フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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カテゴリーは居住地によって分けています

ただ今、来日中、フレデリック・アヴェッカー

2013年01月30日 | プロヴァンス

今朝、友人からメールが届いた。

アヴィニョン郊外のお菓子屋さん・フレデリック・アヴェッカーさんが、サロン・デュ・ショコラのため、来日中だそうだ。

「前に来た時、一緒に行ったでしょ。そして奥さんはチベットの方で、話もしたでしょ。会いに行けたら僕たちの友達だといってごらん」と。

さて、覚えているとは思えないが(ましては当のフレデリックさんには会っていない)、行ってみたい。

しかしまさかあの小さなお店が、日本に紹介されるとは。嬉しいような、でもあまり有名になり過ぎてほしくない複雑な気分である。

2005年、彼らの友人のうちに招待されたとき、出されたこちらのケーキ。

そして2007年、その店を訪れ、アイスクリームをいただき、こんなケーキもいただいた。

何度かクリスマスにこちらのチョコレート、「世界旅行」をした気分になるものを送ってくれた。

レオニダスのような甘いチョコレートが好きなので、フレーバーチョコはクセがあり、実は苦手なのだが、日本人にこれが受け入れられるのか、注目してみたい。

 

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台風シーズンを避けて、二度目の来日

2013年01月25日 | ラングドック・ルシオン

11月まで来客が続き、もうその年は終わりかなと思ったら、なんとさらにもう一人やってきました。

12月はフランス人にとっては大事なイベントのクリスマスの月で、例年来日は少ない。

はクリスマスはもちろん家族と過ごすが、その直前にやってきた。

台風騒動のあった初来日から一年三か月、あの時は奈良だけの滞在で、2mもあろうかという大きな図体からは想像できないほど慎重で心細さを滲ませていた。 

しかし今回は自分で九州の滞在先を見つけ、奈良に来る前に一週間滞在していた。

日本人の男性とフランス語の話せる外国人の女性の夫妻のところをうまく見つけたようだ。

そしてその福岡を拠点にバスで長崎(呼子)まで行ったり、一回目の時とは比べものがないくらい積極的に一人で動いたようだ。 

本当は東京でも滞在したかったようだが、滞在先の都合が合わず、滞在なしで夜行バスで、東京の女性にも会いに行った。(九州と東京を夜行バスで往復したから、相当長い時間かかり大変だったと言っていた。そりゃそうだろう。) 

聞けばその女性は、10月に来たアドリアンが滞在したところだった。

そしてジュリアンに、彼女はアドリアンのことを「牧師さんかと思った」というエピソードを話したというのだ。 

ジュリアンはこの初対面の女性とも、とても楽しい夕食をしたそうで、「たくさん笑い冗談もいっぱい言い合った」と言っていた。 

奈良へ来るのは、福岡からリーズナブルな航空券があると教えていたので、難なく来ることができた。これも前と比べると全然違う。

奈良でリムジンバスを降りてきた彼の笑顔は、自信さえも感じられ、嬉しい再会となった。 

夜の到着で五泊だったので、四日間のうち二日は奈良へ、今回は大阪へ一日、そして念願の京都も訪ねることになる。

 

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ナポレオンとジャンヌダルクの足跡

2013年01月14日 | パリ15区

今日は休日なので、エリックとイザベルの夫妻に一日観光に連れて行ってもらう日だ。 

朝食は ニシンの酢漬け・・・正直ちょっとー。

豆腐・・・日本のものと比べるのが無理だが、これはいただける。

ごはん・・・どうしたらこんなになっちゃうの?というようなもの

パンはさすがにおいしいの一言

家を出ると休日だから広い歩道にマーケットが開かれていて、果物や魚屋さんが出ていた。

道路の向かいのカルフールを見つけた。手前の目に優しい美しい芝生を路面電車が走る。

まず、パリの北にあるコンピエーニュの城に向かった。ここはナポレオンが建てた城である。彼はここで政略結婚したオーストリアのハプスブルグ家のマリー・ルイーズと暮らしたと言うわけだ。

お城と言うより宮殿の正面

豪華かな正面階段

豪華な寝室や遊戯室などがあった。

遊戯室にあったパチンコの原型みたいなもの。ジョセフィーヌもこれで遊んだかも。

 

ナポレオン皇帝の寝室

マリー・ルイーズの寝室

ナポレオンの書斎

ドアのノブや家具にナポレオンのNの字があった。

 

宮殿の建物自身にもNの字が見えた。

広大な敷地に広大な庭があるのはヴェルサイユ宮殿や、フォンテンヌブローの宮殿、ヴォールヴィコント城などと同じだった。

 

庭はきれいに手入れされており、白い彫刻や綺麗な花壇があった。花は咲いた時の草長や色に配慮されて植えられており、美しい調和と変化を見せていた。 

ナポレオンが「皇帝」を意識した証しのような宮殿だった。

お城を見た後、町コンピエーニュの街には入った。

まず目を引いたのは14世紀に建てられたという建物で、今は市役所として使われていた。 

その前の広場にジャンニダルクの像があった。

ジャンヌダルクはここで捕えられたと言うことだった。

ある建物の壁に、ここにジャンヌダルクが滞在したと言う表示があったし、捕えられたジャンヌダルクが祈りを捧げたと言うサンジャック教会もあった。ジャンヌダルクはその後ルーアンに送られ処刑されてしまった。 

昼食をこの街ですることになり、エリック達はあるレストランを選んでくれた。 

前菜は小エビのタルタルソースかけのアボガドを選んだ。

メインはノルウエー産のスモークサーモンにした。

パン

エリック達はビールを注文したが、ベルギーに近いから出てきたのはベルギーのビールだった。

 

食事はとても美味しかったが、一つの事件が起こった。 

私は出てくる自分の料理を全てカメラに収めていたところ、少し離れたところの年配のカップルのおじさんが、私に向かって「写真撮影は禁止だ」と言ったのだ。 

楽しい食事に水を差されたこの事件の顛末は、次回に譲ることにしたい。 

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カナダ人の「ミッシェル」さんは、何人目のミッシェルかな?

2013年01月08日 | カナダ

先のお客さんを送った一時間後に、次のお客さんを迎えに行った。

カナダ人である。 

ケベック在住で、フランス語を話す名前も「ミッシェル」さんだ。

さて、私の友人では何人目の「ミッシェル」さんだろう?

そのくらい多い名前である。「クリスチャン」とともに5~6人はいる。

 

19時過ぎだったが、夕食も済ませてきたという。

このあたりフランス人の夕食の時間とは少し違うのか?(フランス人はだいたい20時くらいからである)

そして、冬の長いカナダ、生活のリズムも違っていて早寝である。

6泊の滞在だったが、毎晩18時過ぎから夕食を取ると、すぐに眠りたいということで、20時には休んでいた。

 

朝はカナダの妻と「スカイプ」をすると言って、朝ご飯の後毎日話していた。

何度か私も話したが、彼女もなかなか素敵な人だった。

しかしミッシェルによると、「妻は飛行機が怖いのと人見知りをするので、旅行は好きでない」ということで一人旅だ。

それも今回も日本に一か月、中国に一か月、二か月間離れ離れだ。

 

彼によるとこの後、カナダでB&Bをしたいということだったが、奥さんが人見知りをするので、本当は嫌だと言っているとか。

(しかしこの一年後、彼らは念願のB&Bを始めた。ご興味のある方はご連絡ください)

 

このミッシェルは世界中に、ホームステイ先があり、とても経済的に旅行していると言っていた。

二か月間の旅行なのに、荷物もとてもコンパクト。機内持ち込み用のキャリーひとつである。

中国は寒いのに防寒着はどうするのだろうと思ったら、現地調達という。

そして、着古した衣類を処分してくれと置いていったのである。

 

食べ物は何でも食べる。

これは世界旅行する人の必須条件かもしれない。

前妻はフランス人だったとかで、子供に会いに今も時々フランスにも行くらしい。

朝食などもフランススタイル、甘いパンにコーヒーである。

 

京都にも二週間くらい滞在したそうだが、何とそこでは英語のレッスンもしていたとか。

うまくお小遣いも稼ぎながら旅をしている。

そういえば、徹底した倹約家で、トイレは何も買わなくてもマクドナルドを利用したりしていたし、京都ではレンタサイクルで観光(しかも一番安いと思われるところを知っていた)していた。

歴史的建造物や日本文化より自然派でもあり、「お金をかけないで、旅するスタイル」を実践していた。 

この彼は今年も来日していたが、東京が中心で奈良に来ることはなかった。だが、滞在中何度も写真やメールを送ってくれた。

そして日本の後は東南アジアに向けて旅立ったということだった。

 

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二世代(+半世代)の梯子

2013年01月05日 | パリ11区

マリーアンジュ夫妻のアパルトマンでも、夕食を御馳走になった。こちらはご主人の手作り料理だった。何しろ奥さんのお腹に赤ちゃんが宿っているので、ご主人が活躍したわけだ。

 

デザートも作ってくれた。

 

彼等も日本旅行中に買ったりしたものを、見せてくれた。

ネズミ志野のお茶碗にクッキーを入れて出してくれたり、桜の花がデザインされたペアコップや、その他マッチや小物類も見せてくれた。大事に残しているようだった。

どこで買ったのか赤い蛸の紙風船みたいなのも、吊ってあった。 

DVDによる映画を壁に投影できる機械が天井に設置してあって、少しだけそれを使って、映像を見せてくれた。彼等の楽しみらしい。日本では公共の施設などにはあるが、家庭用は見たことがなかった。

 

今日は午前中から昼にかけて、両親を郊外に訪ね、午後から夕方にかけて娘夫婦に家を訪問したわけだ。「今日は、親子の家をはしごしたんだね。」と言うような意味のことを言っていたのを覚えている。

 フランスでは二世代の同居のケースをまず知らない。必ず子供は独立して住んでいるし、両親の片方が亡くなっても、残った方は一人暮らしをしている。大抵お婆ちゃんが一人で住んでいるのだった。 

二世代双方に親しいと、片方だけしか会わないわけにはいかず、両方会わないといけない。その結果両方に会おうとすると、「はしご」と言う結果になる。 

こうして二世代に会ったのだが、実際はマリー・アンジュのお腹の赤ちゃん(実は後で男の子と女の子の双子と判る)を含めると併せて二世代+半世代に会ったというわけだった。 

そう言えばマリー・アンジュのお腹はずいぶん大きかったなと、後から回想した。 

帰りはメトロの駅まで二人で送ってくれ、エリック夫妻が待っていてくれるアパルトマンに無事帰った。 

この年の十一月、無事に双子を出産し、彼女が一番最初にしたこと、それは日本食を食べに行ったことだった。

フランスでは「妊娠中に生魚を食べてはいけない」ということになっているらしく、出産を待って早速刺身、寿司を食べに行ったそうだ。

 

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