イスラム教寺院を見てから、クリスチーヌの両親の家に行くことになった。
地下鉄の駅で、クリスチーヌの友人のマダムとお別れした。
ジュシーの駅でクリスチーヌの友人とお別れ
クリスチーヌは自分の両親の家の少し手前で、花屋さんに寄ってお母さんのために花束を買った。
ご両親の家でパトリスがおとなしかった話は、以前にしたとおりである。
お母さんの手作りのマカロンやケーキ、クッキーと紅茶を御馳走になった。
抹茶のクッキーも手作り、しかも甘さを抑えた上品な味で家で作ったとは思えないほどだった。
お母さんは絵も描かれるそうだ。
ただこのアパルトマン、エレベーターがない。
5階の自宅から出入りするのも全て階段だから、その分足腰は鍛えられるがちょっと大変だ。
お母さんは「スポーツよ」と笑っていた。
重いスーツケースがあるときはどうするのだろう?フランスの男性は力持ちであるはずだ。
クリスチーヌの御両親
屋根裏部屋があり、そこでレイラは寝ているようだった。
休憩してから、ご両親にお別れし、クリスチーヌ達と近くのベルシー地区へ散歩に出かけた。
大きな競技場や体育館もあるし、以前ルーブル宮に入っていた大蔵省が、新しい建物に入っていた。
長さが数百メートルある細長い建物で、一部はセーヌ川に張り出している。
大蔵省の建物
壁に芝生を張ったような大きな体育館
セーヌ川にかかる長い木の橋
シラクがパリ市長時代にこの辺を改造したらしい。もともとセーヌ川から荷揚げをしたとこらしいが、トロッコのレールなどもそのまま残してある。
広い公園もあり、市民の憩いの場になっているようだ。
ベルシー公園を抜けると、クール・サンテ・ミリオンだ。
ワイン倉庫だった建物がレストランや、ショップに衣替えしている。
昔のワイン倉庫を生かしたレストランなど
昔のワイン倉庫の写真
これらをゆっくり一通り見て、リヨン駅でカトリーヌたちとお別れした。
左からパトリス、カトリーヌ、レイラ
里帰りを兼ねたとはいえ、私のパリ滞在に併せてアヴィニョンから来てくれたのだ。
お別れはさびしかったが、実は翌年アヴィニョンで再会する。
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