フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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カテゴリーは居住地によって分けています

奥さんのいない間は「オー!カーラ!」

2012年04月22日 | パリ17区

さて前回、シャンパーニュへ行くと書いたが、記憶違いで革命記念日(パリ祭)の見物などの日程が抜けていた。 

やはり実際の行動通り、時系列的に正しく話をするとしよう。

飛びきり美味しいハムバーグを食べたあくる日は、7月14日の革命記念日(パリ祭)の日であった。 

朝、凱旋門近くのアパルトマンから抜け出して凱旋門へ行ってみたが、昨日と違って大勢の人が見物に来ている。行進待ちの軍用車両も沢山駐車していた。

市民がこの車両に乗れる。

この車の運転席にも市民が乗っている。

パレードの待機中

昨日のようには凱旋門の近くには近づけないようになっていて、遠くをぐるっと左回りに回って、シャンゼリゼの南側の通りに出た。

これ以上凱旋門には近づけない。

道路近くにはロープが張ってあり、見物しようと中に入るには警察官の手荷物検査が必要だった。あいにく雨が降っていて、時折激しく降ったりした。 

朝ゆっくりしてからアパルトマンを出てきたので、行進の先頭部分はとっくに出発した後で、サルコジ大統領はこの行進の先頭にいたから、見ることが出来なかった。 

私が見たのは徒歩で行進する人達ではなく、行進の後の方の軍用車両などのみだった。

長距離砲?

戦車

 

ボートをけん引している車

ゴムボート

そして最後尾には消防自動車が行進した。この時見物人から沢山の拍手が贈られた。

はしご車

最後尾

後で聞くと、消防士たちは日ごろの市民生活についての身近な活動に対して感謝されていて、尊敬されているからだと言う。男の子に大きくなったら何になりたいかと聞くと「消防士」と答える子が良くいるとのことだった。 

それにしてもお洒落の国であり、軍人さんもいろんな制服を着ており、それぞれ格好良かった。

かっこいい軍人さん

 

行進が終わったので帰りかけたが、軍用飛行機の空中デモがあり、カメラを空に向けビデオ撮りをした。そうすると折からの雨がカメラにかかり、カメラの調子が変になってしまった。

大きい軍用機

 

アパルトマンに帰ってみると、ムッシュはテレビで行進の様子を見ていて、カーラ大統領夫人が映っているのを見ていて、カーラ、カーラとカメラを向けて喜んでいた。ファンらしい。奥さんのカトリーヌが留守だから、こうして「カーラ」のシャッターを切っていたのかもしれない。

軍用飛行機もアパルトマンの窓からよく見えたと言うことで、雨の中出かけて行った私の方がなんだか損したような気になった。 

この日の午後はサンジェルマンアレーの友人宅へ行くのだが、そのことは次回に語る。

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エブリンは私の宝物、チュッ!!

2012年04月17日 | ブルターニュ

カトリーヌがとてもいい人だったので、複雑な思いで迎えたエブリンは、タイプは全く違い、背が高くスマートでおしゃれにも気を使う人だった。

カトリーヌはとにかく食通で太っちょだったのとは正反対である。 

何となく、名前もカトリーヌと言うと、少しロマンティックだが、エブリンと言うとセクシーな響きがある。

エブリンお気に入りのシャネルの香水をぷんぷんさせていた。洋服もいっぱい持ってきていて

ジェラールは「スーツケースの中身はほとんどエブリンのもの」と、笑っていた。

年はカトリーヌは40代なのでずいぶん年下だが、どちらかと言うとあねご肌でサバサバしていたカトリーヌとはこうも違うのだ。

ジェラールが好きな桂離宮へも、カトリーヌのときと同様にやっぱりエブリンを連れていくと言うので、その予約も頼まれた。 

カトリーヌとの時と違って今回は、奈良も案内し、我が家で二泊した。

ジェラールが日本食好きなのは分かっていたが、エブリンも食べてくれた。箸が上手に使えなくても一生懸命努力して使っていた。

むしろジェラールが苦手とするものも「おいしい」と進んで食べていたくらいだ。この二人は特にあさりの澄まし汁が気に入ってくれたようだった。 

奈良の案内で、能楽堂ホールのある新公会堂に行った時、ジェラールは「以前会議で来たことがある」と言ったので少し驚いた。

私の知り合いでは、ここに私の案内以外で来たことがある人は初めてだった

二月堂へ向かう階段のエブリンとジェラール 

難波のブルターニュの旗が目印のクレープリーでティータイム

 

ところで、この二人、新婚さんなので無理はないとはいえ、ところかまわずとにかくいちゃいちゃするのだ。

二日目に大阪へ向かう電車の中でも「チュッ」とするのだから、一緒にいるこちらまで恥ずかしくなった。

若い二人なら気にならなかったと思うが、何しろジェラールは60代、エブリンは50代である。「エブリンは僕の宝物」と真顔で言うのだ。

もうこれを逃してはという思いも解らないではないが、ムッシュのあまりのお熱ぶりに、エブリンに返って飽きられないかなと心配になるくらいだった。

 

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パリで食べた「絶品!ハンバーガー」

2012年04月16日 | パリ6区

さてパリへ帰る日、大急ぎでアヴィニョンのTGV駅へ、イザベルが車で送ってくれた。結構ギリギリであったが何とか時刻に間に合い、イザベルとゆっくり別れを惜しむ間もなく列車がやってきた。 

急いで乗ろうとしてハッとした。駅のアナウンスが耳に入ってきたのだ。リヨン駅に行く列車でないと告げているではないか。イザベルは帰ってしまっている。

しばしパニックになったが、やっと状況が解った。この列車が遅れているのだ。私が乗ろうとしている列車は、この後に遅れてやってくるのだ。 

日本じゃ新幹線がそうそう遅れないが、フランスじゃよくあることなのだろう。慌てていたから、まちがって乗ってしまいかけたが、気がついて良かったと胸をなでおろした。 

 

パリ・リヨン駅では元軍人さんとその奥さんが待っていてくれて、この後夕食まで一緒に行動するのだがそのことは以前に書いたのでここでは割愛する。 

その夕食と言うのがこれまた知り合いのハムバーグ屋さんなのだが、ここでこのハムバーグ屋さんカップルを私に紹介してくれたセシールが、会いに来ていて待っていてくれた。

ハムバーグやさんカップル

セシール

実は時間が無いので、今回はセシールにはパリ滞在を知らせていなかったのだが、彼女はこのハンバーグレストランを時々利用しているようで、私が来ることを彼等から聞いていたようだ。 

このハムバーグ屋さんカップルは、セシールの紹介で奈良の私の家に泊まったがその時のことも既に書いたのでここでは割愛する。 

つまりややこしいが、この日のハムバーグ屋さんで軍人さんカップル、かれらがその時呼び寄せた軍人さんカップルのパリ在住の息子さんとその彼女、ハムバーグ屋さんカップルとその赤ちゃん(オスカル君)、そしてセシールが集まったのだった。赤ちゃんも含めて全部で8人になった。 

ハムバーグ自体はアメリカのチェーン店のそれとはまったく違って、上等のお肉を使ったそれは本格的に美味しいものだった。日本に来た時そう言っていたが、現地で食べてみて実感し納得した。

 

この日朝にはアヴィニョンで演劇を見て、ランチを精神科医宅でいただいていたのに、午後はパリの凱旋門でのパリ祭の予行演習を見学し、ノートルダム付近を散策し、サンジェルマンデプレ教会付近のハムバーグ屋さんで夕食となったわけだ。

その後セシール、ハムバーグ屋さんカップル、軍人さんの家族の順にお別れし、凱旋門近くのカトリーヌのアパルトマンに帰った。今振り返ってもよく動いたものだと思う。 

翌日からはカトリーヌとそのムッシュに、彼らが持つシャンパーニュの別荘へ連れて行ってもらう予定なので、話はそちらへ移ってゆく。

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泣いたムッシュが三ヶ月後見つけた新しい恋人

2012年04月14日 | ブルターニュ

四月はパック(復活祭=春分後の最初の満月の後の最初の日曜日)の休暇もあるので、続々とフランス人がやってくる。 

ベルニに続いてやってきたのは、この人だ 

前年4月から5月にかけてフランスを訪れたとき、奥さんのカトリーヌが「今朝出て行った」と、ずっと泣いていたムッシュである。 

帰国後も励ましのメールを送ったりした。

四国旅行へ行った時、四国の友人の女性が写っている写真を送ると、「お遍路さんにいつか行きたい。ところで、彼女は独身?」なんてことを言ってもいた。 

それがわずか三カ月後の夏、彼から送られてきた写真を見て、仰天した。 

何と「素敵な彼女が見つかった。彼女は中学校の教師をしていてアンジェに住んでいる。遠距離になるので週末行ったり来たりなんだけど」と、仲むつまじい写真である。

おそろいの浴衣を着た写真や、何とカトリーヌの故郷の別荘で二人が過ごしている写真まで添えられていた。

日本が好きと言う自分の趣味を相手に押しつける?ことや、前妻と過ごした別荘に連れていく神経は理解に苦しむけれど、まあ、それも「セ・ラ・ヴィ」と言うことか。 

そして、その彼女エブリンと一緒に来日したのだった。

前妻を知っている私としては複雑で、しかもカトリーヌはあれから単身チュニジアに渡ったと聞いている。彼女は見知らぬ地で苦労をしていることだろう。

ェラールはもう前しか向いていない。エブリンとすでに一緒にエジプト旅行もしたらしい。そんな思いを留めながら、彼の新しい門出を祝福しなければならない。彼にとっては三度目だが、結婚式までちゃんと挙げた。いわば今回は新婚旅行だ。

奈良で彼らを迎え、一緒に昼食を取った。カトリーヌとは全くタイプは違うが、エブリンはエブリンでとても感じのいい人だった。すんなり私も彼らを祝福する気分になれたのだった。

 

奈良、大阪への観光に同行することは、次の項に記したい。

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演劇祭のフルヌードにウワア-ッッ!

2012年04月11日 | プロヴァンス

アヴィニョンの演劇祭と言うのは街中のあちこちの小さい劇場で、いろんな劇をしているのだと言うことがここに来て判った。 

その夜、精神科医のご主人と奥さん(ただしこの時点ではまだ正式に結婚式を挙げていなかった)に連れてもらって、

精神科医のカップル

ストーリーはあるようだが音楽劇なので、良くわからない。管楽器を演奏していたがそのクラリネットみたいなのを3本ほど縦に繋いで吹いて見せたりした。 

もう一つ印象に残ったのは、舞台で本物の火を使ったことだった。日本では消防法で禁止されているだろうけれど、ここでは特別に許されているらしい。 

劇は写真撮影が出来ないのでお見せできないが、面白かったことは確かだった。家に戻ると精神科医から感想を聞かれた。

「私達は演奏された曲についての意味が解るので、面白かったけどどうだったかな?」

こういう時「うん、面白かったよ」だけでは済まない。 

「非日常的な世界を楽しんだよ。こういうものを見ておくと、何か壁にぶつかった時、発想の転換をしてブレークスルーするのに役立つのではないかな?」というようなことを言った。どうやらこの答えで彼は満足してくれたようだった。 

翌日は、今度は宿泊している精神分析家夫妻と別の劇場へ出かけた。彼等はここに泊まって連日あちこち見に行っているようだ。

精神分析家夫妻

この劇もストーリーがあるが、喜劇なので言葉が解らなくても面白い。昨夜と同じで男女数人ずつで全員でも6人くらいだった。 

夏の海辺でのバカンスの劇で、強烈に印象に残ったのはほんの瞬間だったが、男優がフルヌードになった時があったことだ。扉から飛び出して来た時だったが、1秒も無かったと思う。しかし観客は皆びっくりした。これも日本では見たことが無い。 

芸術祭の内容はいかにも南フランスらしい、ラテン的な内容の物ばかりのようだ。この時期アヴィニョンの街は活気にあふれ、街全体がお祭り気分だ。

このような形のお祭りも日本にはない。 

若者を中心とした劇場芸術に対するいろんな方面への試みがなされ、新しい創作が行われる。人々は日常生活からひと時解放され、これを観賞し、心を白紙にセットし直し、明日への元気に繋げていく。そう言う印象をもった。 

イザベル宅で急いで簡単な昼食を頂き、それでもTGVの出発にぎりぎりという有様で、イザベルに「TGVはあなたを待ってはくれない。急いで」と言われたのだ。

また忘れ物をアヴィニョンまで届けてもらったことも知っているので、「忘れ物をしたら私はパリまで届けられないわよ」と言って、笑われた。 

そして私は日本人らしくさっさとこの日アヴィニョンに別れを告げ、TGVであっという間にパリにもどったのであった。

そしてリヨン駅には、奈良で出会った夫婦が私を待っていてくれた。彼等は7月14日の革命記念日(日本で言う「パリ祭」)に併せ、ツールーズからパリに来ていたのだった

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