フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

お人好しの彼に出会った最初のこと。

2011年05月22日 | プロヴァンス

彼との出会いは、彼からの「こんにちは」で始まった。

アヴィニョンの法王宮殿を見学し、法王宮殿の前の下り坂を曲がったところに、背の高い体の大きな、しかしニコニコ顔の彼が立っていた。

一度仕事で日本に来たことがあり、日本が好きで日本語を勉強しているとのこと。
彼は教会の宗教関係者ではなく、法王宮殿に保管されている古文書の学芸員らしい。

私がアヴィニョンの近くのグラブソンに泊っていると言うと、彼もアヴィニョン郊外に住んでいるから、遠慮しないで家に遊びに来なさいという。

グラブソンのオーナーにこのことを話し、彼の家に行きたいと言うと反対された。
「なぜそんなちょっと知りあっただけの人を信用して行くのか。」と言う。
フランス人の他人に対する警戒感である。

私は本人に会っているので、直感的に悪い人ではないと思っていた。むしろ人柄がよいとさえ感じ彼の家に行きたくなったのである。
結局彼から電話がかかり、グラブソンのムシュと直接話してもらった。

最初語調が強かったが、ようやく、「悪い人ではなさそうだ。」と、ムッシュも私が彼の家に行くことに反対しなくなった。それでもマダムは「荷物に気をつけなさい。油断したらだめ。」と言った。

彼が車で迎えに来、先に荷物をTGVの駅に預けに行った。
駅では彼の知り合いらしき年配の婦人に会い彼とあいさつを交わしていたが、人品卑しくないマダムだった。
これでまだわずかに残っていた彼に対する、私の警戒感はかなり解けた。

次に手持ち現金が少なくなったので、チェックを現金化したいと言うと、それならばと彼の取引先らしい日本でいう農協に立ち寄った。
ここでも応対に出た責任者らしい女性は、農協ではチェックは取り扱っていないと彼に丁重に話していた。
その様子を見て、警戒感はさらに解けた。

彼の家に着きしばらくすると、私に会うために奥さんが勤め先から急いで帰ってきた。
その奥さんに会って、私はもう完全に彼らを信用するに到った。

奥さんは中学校のフランス語(つまり国語)の先生であった。
奥さんは日本の「活け花」を習ったがうまく活けられないから私に活けてくれと言う、
ちゃんと剣山があった。

そこで彼らの庭の花を適当に切り、活けてみた。


その最中、彼は「どういう哲学によって活けているのか?」と聞いてくる。
つまり、どういうビジョンと言うか、心構えと言うか、どういう心かと聞いているようだ。

これはフランス人独特のよくある問いかけである。
理念を聞くのである。いちばん底にある部分を聞いてくる感じである。技術的なことを聞いているのではない。

しかし、フランスの他の家でも感じたことがあるが、生えている花を切り取って活けることに抵抗感を持つ人がいるのも事実である。

「生えているものを切ってしまうと、花が死んでしまう。」という考えである。
これは活け花の大問題である。

古い活け花の本に、このことについて論じてあるものを先生から教えてもらったことがあるが、ここでは割愛する。


楽しい訪問はすぐに時間が過ぎ、やがて私は彼の車で送られて、アヴィニョンの街に戻ったのである。

この夫婦はその三ヶ月後に、結婚30周年記念の旅行で日本にやってくるのであるが、それはまた次の機会に紹介することにする。

また彼に「お人好し」という言葉を当てはめるのは失礼だが、人柄が大変よい。
このことに関しても、別の機会に触れたい。



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