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フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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オープンカフェの「ドゥ」さん家族

2011年06月16日 | フランシュ・コンテ

ある日、京都駅のオープンカフェで休憩していたら、隣のテーブルに外人の家族がやってきた。

 

両親と、娘さんの3人だった。

フランス語を話しているのを聞いているうちに、自然にボンジュールとなった。

 

当時息子さんが、マネジメントを名古屋のどこかのビジネス・スクールで勉強中らしく、

この機会に両親と娘さんが来日し、観光旅行をしているとのこと。

 

フランス東部のブザンソンの近くのAmanceyという所に住んでいるとのことだ。

スイスに近い。

 

この人たちの名前を聞いてドキッとした。

「○○○ ドゥ ボルド」 というとのことだ。

 

フランス人の名前に「ドゥ」がつくと、貴族の出身ということになる.

例えばドゥゴール将軍は貴族の出身で、「ゴール家の」という意味だそうだ。

 

この他やはりジスカール デスタン大統領は、デスタンが「ドゥ」と「エスタン」が合わさったものだそうだ。(エスタン家のということで、これは母親が貴族の出身で、その姓を絶やさないため、ジスカールという父親の姓と二つの姓を併せた稀なケースである。)

 

だからこの人たちの「ドゥ ボルド」が 「ボルド家の」ということになれば、貴族出身ということになる。

 

で、恐る恐る聞いてみた。

そうすると貴族の出身ではないとの答えが返ってきた。

ドゥがついているのに、なぜ違うのか判らないが、そういうケースもあるらしい。

 

帰国した彼等から、家の写真が送られてきた。

とても広い敷地に、小さな三角屋根の可愛らしい家が写っていた。

家に招待すると言ってくれたので、一度行ってみたくて計画をした。

 

ちょうどブルゴーニュに行く予定もあり、その前に二泊させていただくことになったのだが、直前になって先方に不都合が起こり、予定の変更を余儀なくされた。

この時ブルゴーニュのムッシュは「私達がその分まで大歓迎をするから」と言ってくれた。

 

それ以来、残念ながらまだ訪れる機会はない。

フランスはまだあちこち行ってみたいところがあり、この家族のところに行くのはいつになるだろう?

 

この人達へ私が付けたニックネームは「ドゥさん」である。

ドゥさん、ドピルパンエスカレーターはほぼ直線上100km圏に位置した場所に住んでいるので、いっそ一緒に訪問してみるのもいいかもしれない。


自他共に認めるイケメンムッシュ

2011年06月12日 | フランシュ・コンテ

このへんで一度ハンサムという点では、今のところ私の友人で断突トップのムッシュを紹介しよう。 

 

彼は背が高く180センチは優に超えていると思う。

会った時の年齢は、50代初めではなかったろうか。

リヨン近くの、ペルージュと言う中世の古い町の中のレストランで、ガレットを食べていた時のことだ。

 

彼はすぐ近くのテーブルでドイツ人のビジネスマンと食事しながら商談していた。

 

銀色でウエーブした髪で、目はブルーであったと思う。

スーツを着て、かなり派手なネクタイをしていた。

 

すぐ近くにいる東洋人に彼等も多少の関心を持っていたようで、食事と商談が一段落すると私と自然と話すことになった。

 

彼は自分がハンサムであることを十分に自覚していふしがあり、私とのツーショットにも気軽に(というかむしろ積極的に)応じてくれた。

このあたりの振る舞いは、決して嫌みはなく、むしろ彼の人柄の良さを感じさせた。

 

彼とは名刺の交換をした。

一方ドイツ人とは挨拶はしたが、それ以上の発展はなかった。

ドイツ人とフランス人の気質の違いと言えばそれまでであるが、こうも違うものかというところなのだ。

 

私と一緒にいたフランス人のマダムが席をはずしていた間に始まった交流でであったが、返ってきたマダムも事態の推移は了解したものの、このハンサムムッシュとの交流に積極的に加わることはなかった。

初対面のフランス人同士の警戒感が、たしかに作用しているようだ。

 

その後、彼等は駐車場の方に戻るので別れたが、メールでの交流は今も続いている。

 

やがて家族の写真が送られてきた。

奥さんもなかなか上品なマダムであったが、目を見張ったのは娘さんである。

お医者さんだというそのマドモアゼルは、映画女優ではないかと思うほど、エレガントで綺麗な人ではないか。

 

まだこの家族と向こうで会う機会が巡ってこないのが、残念であるが、いつかその日が来ることを思うと、むしろ緊張するくらいである。

それくらい実に美男美女の家族なのである。

 

このころイラク戦争に反対していたフランスは、国連などでドビルパンと言うこれまたハンサムな外務大臣が、カッコよくスピーチしたりしていた。

彼はフランスの難関政治家養成学校である「ENA(エナ)」を卒業したエリートだった。

 

シラクの後継者と目されていた貴族出身の彼は、その後内務大臣、首相もした。

しかし汚職問題が発覚し、サルコジとの政争に敗れ失脚してしまった。

 

それはともかく、ドビルパンの容貌に似ている私のハンサムムッシュのニックネームは、「ドビルパン」になった。

 


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