姫 路 城 内 へ
平成27年6月28日(日)友達のYさんと2人で姫路城を見学に行きました。
今日はいよいよ姫路城のブログも最後に成りました。ブログ第四弾目を
お載せ致します。
◆それではいつもの様に姫路城内を少し述べて見ます。
姫路城は兵庫県姫路市の小高い丘、姫山にある平山城。姫路城が最初に
築かれたのは、鎌倉時代の末期、元弘3年(1333年)播磨の豪族。
赤松財林が、西国からの幕府方の攻撃に備えて、ここに城を築いたその後、
西国統治の重要拠点として羽柴秀吉が使用して居りました。
姫路城は標高45.6mの姫山を利用して構築された平山城、天正8年(1580年)
羽柴(豊臣)秀吉が3層の天守閣をもつ城郭に改修慶長6年(1601年)からは
池田輝政が8年の歳月をかけて5層7階の天守をもつ現在の城にしました。
◆次に瓦、門、佐間、窓、塀を述べて見ます。
(瓦)=姫路城は、平瓦と丸瓦を交互に組合わせた本瓦葺で、継ぎ目には屋根目
地漆喰が一面に施され、甍(いらか)の美を表現しています。歴代城主の修理の
歴史を物語るがごとく、鬼瓦、軒丸瓦などに多様な城主の家紋などが残ってい
ます。現存するものだけを数えて8種類あります。
(門)=姫路城には、菱の門、「いろは・・・六」の門、備前門から頑丈さを
重視した柵門や木戸、塀重門、冠木(かぶき)門、高麗門、櫓門、長屋門、埋
(うずみ)門など、安土桃山時代の様式を残す門など21門が残っています。
(狭間)=狭間とは、天守や櫓、土塀の壁面に開かれた矢や鉄砲を放っための
穴のことで、城を防備するための重要な仕掛けでした。一般的には丸や三角形、
正方形(鉄砲用)、縦長方形(弓・矢用)の4種類。現存する狭間の数は997カ所。
開けられた位置によって立狭間、居狭間、寝狭間とも呼ばれるが、姫路城は片膝
を突いて鉄砲を撃つ時に使われる居狭間が数多く見られます。
(窓)=天守の窓は敵の侵入や矢玉を防ぐため、太い格子がはめられた幅半間の
格子窓になつています。乾・西小天守には、黒漆り、金箔金具で飾れた装飾性
の高い火灯窓(かとうまど)があります。この窓は、本来は禅宗寺院の仏殿など
寺院建築に用いられ高貴な建築物の象徴として使われました。
(塀)=姫路城には、重要文化財に指定された32の土塀が残っています。
当時は、木造の骨組みを持つ土塀が主流でしたが、姫路城ではあらかじめ一定
の大きさに作られた粘土の塊を粘土で接着しながら積上げ、屋根部分のみ木造
で組立てられています。外側は白漆喰で美しい仕上がりになっています。