フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

シンディとエレーヌのコンビがやってきた。

2014年07月11日 | プロヴァンス

春にはアンリの奥さんのアニエスの紹介で、この二人がやってきた。

シンディは、アニエスが勤める中学校で体育の教師をしている。

左がエレーヌ、右がシンディ

友人のエレーヌは、数学の教師だ。と言っても同じ学校ではなく、特定の学校、いわば塾や家庭教師のような先生だという。

 彼女たちを駅に迎えに行くと、大きなスーツケースを持っているので、「タクシーで行こうか」と言ったが、「大丈夫」という。

そして大きな荷物があると20分近く歩いてかかる我が家までが、遠く感じる。

その荷物をずっと運んだのは、シンディだ。エレーヌはまるで自分の分担ではないというように、手を貸そうともしない。

シンディは体育会系だが、やはり荷物は重そうだった。

 

シンディはハキハキとしている。エレーヌはニコニコ笑っているばかりだ。

彼女たちは、お昼前に奈良に着いたので、昼食を済ませてから奈良の街へ出かけて行った。歩いて東大寺へ行くという。

9日間の奈良滞在のスタートだった。

 

彼女たちは30歳前後なのだが、食事については日本食だからというのではなく、かなり好き嫌いがあった。

シンディは子供の様に、ピーマン、ナス、ホウレンソウ、ネギなど食べないし、エレーヌは甘いものがダメだった。

 

日本食は生魚もOkだし、おからや豆腐料理は好物だった。餡も好物で、わらびもちも食べていた。

 

翌日は、もう一日レンタサイクルで奈良へ。ランチには豆腐料理を食べたそうだ。

明るい彼女たちと夕食時間に一日の出来事を聞くのは本当に楽しかった。

着物を着てご機嫌の二人

 

大阪に行き、大阪城付近で「アイラブユー」と抱きつかれたとか。

その日本人の男の子は知らなかったのだ。シンディは空手の有段者(フランスでも黒帯)だと言うことを。

 

近所の空手道場へ見学に行きたいという彼女について行った話は、また次に。


大切に着ている35年前のラコステのことなど

2013年07月07日 | プロヴァンス

彼は広島から帰った翌日には疲れもないのか、名古屋の熱田神宮へと向かった。 

そして、その翌日、今度はネットで知り合ったという日本人の友人に会いに京都へ出かけて行った。夕食も彼と共にするので要らないということであった。

帰ってきたのは夜10時半を回ったころで、京都の料亭で夕食をご馳走になったと少しほろ酔い気分であった。

そんな気分も手伝ってか、多弁なフランス人にしては比較的口数の少ないジュリアンが、珍しく話し始めた。 

今日は龍安寺や友人の家にも寄り、大変おいしいご馳走を頂き、素晴らしい一日だったという。

しかしと、彼はつづけた、「その友人は素晴らしいおもてなしをしてくれた、そのことにとても感謝をしているけれど、自分はサラリーも多くなく、彼がフランスに来てもとても同じようなおもてなしはできない。」と思うと。

そして「僕は車を持っていない。車を持つと、日本にはこれない。日本に来るか車を持つかの選択で、僕は日本へまた来たいから、いまはまだ車は持てない。」とも言った。

そして、「フランスには、星(ミシュランのことだ)がなくても美味しいレストランはたくさんある。そして何より肩もこらない。僕はそういうところへ連れて行きたいけどどうだろうか?」と聞いてきた。 

率直な心の内を話してくれる、これは信頼していないとできないことだ。そのことにいたく感動した私は「あなたのその気持ちが大事。きっとその思いは通じると思う。私も肩のこる思いをして高い料理を頂くよりは、星がなくてもおいしいと言われるところ、地元の人が良く行くところがいいといつも思っている。」と答えた。 

ついつい忘れがちになるフランス人のそういう感覚を見習いたいと思っているので、この時の彼の言葉はずっと心に残るものになった。 

彼の着ていたラコステのポロシャツも何と35年前おじいさんが着ていたものなんだという。確かに少し使用感はあるけれど、まだまだしっかりしていて、物を大事にすることの大切さをまた教えてもらうことになった。 

彼はいつも電車の中でルイ・ヴィトンなどのブランドバッグを持っている若い人を見て、「日本人の若い人はお金持ちなんだな。」と思っていたそうだ。

たぶんサラリーは彼と変わらない人もいると思うが、「買えても自分に合わないものは買わない。」というその分をわきまえた生活態度に、いつも感服させられる。 

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温かい牡蠣なんてフランスにはないよ!!

2013年06月30日 | プロヴァンス

厳島神社は震災直後ということもあって、本当に観光客が少なかった。日本人はおろか、少数のアジア圏の観光客を見たくらいで、こんな宮島は珍しいのではないだろうか。

ジュリアンも真っ先にそのことを感じたようで、ゆっくり何かを心に刻むようにカメラのシャッターを切っていた。 

入口にあった木彫の大きな白馬をみて、「これは神社とどういう関係があるのか?」と尋ねられたので、神社の方に聞いてみたが答えらしい答えは返ってこなかった。

フランス人にとって馬は他の動物とは違う特別な動物であるらしいので、興味深かったようだ。

この種の質問はよくあることで、普段何気なく当たり前の風景と思っている事が、外国人から見れば不思議なのだ。そして大概の場合、説明に困ってしまい、改めてネットなんかで調べてみたりする。 

さて、お腹もすいてきたので、食事をすることにした。

彼は「温かい牡蠣なんて、フランスにはない。」と言っていたので、牡蠣が無理なら穴子にしようかと思っていたところ「牡蠣を食べてみる。」というので、牡蠣を食べることにした。

彼は牡蠣ごはん、私はカキフライを頼んだので、少しずつ交換し、焼きがきも注文した。

「どれもとてもおいしい」と、初めて食べる「温かい牡蠣」は彼をとても喜ばせ、帰国したら家族や友人に知らせたいと言っていた。またこの店には牡蠣に合うワインということで、フランスのワインリストがあることにも驚いていた。 

それからもみじまんじゅうをいくつかお土産に買い、宮島を後にした。

そして、広島駅に戻り、広島の市内観光へと向かった。広島の平和公園を訪れる観光客も震災の直後のせいからか、少なかった。

語り部と呼ばれる方が何人か、ご自身や家族の方から伝え聞いた体験談を話していた。

それとは別に何人かの人が、外国人とみては話しかけている。最初はどこの国から?とか普通の質問をしているのだが、どうやら宗教関係のようだと悟ったジュリアンは言葉少なに離れた。

爆心地のたくさんの千羽鶴を見て、資料館へと向かった。

ヴァンサンは痛ましい惨状を目の当たりにして心が痛んだと感想を述べていたが、私から見て彼は比較的淡々と見ていたように思う。

フランス海軍に属する彼は、戦争というものをまた別の視点でとらえていたのかもしれない。 

こうして山口・広島を一緒に旅をして、帰路へと着いた。 

この後奈良での数日我が家での滞在で、彼とまた距離が近くなることを感じるのだった。

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震災で三陸の牡蠣が危機になったとき、「お返し作戦」

2013年06月21日 | プロヴァンス

広島に着いて、その夜は広島焼きを食べに行き、歓楽街を抜けてホテルに戻った。

日本の歓楽街は彼の目にはどう映っただろう?

東京や大阪へも行っているので、ここが初めてというわけではないが、フランスとはまた違う看板など興味深そうに?見ていた。

 

そして明けて翌日、いよいよ広島見物である。

まず先に宮島に行くことにした。広島駅までホテルから歩いた。そして電車とフェリーを乗りついで宮島へ。

私は40年ぶりに訪れる宮島だが、大鳥居がフェリーから見えてくるとさすがに「宮島というと大鳥居」、存在感があり、どこの神社にもない荘厳な美しさも感じられる。 

外国人にとって、神道は理解しにくいというが、ここは解りやすいと言った人がいた。仏さんと違って神様は目に見えないけれど、鳥居を始めとして社殿を視覚に訴えることができ、一目見ただけでその美しさがわかるということなのかもしれない。 

キリスト教はキリスト像やマリア像を拝むことが出来、仏像を拝むことが出来る(秘仏のような例外は別にして)仏教と共通したところがある。

しかし、日本の神道では、神様は一般には見えない。わずかに神官が発する神の声「ウーォーッ」というあれしか聞けない。鳥居をくぐって本殿にたどり着くまでの、くねくねと続く長い参道も効果的で、そこに神秘性があるのだが、解りにくいと言えばそうかもしれない。 

さてジュリアンは以前フランスのテレビで宮島の特集があり、「焼きがき」に驚いたという。フランスでも牡蠣はご馳走、クリスマスのテーブルにも並ぶほどだ。

でもそれは生ガキである。私もブルターニュでフランスの生ガキを二度味わった。(実は初めて生ガキを食べたのは日本ではなく、フランスだった。)

日本と同じくぼみのある形の牡蠣は日本のものより少し小ぶりで、もう一種類平べったい牡蠣も小ぶりであるので抵抗なく食べられた。

フランスの牡蠣は二度病気のため危機に陥ったが、その度に三陸の牡蠣の養殖業者に助けられたことがあり、震災で三陸の牡蠣が危機になったとき、「お返し作戦」ということで、フランスから助けてもらったといういい話があるそうだ。

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広島焼きに「セ・ボン!」

2013年06月16日 | プロヴァンス

岩国駅からバスに乗り、錦帯橋に着きました。

 

桜はすでに散ってしまっていましたが、子供の時に見て以来のその美しい橋に改めてとても感動しました。

ジュリアンもまた同じ気持ちだったようで、カメラにその姿を収めていました。

橋を渡り、宮本武蔵ゆかりの松を説明したり、散歩をしながら、戻ってきました。

そして広島へと向かいました。

 

宮島を通った時、「明日はここに来るからね」と彼に言うと、「うん」と嬉しそうにうなづいていました。

ホテルまでは駅から徒歩で15分くらいだったと思いますが、せっかくなので、路面電車に乗ることにしました。

昔の京都の市電等が走っているイメージでしたが、私たちが乗ったのは、フランスを走っているトラムと同じモデルのものでした。

富山に行った時もこの形のトラムが走っていました。

ちなみに富山では、フランスの貸自転車(ベリブ)と同じシステムの

 

ホテルにチェックイン後、ホテルの人に教えてもらった「広島やき」のお店に行くことにしました。

何でもおいしいという彼だが、これも気に入ったようでした。

 

「戦後50年は草木も生えない。」と言われた広島の町は、彼の目にどう映るのか、それはまた次に。

 

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