フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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カテゴリーは居住地によって分けています

凱旋門が見えるアパルトマン

2012年02月26日 | パリ17区

今回の旅は初めてパリ祭(714日)を見に行く目的で、初めて夏に行った。

 

長い飛行機は本当に疲れる。

朝早く家を出てその日の夕方にシャルルドゴール空港に着くが、地球の回転に沿って飛ぶので日本時間の深夜に着くわけだ。

 

前の座席の人の腕が座席の間からニョキッと見えた。

 

 

退屈だからフォークで突いてみたい衝動に駆られたが、カメラの上だけのことにした。

 

 

ようやく無事シャルルドゴール空港に着いた。しかし、今回は何時も迎えに来てくれるミッシェルさんの家に寄らない計画なので、今回泊めてもらうカトリーヌとリシャールの家へは自力で行かねばならない。

 

彼等のアパルトマンは凱旋門の近くだから、凱旋門行きのバスに乗ればいいのだ。ところが予定していたバスが来ない。聞いてみると今日は休みだと言う。モンパルナスやオペラ座方面のバスはあった。でも肝心の凱旋門行きのが運休と言うことだった。どうやら今回は最初からちょっと調子が悪い。

 

仕方がないのでタクシーに乗ったが、33ユーロくらいで着き、案外安い感じがした。

 

着くとご主人のリシャールが迎えてくれた。彼は元銀行員だが、今はリタイヤして無職だ。奥さんのカトリーヌはインテリア・コーディネーターのような仕事をしていてまだ帰っていなかった。

 

アパルトマンの窓から凱旋門が見えた。

 

 

 

やがて彼女は帰宅した。

普通なら夕食の時間だが、すぐ一緒に凱旋門に散歩に行き、また戻ったが、この季節夜遅くまでパリは陽が落ちず、明るい。

 

 

 

 

路上駐車にすごい車が停めてあった。こんなところに停めておいて大丈夫かなとびっくりだ。

 

 

帰宅すると彼女は手早く夕食の準備し、あっという間に豪華夕食となった。

その間ご主人のリシャールは何もしない。二階でテレビを見ていただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

この小柄同士のそういうカップルなのだ。私が口を挟むことでは決してない。

 

 

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カトリーヌは、スペシャル!!

2012年02月23日 | パリ17区

前回、リシャールが、どれほど家事に携わらないか書いたが、今回はカトリーヌの不思議な考え?について触れよう。

 

彼女は、子供のように純粋で好奇心旺盛な女性であり、独創的である。

そして大変なフェミニストでもある。

しかし私がそれまで考えていたフェミニズムとは、ちょっと違った

例えば、リシャールはお茶を点てるのも料理と思う人で、もちろん料理はカトリーヌがすべてする。後片付けも然りである。

我が家でも布団の片づけはすべて彼女であった。

 

そして以前ブルターニュで経験したお皿を片づける際、「それは女性の仕事」の話をした時だ。

カトリーヌはそんなこと言われたら「私ならその場でお皿を落とすわ」と言い切った

でも実際は彼女はすべてしているのである

つまり、そういう考え方は拒否だけれど、自分が進んでするのは一向に問題がないのである

男性に手伝いを求めないのである。

アメリカ人のウーマンリブとは大きく違うようだし、今は日本でも夫婦共に働いていたら、分業もしくは協力し合っているのではないだろうか。

 

彼女はまた第二次世界大戦での日本のことを尋ねてきた。リシャールは「ノー、カトリーヌ、それはデリケートな問題だから、慎みなさい」と小さな声で

彼女に言う。

しかし彼女は聞きたいのである。もちろん「私の分かる範囲で答えよう」とリシャールに「遠慮はいらない」と、言った。

 

ピアニストの姪に喜んでもらった経験から、今度は彼女に初めて着ものの着付けサービスを体験してもらった。

そう、あの後、気兼ねなく着てもらえるよう、骨董市やリサイクルショップで何点か揃えたのである。

ピンクの訪問着がよく似合う。おなか周りがちょっと太めで帯が一重しか巻けなくてもご愛敬だ。

彼女は文字通り手を叩いて「素晴らしい」と喜んだ。それから何度もフランス人に着つけたが、彼女の喜びようは一番印象に残っている。

それを見たリシャールは「まるでプチ・ブーダン(ソーセージの一種であるが寸胴のことを指してであろう)」と冷やかすが、その笑顔は嬉しいそうで何枚もシャッターを切っていた。

私も「いいね。プチブーダン」と言ったつもりだが。帰国後リシャールは私が「プチ・ブッダ」と言ったとカトリーヌにいい、「あなたのつけてくれたニックネームは気に入ったわ」と言ってくれたのだ。

 

最後になったが、このリシャールはシャンゼリゼ通りにある銀行に勤めていて、今は退職している。

彼女は今は家のリフォームなどコーディネートする仕事をしている。

リシャールは再々婚、カトリーヌは再婚であるが、一緒になって40年近い。

そしていつだったか、クリスマスに家族が集まった写真が送られてきた。

「あなたはびっくりするかもしれないけど、私の左がリシャール、右側にいるのは前の夫よ」と言葉が添えられていた。

リシャールに言わせると「それが、カトリーヌ」なんだそうだ!!

素晴らしい彼女の人徳である。

 

駅まで送って行った時、「パリに来たら絶対うちに泊ってね」と涙をうっすら浮かべてお別れをしたのだった。

 

 

 

 

社交辞令ではなく、それから二年後、そんな彼女たちのお世話になりパリ凱旋門近くのアパルトマン、そしてシャンパーニュの別荘にまで連れて行ってもらうのである。

 

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楽しくなかった夕食

2012年02月22日 | パリ19区

「レ・ドゥー・マゴ」を体験してミッシェルさんの家に帰ってきた。

 

その夜ミッシェルさんの友人のベトナム人のお医者さん夫妻と、マルチーヌが夕食に呼ばれることになっていて、私もその夕食を一緒にすることになった。

 

ミッシェルさんの奥さんのジャンヌ・クロードの手料理である。

 

ちゃんとアペリティフから始まって、前菜、メインはブランケット・ド・ヴォー(仔牛のクリーム煮で、これはとても美味だった )サラダ、チーズ、デザートとフルコースだった。もちろん赤ワインも出た。

 

 

ベトナム人夫妻のご主人はベトナム人、奥さんはフランス人(ノルマンディー出身、金髪に青い目)である。

ご主人は麻酔の専門医だそうだ。兄弟もみな優秀だと言うことだった。

 

奥さんに「あなたも働いているの?」と聞いたら、「ノン、夫が稼いでくれるから」と言うことだった。つまり専業主婦だ。

 

 

ベトナムからやってきてフランスで麻酔の専門医をしているなんて、すごいなと思った。

 

料理は次から次と出てきて美味しかったのだが、残念ながら言葉が通じない。

ベトナム人夫妻とマルチーヌやミッシェルさん夫妻は色々会話を楽しみながら食べているが、ほとんど何を話しているのか解らない。

 

マルチーヌだけが時々、「解る?」とゆっくり説明してくれることもあったが、難しい話題にナチュラルスピードではまったく蚊帳の外だった。

 

大概は私のためにゆっくり話してくれたり、私向けの話題にしてくれるのであるが、この時ほど面白くないディナーはなかった。

つまり誰がゲストなのかわからないし、ホストの気遣いも感じられなかったのだ。

せっかくの料理であったが、食事時の会話がいかに食事のおいしさや楽しさに影響するか、いやと言うほどわかった。

 

やがて夜遅くなりベトナム人夫妻は帰り、マルチーヌもミッシェルさんに地下鉄の駅まで送ってもらって帰って行った。

 

 

マレ地区に住んでいるフランス人のマルチーヌでも、「メトロは問題ないけど、駅までが危ないから」とのことだ。メトロの駅まで5分もないのだが、それでもこのあたりは昼間の景色とは違い物騒らしい。

だから私はミッシェルさんのところに夜遅く戻るときは、いつもタクシー利用である。

 

明日はパリを去る日であるが、その前の晩の食事にしては残念なことになってしまった。

 

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亭主関白?それとも怠け者?

2012年02月19日 | パリ17区

翌朝、奈良観光に出かける二人を最寄り駅まで送って行った。

電車がすぐに来たので、カトリーヌは「じゃあね」と走った。その走りっぷりを見て、意外に?若い?運動神経がいい?と感じたのだが、

それはまた後で分かる時がやってくる。

 

二人は昨夜のおさらいをするように、忠実にアドバイス通りに観光を楽しんで帰ってきた。

ワインのお礼と言うわけでもないのだろうが、「生チョコ」がおいしそうだったからとお土産にいただいた。

 

この日は、ワインではなく、日本酒を出すことにした。

ワイン通の人は、日本酒もよく味が分かるようで、2種類のお酒を何も言わずに出して「どちらがおいしい?」と聞いたら、「大吟醸」を指差した。

そして大吟醸について説明をしたら興味深く耳を傾けていた。

 

食事が終ったあと、いつも習字や、折り紙、お茶の真似ごとをするのが慣例だが、

このカップルの反応は特徴が?あった。

 

まず、お茶を点てる見本を見せた。とは言ってもポットのお湯で茶せんを使う体験くらいの簡単なものである。

カトリーヌは好奇心旺盛、すぐにやってみて嬉しそうだった。

今度はリシャールの番、しかし彼はこう言った。

「私は料理はしないんだ」と。料理?お茶を点てるのはもちろん料理ではないのだが、「男子厨房に入らず」なのか?

彼はきっとコーヒーを入れることもないのだろうと想像した。

 

そして習字だ。

何とカトリーヌは字を横にして書いていく。こんな人は初めてだった。

もちろんそれぞれの個性を優先したいので、そのまま続けてもらった。

こういうところが好きだ。何と独創的な人だろう

それに反して、このムッシュ、「ぼくはやらない」と固辞した。

時々いる「恥をかきたくない」思いの強いフランス人だ。英語を話さないと言われるフランス人、多くは下手な英語が恥ずかしく話さないのである。(ムッシュA, ムッシュBムッシュC

 

最終日は、折り紙だった。

何種類か折り、もちろんカトリーヌはすべてにおいて意欲的に取り組む。

しかしムッシュはしない。

でもみんなが喜ぶ最後の「飛ぶ鳥」のときは、「やらないと後悔するよ」と勧めた。

「やると後悔する」と彼は答えたが、強引に参加させた。

そして最後の羽をはばたかせるときになり、自分の作った鶴がバタバタしたとき、「オーウイ!!」と満面の笑み、子供のような彼だった。

しかし一瞬「喜んでしまった自分」を恥じるように?真顔に戻り、「まあうまくいった」と冷静な顔つきに戻したのは今思い出しても可笑しい。

彼を見て、そういうフランス人が多いのだろうと想像もした。

プライドの高さは、無邪気な子供の一面を隠す裏返しであったのだ。

 

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カフェ「レ・ドゥー・マゴ」

2012年02月17日 | パリ6区

サン・シュルピス教会の壁画を見たのだけれどその前に、実は昨夜御馳走になったレストランの向かいにある、予約がなかなか取れないレストラン(コントワール)の前にも行った。

 

こちらの方も昨夜は暗くてうまく写真が撮れていなかったからだが、今日は昼間なので綺麗に撮れた。ただ、やはり夜のレストランの方が趣があった。

 

 

さてサン・シュルピス教会を後にして、すぐ北にあるサン・ジェルマン・デ・プレ教会の向かいの有名なカフェ「レ・ドゥー・マゴ」へ行った。

 

創業は19世紀だそうで、元は中国の絹を扱う店だったそうだ。1875年頃から文学者たちが通い詰めるようになり、サルトルや、ボーヴォワールが集まった文学サロンだったそうだ。

 

中国の絹を扱う店だったので、当時の中国の木彫の人形が二体、店の中に飾ってある。店の名前の「レ・ドゥー・マゴ(二体の人形)」はそこからきている。

 

 

店内へ入り、ココアを注文した。

 

 

ところが店の表の椅子は満席に近いのに、店内は殆ど客がおらず、がらんとしていた

 

 

 

 

 

観光客らしい白人カップルが一組、後から入って来たぐらいだった。

フランス人は、外が好きらしい。外に座り、道を通る人を眺めている。

日光浴を兼ねているみたいだ。

ヨーロッパは冬が長く日照時間が短いから、太陽の光にあたりたいらしい。

日本人は暑い戸外より、屋内がいいと思うのだが、この点は全く違う。

 

このように有名カフェ「レ・ドゥー・マゴ」の体験はしたけれど、だからと言って取り立てて、他のカフェとの違いというものは私には感じなかった。

昔の歴史はともかく、今は観光客が多いせいだろうか。

そう言えば、パリジェンヌのマダムの息子が我が家へ来た時、17歳だったが行ったことがあると言っていた。もちろん家族とである。

フランス人に限っては、あるクラス以上の人達の御用達と言えるのかもしれない。

 

カフェを出てから、セーヌ川に向かって北へ歩いて行った。

左手に国立美術学校があった。

 

 

 

オルセー美術館にも近く、このあたりは芸術、文学、学問の中心地区であることは、今日一日の歩いた自分の足がよく知っているはずだ。

 

 

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