2014年3月15日
目覚めるとどこかの駅に進入中。新潟県内にしては雪が無いな。どこだろう?
やがて駅名が見えて、何と新前橋!
なにーっ?まだ新潟県内かと思ってたのに。上越線の記憶まったくなし。
しかしラストランであることも忘れて、なんとも心地いい眠りだった。
東北の皆さんの温かいお見送りのおかげ。
新前橋を発車したところで起床。来ないでほしい朝が来てしまった。
5時25分頃、高崎到着。いつもの到着番線と違う。すでにダイヤ改正後の臨時列車だし。
7分程停まるようなので、ホームに降りてみる。高崎駅は思ったより平穏。しかし、ホーム先端付近はやはり人だらけ。
高崎を発車すると空が明るくなってきた。
まさに「あけぼの」。
高崎線沿線はそれ程カメラマンの姿は見えず。まだ暗いし。
ラストランの夜明け。
熊谷を過ぎたあたりから日が出て、沿線のカメラマンはどんどん増えてきた。柵にのぼってる人もいたりして、車内から見てるとヒヤヒヤ。
6時20分におはよう放送。定時運行中とのこと。
6時40分頃、大宮に到着。今日だけ到着時刻が10分繰り下がっている。人が多いけど、思ったより平穏。
EF64の汽笛が鳴り、大宮を発車。
大宮を出ると車内放送。
「いよいよ『寝台特急あけぼの号』ラストランの次の停車駅、終点の上野でございます」
もう着いてしまうのか。昨晩は東北の皆さんの温かいお見送りに年甲斐も無くよく泣いたな~。
荒川を渡り赤羽を過ぎた頃、終着放送が入り、それに続いて車掌さんのご挨拶。
【本日は「寝台特急あけぼの号」ラストランにご乗車頂きましてありがとうございました。
青森駅から約12時間30分、約800kmの旅はいかがでしたでしょうか。
1分1秒でも永く「あけぼの号」に走ってほしいと思われるお客様もいらっしゃると思いますが、
その時間もいよいよ短くなりました。
本日まで「あけぼの号」にご乗車下さいました多くのお客様と鉄道ファンの皆様に見送られ、
約半世紀の定期列車としての永い歴史に幕を閉じます。
秋田運輸区は秋田車掌区時代から「鳥海号」「出羽号」「津軽号」そして「あけぼの号」と共に、
多くのお客様を上野から東北の地へ、そして東北の地から上野へご案内してまいりました。
私も車掌となってから40年近く「あけぼの号」に乗車し、
夜行列車ならではの、多くのお客様との出会いがありました。
これらの出会いは私の一生の宝でございます。
永年の雨・風や雪にさらされ、今では車体はすっかり古びれてしまいましたが、
「あけぼの号」は何十年と共に歩んできた仲間です。
本日、記念すべきラストランの列車に皆様と青森・秋田からご一緒できた事を、
「あけぼの号」と本日乗務しました乗務員一同感謝申し上げます。
定期列車としての使命は本日終える事となりますが、
これからも皆様の心の中に「あけぼの号」は走り続けます。
「寝台特急あけぼの号」最終列車にご乗車頂きまして誠にありがとうございました。】
途中からまた涙出てきた。
40年。それもほぼ毎日だろうからすごいな。自分は年数回「あけぼの」に乗って20年だけど、その倍か…。
上野駅に進入する「あけぼの」がテレビに映ってる。ヘリからも撮ってるらしい。
気合入ってるな~。
ゆっくりと上野駅13番線に入線し、そして定刻7時9分、ついに到着。
「うえの~うえの~」が聞こえる。本当に終わってしまった。かみしめるように下車。
予想通り人は多いけど、多分昨日の夜に比べたら少ない方でしょう。
一応EF64の雄姿を見に行くも、やはりまともには見れず。
これが精一杯。
その後、ラストランを共にした6号車前で回送を待つ。
ラストランは、何か夢の中にいたような感覚だった。しかしその後に待っていたのは、上野駅での悲しいお別れ。
いよいよその時が来てしまった。
7時28分頃、「ああ上野駅」が流れて「あけぼの」推進回送。「ありがとう~」の声がとぶ。
24系を1両1両見送るうちにまた涙が…。
そして最後にEF64が自分の前を通り過ぎていった。
さようなら「あけぼの」。