ブログにて日常の記録

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 日常生活=(孫、ジョギング、パソコン教室、その他)

金田城跡 パート1

2019年12月10日 08時53分12秒 | 旅行

                                                          対馬旅行
               金田城跡 

 

 

令和元年11月22日~24日迄長崎県対馬方面に妻と2人で旅行に行きました。
今回で対馬旅行記録も最後にしようと思います。
まだ、対馬旅行の観光記録は多くさん有りますが、私も少し目が悪く成りまし
たので、しばらくブログ作成を休みたいと思いますので宜しくお願い致します。
又、今回はブログ第5弾目に金田城跡をお載せ致します。

 

それでは少し金田城跡を述べて見たいと思います。


金田城は、対馬国下県郡の城山(じょうやま、現在の長崎県対馬市美津島町黒瀬)
にあった日本の古代山城(分類は朝鮮式山城)。城跡は国の特別史跡に指定されて
いる。当時の対馬は国防の最前線であり、極度の軍事的緊張が漂う国旗の島でした。
それから1000年以上の時が過ぎ、忘れられていた金田城は日露戦争前夜という
国際情報のなか、再び要塞として整備され、巨大な砲台が据え付けられました。
対馬市美津島町黒瀬にある浅芧湾に突き出した半島、城山(標高276m)に築かれ
ているのが、特別史跡金田城跡です。
完成年を指しているのかは、はっきり分かっていませんが、いずれにしても金田城
跡は1350年が経過した遺跡であると言えます。城山は、対馬の中央に広がる浅芧湾
に突き出した岩魂です。今からおよそ1350年前、白村江の戦いに敗れた大和朝廷は、
大陸からの侵攻に備えて対馬に古代山城・金田城(かなたのき)を築きました。
城山は日露戦争にも要塞化されました。


日露慰霊の碑 パート1

2019年12月06日 15時44分11秒 | 旅行

                                                  

                                                             対馬旅行 
                               日露慰霊の碑       

 

 

 

 

 

令和元年11月22日~24日迄長崎県対馬市方面に妻と2人で旅行に行きました。
今回はブログ第4弾目に日露慰霊の碑をお載せ致します。

 

◆それでは少し日露慰霊の碑を述べて見ます。


日露戦争の日本海海戦から百年を迎えた2005年5月27日午前・長崎県対馬市
対馬沖の対馬海峡で海上慰霊祭があり、ロシュコ駐日ロシア大使やコステンコ
駐日ウクライナ大使、金子原二郎…「日露慰霊碑」に参列者全員で献花した。
日本海海戦記念碑(殿崎公園)日本海海戦記念碑、戦没者の慰霊と、戦火の傷跡
を風化させないように立てられ、対馬、史跡・文化財、戦没者の慰霊と、戦火
の傷跡を風化させないように立てられました。慰霊碑(田辺人撮影)、ツイート・
シエア・ブックマーク、「皇国ノ興コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ。
これは、日露戦争の日本海海戦で総司令官東郷平八郎が旗艦。三笠から各艦に
打電した有名な電文です。

 


対馬歴史民俗資料館 パート1

2019年12月05日 08時22分34秒 | 四国88箇所1番~45番迄

                                                    対馬旅行                                          

           対馬歴史民俗資料館 


 

 

令和元年11月22日~24日迄長崎県対馬市方面に妻と2人で旅行に行きました。
今回はブログ第3弾目に対馬歴史民俗資料館をお載せ致します。

 

◆それでは少し対馬歴史民俗資料館を述べて見ます。

長崎県立対馬歴史民俗資料館は、長崎県対馬市にある博物館・歴史研究施設。
対馬の歴史資料・民族資料などの収集・保管・調査及び研究、収蔵資料の一部
展示を行っています。
対馬には、宗家文庫資料をはじめとする古文書や遺跡など歴史的文化遺産が多く
残っています。長崎県立対馬歴史民俗資料館は、これらの貴重な資料の保存のた
め、昭和52年(1977)に建設されました。1階展示室には、考古・民族・歴史資
料約100点有りました。日本と大陸とを結ぶ島・対馬、対馬は朝鮮半島からわず
か50㎞ほどの外洋に浮かぶ僻遠の島ですが、古代から朝鮮半島や大陸への要衝で
した。そのような対馬に伝わる歴史資料・美術・工芸資料・民族資料などの展示
を通して対馬の歴史を紹介します。
長崎県立対馬民俗資料館は、対馬内に伝わる資料を収蔵し、教育、文化の振興に
資するため、昭和53年に開館しました。対馬藩宗家が残した宗家文庫資料が約
8万点を中心に、対馬に関する歴史資料、美術工芸資料、民俗資料など多数収蔵
しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


万松院 パート1

2019年12月02日 10時43分12秒 | 四国88箇所1番~45番迄

                                                             対馬旅行
                                           万松院

 

 

 

 

令和元年11月22日~24日迄長崎県対馬市方面に妻と2人で旅行に行きました。
今回はブログ第2弾目に万松院(日本三大墓地)をお載せ致します。

 

◆それでは少し万松院を述べて見ます。

対馬、史跡・文化財・神社・仏閣、対馬藩主家菩提寺(国指定史跡)万松院(ばん
しょういん)は、元和元年(1615年)に宗家20代義成(安土桃山時代の山門と仁王
像は焼失から免れた対馬最古の建物で、堂内には朝鮮国王から贈られた三具足、
徳川将軍大です。対馬の万松院は対馬藩主である宗家の菩提寺で元和元年(1615)
に創建された寺です。宗家10代~32代迄の墓所であります。
御霊屋(おたまや)は日本三大墓地の一つとも言われて居ます。国指定史跡である
万松院(ばんしょういん)は、対馬藩主・宗家の菩提寺。1615(元和元年)に宗家
20代義成が父義智の冥福を祈って創建した寺で、以降、宗家の菩提寺となりました。
現存の本堂は1879(明治12年)の建造です。対馬藩主・宗家の菩提寺で、国指定史跡
の万松院では、1年に1度、350基の灯篭に明かりを灯し、御霊をお祭りします。
闇に浮かぶ無数の灯篭が幻想的な有限の世界を醸し出します。