宮島初詣
1月1日に白崎八幡(初詣)に行ったので、今日は又1月3日宮島(初詣)に妻と2人で行きました。毎年恒例に宮島(初詣)には行くのですが、
又今年の宮島は一段とNHK大河ドラマ(平清盛)がある関係上かも知れませんが、宮島にお参りする人の沢山居ること、居ること、松大船3隻
と西日本(JR)鉄道3隻との計6隻がピストンで10分間隔で出発するのですが出発したらすぐ又、次の舟を待つ行列が出来客が待って居ます。
又、宮島に渡って見ますと、人、人、人、で立って入れば後ろから押してくれるので一人でに歩ける状態です。
流石に世界遺産宮島ですね。 12時近くに成ったので食事をしょうと思い、各食事を経営して居る店を探しましたがこれが又一苦労です、どの
店もオール満員で何分待ちと言われました。私と妻は仕方なく大元公園近く迄歩いて行くと一軒程、大変古びたお店にたどり着きました。
そこでようやく(ウドンを頼み)食事に有り着きました。又、午後13時からは元始祭平清盛の時代から続いて居る(大平樂、狛鉾)舞樂が有り
ましたのでこれを見学致しました。
◆次に世界遺産宮島を少し述べて見たいと思います。
宮島は、宮城県仙台にある松島と、京都府宮津市にある天橋立と並ぶ日本三景の一つです。中でも宮島の厳島神社は、世界遺産に登録
されています。年間350万人の人達が訪れて居ます。特に最近は外国人観光客が急増して居ます。
宮島観光と言えば朱塗りの大鳥居ですね。この大鳥居は奈良の大仏様とほぼ同じ高さの16.8mも有り、重量はなんと60トンも有ります。(驚)
又主柱は樹齢500年~600年のクスノ木で自然の木で作られており、現在の大鳥居は8台目に当たります。
◎次に平清盛(NHK大河ドラマ)について少し述べて見たいと思います。
平清盛(たいらのきよもり)は、平安時代末期の武将、公卿の政治家である。伊勢平氏の棟梁、平忠盛の嫡子として生まれ平氏棟梁となる。
保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士では初めて太政大臣に任ぜられました。
平清盛の生涯は、平氏の棟梁、保元の乱、平治の乱、それから全盛期を向かえます。平清盛が最も栄えた時代を作った武将平清盛が活躍した
時代1118年~1181年平安時代活躍したこと、1118年平忠盛の長男として生まれる。1153年平忠盛が死に平清盛があとをつぎました。
平清盛は「平家物語」の中の中心人物で「おごる平家は久しからず」の栄光と没落の悲惨さを象徴しています。しかも、北面の武士から
太政大臣にまで登り詰めた成り上がり者というイメージで捕えていることが多いようです。
平清盛は武士が貴族たちから差別されていた時代、本当の親を知らないまま武士の新興勢力、平氏のもとで育てられた少年が、瀬戸内海
の海賊を束ねて武士の主となり、貿易こそがこの国が豊かになる道だと人々に説きました。
◆それではいつものとうり下記の写真にてご説明致します。
宮 島 桟 橋 玄 関 口
宮 島 伝 統 産 業 会 館
宮島玄関口前にて平清盛の幟が沢山立って居ます。
JR(みやじま丸)が満杯のお客を乗せて行く所
日 本 三 景 (宮 島)
宮島鳥居の下の通路は人、人、人、です。
宮 島 大 鳥 居
千 畳 閣 の 外 館
千 畳 閣 の 中 に 上 が っ た 板 の 間
回 廊 の 外
回 廊 の 中 を 歩 い て 居 る 所
鏡 の 池 (厳 島 八 景 の 一)
回 廊 を 歩 く 人 達 で 一 杯 で す。
回 廊 の 中 で (み こ し さ ん)
元 始 祭 (太 平 楽 ・ 狛 鉾)
後 白 河 法 皇 御 行 幸 松(カンバン)
御白河法皇御行幸松
承安4年(1174年)後白河法皇が参詣された折にお手植えされた
松の遺木である。明治初期に切り倒されました。
能 舞 舞 台
宮 島 の 鹿
宮 島 と 言 え ば (藤い屋の) も み じ ま ん じ ゅ う
藤 い 屋 の (もみじまんじゅう) を 焼 く 機 械
大 元 公 園 に 行 く 途 中 に ト ン ネ ル
回廊で朱塗りの天井はすごいでしょう。
重 猿 流 さ る 廻 し (日本大道芸)
猿 の 曲 芸 (ドッジボール) 乗 り