フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

子供の心を持ち続ける芸術家

2011年06月02日 | プロヴァンス

その家族とは2006年の暮れに、京都の彼らの宿で初めて会った。

その奥さんはフランスの公立の中学の国語の先生で、フランス領ニューカレドニアに先生として赴任していた。
赴任を終り、フランスに帰国する途中、日本に立ち寄った。

友人の紹介で、帰国する彼らとメールで連絡を取って京都で会うことになり、宿まで訪ねて行き初めて会ったわけだ。
当時、45歳ぐらいだった先生である奥さんと、60歳近いそのご主人と12歳くらいの女の子の3人連れだった。

清水寺や祇園界隈を歩き、高瀬川沿いのてんぷら屋さんで夕食を食べた。
おそらく彼らは初めてのてんぷらだった。
喜んではくれたが、女の子は少し食べ残したと覚えている。お箸も使いにくかったに違いない。



奈良に来た時は、勿論奈良公園、大仏殿、春日大社を案内した。鹿にせんべいをやって、鹿にせがまれ、取り囲まれ、服を咬まれパニックになり大騒ぎだった。
奈良ホテルにも連れて行き、お茶を飲んだし、夕食も鍋料理にしたのだった。



彼らは新年早々帰国し、その年の春今度は彼らの家に招待された。
ご主人と思っていた人とはまだ籍が入っていおらず、女の子はお母さんの方の子で、もう一人男の子がいてその子はご主人の子供だった。
離婚の多いフランスにはこのような複合家族も存在するのである。

つまり両親の違う兄妹だったが非常に仲が良かった。
その女の子にはもう一人お姉さんがいて、なんと彼女はサーカス団に所属していた。このお姉さんのことはまた別の機会に書くことにする。

さて、奥さんは堅い公立中学の先生だったが、ご主人は舞台装置などの職人で芸術家肌であった。
家にはご主人がその辺で拾ってきたもので作った灯り装置があったり、壁には非常に上手なデッサンの絵が架けてあったり、トイレの壁全部にフランス語の辞書の頁の紙が張り付けてあったりした。


アヴィニョンの彼らの住む家の近くに小さな教会があり、その壁にあるムッシュが座って居眠りしている「だまし絵」が描いてあったが、彼は通りかかるとすぐ駆け寄り、その横で居眠りのポーズをして見せた。

彼のユーモアはジェスチャーを交えるので非常に判り易く面白い。ただ彼は堅苦しいことは苦手らしい。そのことで次の時のことを思い出した。



奥さんの両親がパリに住んでおられ、時々彼らはパリにやって来る。ある年にパリに行った時、彼らは私に会うのと両親に会うのを兼ねて、パリにやってきた。

そしてし私と彼らで奥さんの両親の家を訪れた。お祖父さんは背が高い人だったが案外優しい人だった、お祖母さんは油絵なども描く繊細な人だったが、舞台装置職人の彼は、「借りてきた猫」みたいにおとなしかった。

どうやら彼は、お祖母さんが苦手らしい。

その両親の家を出て散歩に出かけた時には、彼は再びのびのびし、多いにはしゃいでいたものだ。
この時のことを思い出しては、何時もおかしくなるのである。

彼は、私の数多くのフランス人の知り合いの中でも、ユーモラスな、肩の凝らない、また子供心をいつまでも抱いている人として貴重な位置を占めている。


さすがは「星の王子様」の生まれた国である。



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