ◎それではいつものとうり下記の写真にてご説明致します。

           大 隈 重 信 候 之 像 (銅像) 

      大 隈 重 信 生 家 玄 関 (矢印)

 

       大 隈 重 信 客 間

      史 跡  大 隈 重 信 (旧宅) 石 碑

      大 隈 重 信 宅 (居 間 全 景)

       大 隈 重 信 宅 一 部 藁 ぶ き

        大 隈 重 信 記 念 館

       大隈重信記念館にて額が飾って有る所

  大隈記念館内にてガラスごしに資料が陳列されている所

       大隈重信候の碑文が書いて有る所

      岩国観光バス3台にてミステリー旅行

           


吉野ケ里遺跡

2011年12月06日 17時56分38秒 | 旅行

 

 

 

 

             吉野ヶ里遺跡

 

 平成23年12月4日~5日に掛けて岩国観光バスミステリー旅行に参加して行きました。ブロクに載せるのに少し後に成りましたがお載せ致します。
私は今回で岩国観光バスミステリー旅行は13回参加して参りました。ミステリー旅行は行き先が全然わからないので又いつもわくわくするものです。
今回は参加人数は86人で大型バス2台と、中型バス1台にて行きました。3台が一緒に岩国構内観光バスを出発して、さあこれからどこへ行くのやら?
でも岩国インター方面にバスは行くので、今年のミステリーは九州方面ではないかと予想は立ちました。
あんのじょうー岩国インターから下に向けてバスは走り出しました。途中新岩国駅、玖珂インター、前にてお客を乗せて一路下関方面に向けてバス
は走り、途中何回かサービスエリアによってトイレ休憩をして、まず最初にミステリー旅行に行く場所の佐賀県の吉野ヶ里遺跡を見学しました。
 私は以前何回か吉野ヶ里遺跡は来たことは有りますが、でもこうして団体で来たのは今回が初めてです
。団体なのでバスに集合する
時間が有るので
あまり遠く迄は見学しませんでした。なかでも重要な所だけを見学しました。

 

    ◆それではいつものとうり少し吉野ヶ里遺跡について述べて見たいと思います。

 

     吉野ヶ里遺跡の位置

 
  佐賀県神崎市、神崎郡吉野ヶ里町にまたがる丘隆地帯にあり、北の背振山地沿いには多くの遺跡が点在しています。

  
     吉野ヶ里遺跡の発見

 

  大正時代の末期から昭和時代の始めには、地元佐賀県や福岡県の研究者に注目され学術雑誌などに概が報告されていました。
 1970年代に入ると圃場整備や宅地化んどが出土しています。1986年工業団地計画による発掘調査が開始され、1989年大規模な
 環境が「邪馬台国時代のクニ」や「魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の集落と同じ作り」等と報道されたため、一躍全国的に注目
 を集める弥生時代の遺跡となりました。


     吉野ヶ里弥生集落の返遷

 
   吉野ヶ里遺跡では、弥生時代の全時期、さらには古墳時代初めに掛けての集落跡や墓地跡が発掘されており、ムラからクニの中心
  集落へと発掘していく過程が理解できます。

 

       環壕集落

   吉野ヶ里遺跡では、弥生時代初めに人が住み始めたと考えられており、この頃から集落を取り囲む大規模な環壕が掘削されています。
  弥生前期には2.5ha規模の集落であった吉野ヶ里は、弥生中期には20ha規模に発展し、弥生後期にはついに40haを超す国内最大
  規模の環壕集落に発展します。 弥生後期には、大型の祭殿を持つ首長の住居や祭祀の場と考えられる「北内郭」、高階層の人々の住居
  区と考えられる「南内郭」、市が行われていたと思われる高床倉庫群が設けられていました。
 

 

      巨大墳丘墓と雍棺墓地

  弥生前期は土壙墓や木棺墓、雍棺墓などでしたが、弥生中期にはそれまで分散していた雍棺墓が600mに及ぶ長大な列状埋葬墓地に
  まとまっています。これらの墓地とは別の人々だけを葬った巨大な墳丘墓が営まれていました。

 

      遺跡の保存と整備

   吉野ヶ里遺跡は、平成3年5月に特別史跡に指定され、平成4年度から「国営吉野ヶ里歴史公園」として整備保存に着手し、平成13年4月、
  第1期開園し復元施設等が公開されています。平成20年2月現在では、隣接する県立吉野ヶ里歴史公園と一体的に利用可能な公園として、
  面積約69ha(国営公園約38ha、県立公園約31ha)が開園しています。

 

  
        ※それではいつものとうり下記の写真にてご説明致します  

 

          弥生時代(紀元前1世紀)

 

                  南 内 郭 (物見やぐら)

 

 

               王 の 家 (住 居)

 

             住居の中にて作業をして居る所

 

         立穴住居の中のいろり

 

       立穴住居の中にて姉の髪を妹が結って上げる所

 

          北 内 郭 集 落

   

          展 示 室 (吉野ヶ里遺跡)カンバン

 

 

              展 示 室 (ガラスごし)

 

            展 示 室 (土 器、 壺)

 

      吉 野 ヶ 里 遺 跡 展 示 室 カ ン バ ン

 

      吉 野 ヶ 里 遺 跡 跡(歴史公園センター)

 

                  見 学 用 通 路

 

     ひ み か の み ち (鍵形に折れ曲がった入口)

 

            東 祭 殿  

 

   南内郭(東口ゲート) 北内郭(北墳丘墓)案内板

 

     倉と市(吉野ヶ里のクニの公易の中心地)

 

      北 墳 丘 墓 入 口 カ ン バ ン

 

        展 示 室 (土器のかけら)