ブログにて日常の記録

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バラ祭り

2018年05月24日 07時09分58秒 | 四国88箇所1番~45番迄

                                                        ばら祭

 

 

 

 

 

平成30年5月20日(日)中国新聞主催にて福山ばら祭に行きました。
このブログを載せるには少し時間が立ち過ぎた感じがしますが、少しパソコン
にトラブルが有りまして、記事にお載せするのに日にちが掛かりました。
あしからず。それではいつもの様に福山ばら祭を少し述べて見ます。

〇ばらのまち福山の始まり。

福山市は、1945年8月8日の空襲で市街地の約8割が焼失、多くの命が失われ
ました。戦後、再建復興が進められ、住民と行政が協力し、南公園(現在のばら
公園)に約1000本のばら苗を植え、見事なばらの花を咲かせました。
ここから「ばらのまち福山」が歩みはじめます。

〇ばら祭の誕生。

市民の手により始まった「バラ展」は、1968年、福山市・日独協会共催で開催。
これを機会に春の「バラ展」を「バラ祭」とし「第一回バラ祭」が開催されました。
1971年、祭の企画運営を担う「福山祭委員会」が設立されました。

〇拡大するばら祭。

1992年、緑町公園がメイン会場となると、パレードやローズコンサートの規模も
大きくなり、祭は一気に拡大しました。1995年には、阪神淡路大震災支援コンサ
ートも開催され、ローズマインドへの思いを強くしました。

〇これからのばら祭。

ローズマインドとは福山の戦後復興から半世紀の歩みのなかで誕生し、根付いた
言葉で、「思いやり、優しさ、助け合いの心」を表しています。
平和、ばら栽培に必要な愛情、人への優しさなどが込められており、先人から受け
継いだこれらの想いは、これからの福山の未来へ繋がっていきます。


鞆の浦鯛網

2018年05月23日 14時47分03秒 | 四国88箇所1番~45番迄

                                                 鞆の浦鯛網

 

 

 

 

 

平成30年5月20日(日)中国新聞主催にて、福山鞆の浦(鯛網)に、日帰りバス
旅行に行きました。午前7時5分岩国市車町3丁目バス停から乗り、人絹町、
岩国駅、市役所、などから、お客さん(バス旅行に参加の人)を乗せて、一路岩国
インターから山陽自動車道を走り、福山に着いたのが、午前9時45分頃でした。
先に福山ばら園を午前10時から1時間ばかり見学して、次の鞆の浦(鯛網)迄、又、
バスで行きそこから船で鞆町仙酔島迄船で渡り、そこで食事をして、午後13時30
分からの鯛網漁を観光船にて見学致しました。

◆それでは鞆の浦観光鯛網漁を少し述べて見ます。

鞆の浦の初夏の風物詩、観光鯛網、鯛網は鞆の浦はに約380年も伝わる伝統漁法です。
外洋で冬をすごした鯛は初夏、豊後水道を抜けて、産卵のため波穏やかな瀬戸内海中
央部の鞆の浦沖へとやってきます。江戸時代初期までは陸地よりの地引網でした。
それまでの地引き網や立て網やによる鯛漁の代わりに考案した漁法といわれています。
さらに瀬戸内海を訪れた人に漁を見てもらおうと、1923年から観光鯛網が始まりまし
た。戦争のため一度は行われなくなりましたが、1949年に復活。
鞆の浦観光鯛網が始まりました。そのマダイの魚群を待ち構えて獲るのが、この鯛縛り
網漁です。威勢のいい樽太鼓の音と大漁節が響きあい、乙姫が船上で大漁祈願の舞を踊
ります。鞆の浦に初夏の訪れを告げる鯛網漁。「イエーホー、イエーホー」と大漁旗を
掲げながら船を漕ぎ出す鯛網船団です。