フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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カテゴリーは居住地によって分けています

この友人 これもフランス

2012年03月12日 | パリ20区

イザベルからベルニを通して今までの友人とはまた違った関係の友人が続いた秋が終わり、次にやってきたのは男性の二人連れである。

彼らは二度目の来日で、一回目のときに奈良公園で出会った。すっかり日本に魅了された彼らは、二年経ってまたやってきた。

その時は特に何も感じなかったのであるが、たくさんのフランス人を知るなか、彼らはおそらくゲイではないかと思う。パリ市長もゲイであるフランスでは、驚くこともないのだが、私にとっては初めての知人となる。 

彼らは京都の宿に泊っていた。一泊は二食付きの少し趣のある日本旅館である。しかしそれは一泊だけでそのあとはビジネスホテルへ移動した。

南座で歌舞伎を鑑賞した後、彼らと昼食を一緒にしてから街歩きをした。ガイドつきだったので、初めての歌舞伎鑑賞も理解できたと興奮気味に話していた。

このカップル、一人はパリ大学の先生である。もう一人は電話会社に勤めている。後者はベジタリアンと言うことで、野菜中心のてんぷらを食べることにした。大学の先生はお構いなく何でも食べる。

この後、雪の白川郷も訪れた二人だが、自然の美しさとともにその先生は「ほおば焼き」がおいしかったとメールをくれた時に書いていた。 

祇園白川から三年坂を上がり清水寺から霊廟を抜けて再び祇園、そしてフランソワでお茶を飲み、錦市場を通り抜けてビジネスホテルへと帰る彼らと別れた。

大学の先生はおおらかでバンカラタイプ、もう一人は繊細で優しいタイプのブルトン人であった。

後にノルマンディーを訪れるときに日程が合えば連れて行ってくれるとのことだったが、あいにくバカンス時期で調整がつかず、見どころのアドバイスをくれたに留まった。

パリで食事をとの申し出も残念ながら果たせなかった。バルコニーにはモミジのプランターがあるそうで、旅行好きな彼らがあちこち訪れる国の中でも我が国はひときわ彼らの琴線にひびくものがあったようだ。 

100人近い友人の中にはゲイの友人がいたって不思議ではないかもしれない。あの日本通のダニエールも「御主人の友人のゲイのカップルの結婚式に行ってきた。私の国は日本とは大きく違うでしょう」と、言っていたことを思い出した。

そう言えば独身のマルチーヌが隣人の男性を夕食に招んだとか、彼の母国のスイスに一緒に行ったと聞き、いい関係なのかと冷やかしたら

「ここはマレ地区同性愛者が多く住み、そういう人達用のカフェや宿もある地区として知られている)ということを忘れないでね」と笑っていたこともあった。

ゲイも市民権を得ているのである。

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まだ届かないボルドーのフォアグラ

2011年06月26日 | パリ20区

 これはまた続きの話である

 

「ところで広島のユースホステルはどうだった?」

 

「それがねぇ、また大変で」と彼女は続けた。

 

「誰も宿泊客がいなかったの。私は一人でその部屋(和室)を使うことになったのだけど、オーナーは男性」

つまりユースホステルにはその晩彼女とその男性のオーナーだけだったと言う。

 

「鍵は掛けられるが、合いカギもあるだろうし、怖くてほとんど眠れなかった」と言うではないか。

 

まさか夜這いなどしはしないだろうが、美しく若い彼女としては、こんなことは世界どこでも経験しなかったことで、音がするたび、震えたとしても無理はない。

 

しかし一人しか客がいないなんて。

学生時代ユースに私も泊まったことはあるが、そんなユースはなかった。

今は若者のニーズも変わり、特にシーズンオフ(と言っても11月末であったと思う)にはこんなこともあるのだろうか?

 

外国人は自分を常に守る術が少なくとも日本人よりは身に付いてはいるが、これは怖がりとかそういう問題ではなく、危険から身を守る意識なのだろう。

 

それにしてもフランス人にして背が高く、元気いっぱいの彼女ではあるが、コインロッカー事件で泣いたことなど、やはりまだ20歳そこそこの可愛い一面を見た思いであった。

 

 

帰るとき、「フランスにはいつ来る?私はパリだけど、両親はボルドーの近くに住んでいるから、大歓迎よ」

「それにうちのお父さんは、フォアグラの缶詰め工場を経営しているの。小さい会社なんだけどね」「ほぉ、フォアグラの缶詰・・」

「フランスに帰ったら、おいしいフォアグラを送るから楽しみにしていてね!!」

 

ずっと待って、もうそろそろ6年目になるけど、まだ到着しないフォアグラである。

 

 


マドモアゼルの涙に大阪の人情

2011年06月17日 | パリ20区

これは、建築家を目指す若いマドモアゼルの話の続きである。

 

広島旅行から戻った彼女と京都で、東京行きの夜行バスに乗る前に一緒に夕食をした。

 

彼女のテンションは高い。

法隆寺からの帰りにすぐ「親しい二人称を」と言われ、ずいぶん距離は近くなってはいた。

 これを若い人から言われることはまれなケースである

 

一人旅の人の特徴として話相手が出来るとせきを切ったように話しだす。

しかもフランス語が話せるとなると、止まらなくなる。

いちいち「わからなかったからもう一回ゆっくり」は無しだ。

 

「わからなかったからもう一回ゆっくり」と止めないといけないところがやたらに多いので、話が進まなくなる。

それを避けるため、私は解った時も、そうでないときもふんふんと解ったように頷きながら、時には「ウイウイ」と言いながら聞くことにしている。

 

「天王寺では広島行き夜行バスに間に合った?」

「それが、大変だった!!」と言う。

JRで天王寺から奈良に来る前に、朝コインロッカーに預けた荷物がないと大騒動だったのだ。

 

夜行バスの時間は迫り、涙をぽろぽろこぼしている若い外国人女性を、人情の町大阪の駅員さんとしては、放ってはおけない。

言葉の壁なんてどこかに飛んで行った。

「サムライ魂」全快、何が何でも何とかしてあげたくなる。

片っぱしからロッカーを一緒に見て回ってくれたのだ。

 

しかし、見つからない。駅員さんも困り果てた。

そんなとき、駅員さんはひらめいた!!「もしかして、JR天王寺駅のロッカーではなく、地下鉄天王寺駅のロッカーでは?」

たとえ別会社のコインロッカーであっても、若きマドモアゼルのため、必死だ。

そう、彼女はユースホステルから地下鉄で天王寺に着き、そこでコインロッカーに荷物を預けたのであった。

その後JRで奈良に来て、JRでまた帰って行ったので当然JRの天王寺に着く。

コインロッカーはどこでもほとんど同じような色形なので、まったく勘違いしてしまったわけだ。

ともあれ、よかった!よかった!夜行バスに間に合い、無事広島へ行ったようだ。

 

広島での話はまた次に。

 


早起きは三文の徳

2011年06月07日 | パリ20区

日本の建築家の事務所に勉強に来る外国人が多いようだ。

京都で偶然出会った家族連れがあった。
その中のムッシュの姪もその一人で、東京の建築家の事務所に勉強に来ていて、帰国前に旅行をするということで、奈良に来た時会うことになった。
待ち合わせはJR法隆寺のホームだった。
時間通りに彼女はやってきた。

若く元気な彼女に「レンタサイクルで法隆寺」を提案した。
正直言うと私はその時が初めての法隆寺案内だった。
法隆寺の拝観料「1000円」は、夢殿も含むものの、清水寺とまでは言わないがもう少し料金の検討を望みたいところだ。



彼女は大阪のユースホステルに滞在していて、荷物は天王寺のコインロッカーに預けてきたと軽装であった。
ユースに泊まり、夜行バスを使って出来るだけ費用を抑えた旅のスタイルは、若者の特権である。

彼女によると、朝早く京都に着いた夜行バスのお陰でほとんど人のいない嵯峨野を散策出来たと言う。
それで翌日からも早くから行動し、龍安寺の石庭も観光客が少ない朝一番に見ることが出来たと大変喜んでいた。

奈良の観光を済ませて、この後広島へ行くと言う彼女はユースホステルの予約にてこずっていたため、電話を代わって予約を取り付けた。
気をつけていくように言い、そして京都にまた夜行バスで戻ってきたとき京都で会おうと約束をして見送った。

旅のお土産話を楽しみに帰りを待っていた。
そして期待通りのハプニング体験を聞くことになる。

旅は、これだから楽しい。


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