フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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セブリーヌの幼友達がやってきた。

2013年08月17日 | ミディ・ピレネー

震災の後、さすがに観光客が減ったが、夏くらいから少しずつ戻り始めてきた。

 

七月にはセブリーヌからの紹介で、やってきたのはクレールとセバスチャン。

セブリーヌとファニーとセバスチャンはアルビの中学と高校の同級生だそうだ。

実はセブリーヌも恋人と一緒に同じ時期、また来日したのだが、彼女は今回は九州周遊を決めたのだった。

 

ということで、二泊だけだったけれど、夕方着いた彼らを迎えにJR奈良駅へ行った。

感じのいいセブリーヌの友人はやっぱり感じがいい。

暑い時期のこと、冷たいかぼちゃのスープと冷しゃぶをとても喜んでくれた。

日本に来たフランス人が良く言う。

日本食を食べていると、野菜不足になると。

確かに外食になると、おすしを取ってもそれだけだと野菜不足かもしれない。

また生野菜を多く食べる彼らにしてみると、煮物だと物足りないのかもしれない。

そして、果物、これはフランスと比べるとはるかに高く、ちょっと買って食べてみようという値段ではないらしい。

 

この時の彼らの言葉以来、夏のお客さんには冷スープとサラダ風の冷しゃぶを定番にしている。

冷スープはかぼちゃがフランスのものと違うので、喜ばれる。それ以外にはさつまいもも好評だ。

 

若い人はたばこを吸わない人が多いけれど、セバスチャンは喫煙家だった。

習字や着付けもいつものように喜んだ。

 

昨年彼らの住むトゥールーズを訪問したのだが、こちらから連絡しなかったこともあり、会うことはかなわなかった。

セブリーヌを通して、メッセージをいただいたので、私も日本からの小さなお土産を言づけたのだった。

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抜群の着物効果

2012年10月27日 | ミディ・ピレネー

さて、翌日、彼女たちはレンタサイクルで奈良を観光することになった。

私が勧めたのだが、借りてからファニーは「自転車に乗るのは子供の時以来」と言い、最初はふらふらしていた。 

反対にセブリーヌはスイスイと漕いでいた。

今年彼女から聞いたことだが、彼女は「子供のころ、縄跳びでいつもチャンピオンだった!」そうで、運動には自信があることが分かった。

この日は同行しなかったので、帰ってから話を聞くと、ファニーも徐々に調子を取り戻し、「自転車は快適だった」と言う感想だったのでほっとした。

夜は着物の着付けをした。

今まではカップルだったので、一人に着せるだけだったが、今回は二人。ピンクの着物は一枚しかなくて、それをセブリーヌが「私はこっち」とすぐに選んだ。ファニーは最初紺色の紬をみていたのだが、やっぱりとオレンジ色の小紋に決めた。

セブリーヌは「着物を着るのが夢だった」と言い、「着物を脱ぎたくないので、このまま眠りたいくらい」というほど気にいってくれた。

良く似合った。 パソコンの不具合で、その時の写真を失ってしまったのは残念だ。

ファニーも早速、お母さんと恋人にメールで写真を送り、恋人からはすぐに「今すぐプロポーズするよ」と返事があったとか。着物効果は抜群である。

せっかくなので、着物のままお茶を点てることにした。

本当に可愛くて素直ないい子たちだったので、本来は観光に同行はしないのだが、遷都祭も行われていることだからと次の日は一緒に行く約束をした。

そして次の日、一緒に遷都祭が行われていた平城京旧跡へと向かった。

ここでは、外国人はパスポートの提示で、無料で万葉の装束を貸してもらえた。

彼女等が早速その衣装を纏い散策をすると、「写真を撮らせてもらってもいい?」と何人もの日本人観光客に言われた。

そのくらい二人とも笑顔もよく、可愛かった。

お昼は近くで簡単に済ませ、夕方には東京に向かうと言う彼女たちと、最後の時間を惜しむためカラオケに行くことになった。

これも大喜びで、二人ともたくさんの歌を歌っていた。東京に一泊した後は、草津温泉に泊ると言うので、草津温泉の歌を教えるとセブリーヌは、合いの手が気に入り、上手に「チョイナ、チョイナ」と日本語で歌っていた。 

このセブリーヌは、この一年後、恋人のフレッドと一緒に九州旅行をし、今年は私がフランスで彼らの素晴らしいもてなしを受けたのである。

もちろんファニーともアルビで彼女の家族とともに会ったのだが、その話はまた別の機会に譲るとする。

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とびきりの二人!!

2012年10月09日 | ミディ・ピレネー

サーカスのステファンが帰った後は、可愛い二人の女の子がやってきた。 

アヴィニョンに住む夫妻(実はこの二人は最近大変な事態になりましたが、それまた別の機会に)からの紹介で、ムッシュの息子の恋人ファニーとその友人のセブリーヌである。 

夕方駅に迎えに行き、会った時から可愛い二人にテンションが上がる!?笑顔がいい。

大きな荷物を持っているので、タクシーで我が家へ。

まずそのタクシーの中で、ファニーが言った。「三年間日本に来るために貯金をして、やっと実現出来て、本当に嬉しい」 

セブリーヌは日本語を習っていると言うことで、時々日本語を話す。それもとても大きな声ではっきりと言うので、面白くもある。

ファニーとセブリーヌは生まれも育ちもアルビで、中学や高校で二人は同級生だったと言う。 

ファニーは現在もアルビに住んでいて、セブリーヌはそこから車で二時間ほどの小さな町に住んでいる。 

二人とも日本に来て日本食も気に入り、何と朝食も和食を希望だった。

女性で朝和食をと言ったのは、ピアニストの姪くらいだ。そのくらい和食が好きなフランス人でも朝ご飯は特別なものである。 

高野山から奈良へ来たと言うことで、その高野山で買ったと言うおまんじゅうをお土産に持ってきてくれた気遣いも嬉しかった。

高野山での食事も二人は気に入ったと言うことだ。こう言う人達への食事の用意はとても楽だ。 

夕食のあと、習字の体験をさせることにした。

最後に「好きな文字を言って。書いてプレゼントするから」というと、まずセブリーヌが、「平和」と言い、それを書いた。

次のファニーは「音楽と愛」、そして恋人と自分の名前を書いてほしいと希望した。 

私が書き終わると、セブリーヌが恥ずかしそうに「実は私も恋人の名前を書いてほしいの。」と言うことで、もちろん書いたのだが、明るく天真爛漫なセブリーヌが本当におそるおそるこの申し出をしたのは、今思い出しても微笑ましい。

翌日は、二人は奈良散策に出かけた。

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元軍人さんと英語の先生のほんわか夫婦

2011年07月19日 | ミディ・ピレネー

この人達夫婦とは正直最初にどこで会ったのか記憶が無い。

 

突然はるばるフランスから電話がかかってきた。

その奥さんはダニエールと名乗り、なかなかいい声で上品な感じだった。

ダニエールはその時点で他に3人の知り合いがいたので、どのダニエールかわからなかったのだが(結局4人目のダニエールだった)、とにかく奈良で会ったことがよほど嬉しかったということで

帰国してから電話を下さったのだった。

 

多分、やはり奈良の興福寺あたりで会った団体客の内の年配カップルだと思うが、しかとした「あの時のあの人達か」という記憶が出てこないのである。

 

その後メールをやり取りしていると、彼等は南部の大きな町、トゥールーズに住んでいるらしい。

 

昨年パリ祭に併せて予定を組み、渡仏した際、息子さんに会いにパリに来ていたこの夫妻に再会した。

アヴィニョン滞在からパリにもどる日で、着く時間に合わせてパリ・リヨン駅で待っていてくれた。

 

                  

             

 

実にいい人である。

彼らと凱旋門でパリ祭前日のリハーサルを見物した。

ラ・マルセイエーズが演奏され、リハーサルに参加している彼等全員が敬礼していた。

 

「ドゴールは今でも尊敬されている?」と聞くと「ウイ」と大きくうなづいた。

                     

そう答えるはずだ。

奥さんによるとご主人は軍人さんだったとのこと。

さらにブルゴーニュ出身で、いわゆる「ブルトン人」なのだそうだ。

「彼の若い頃のブルターニュの田舎では、農業をするか、軍人になるくらいしか道が無かったのよ」と言った。

 

このリハーサルを彼らと一緒に見てから地下鉄に乗りパリ市役所前で降り、そこからずっと歩いてノートルダム寺院などを見ながらサンジェルマンでプレ教会近くまで行った。

             

               

             

なぜそこに行ったのかと言うと、実は別のもうひと組の友人が経営するレストランで食事をする予定だったからだ。

 

そのレストランの友人のことは別に書くとして、この元軍人さん夫婦が付き合ってくれたことを、特筆したい。

本来せっかく私に会いに来てくれたのだから、私達だけで友情を交換すべきところなのだ。

ところがパリは友人が多すぎて、友人に会うのに超過密スケジュールの私にはこういう申し訳ないダブル交流みたいなことになってしまったのだ。

 

しかしこの夫妻は嫌な顔一つせず付き合ってくれ、私がレストランの友人と交流する時もいつも控えめにいてくれた。

それだけでなくパリ在住の息子とそのガールフレンドもこのレストランに呼び寄せ、一緒に食事してくれた。

 

そしてその友人夫妻のことやお店のことをお世辞ではなく、褒めてくれたことは自分のことを褒められる以上に嬉しかった。

「彼等はほんとに感じがいい。えらそうにせず、パリ祭の花火の穴場など的確にアドバイスもしてくれた」と、大喜びだったのだ

 

奥さんはノール地方(北の方)の出身で、リタイアされたが英語の先生だったとのこと。

奥さんもムッシュとお似合いの温かい人柄だった。

 

帰りも一緒に地下鉄に乗り、またの再会を約束して、私は凱旋門近くの友人宅に宿泊している関係上先に凱旋門の駅で降りた。

 

いつかトゥールーズに行きたいと思っているが、結構トゥールーズやその近辺に友人が増えて、どこに御厄介になるかが問題になってきた。

とりわけこの素晴らしいご夫婦には安心できるものがあり、第一候補に勝手に上げているのである。

 

 

 

 

 

 


城塞都市カルカッソンヌで出会った「プール付き」カップル

2011年06月27日 | ミディ・ピレネー

フランス南部のカルカッソンヌは、城塞都市と知られている。

ラングドック=ルシヨン地域のオード県の県庁所在地である。

「歴史的城塞都市カルカッソンヌ」の名で、1997年にユネスコの世界遺産に登録された。

城塞は19世紀に建築家により修復されたということで、全くのオリジナルではないらしい。

駅から、てくてく歩いて大きな川を渡る時この偉大な城が見えてくる 。

                     

この時、この城は実戦的な砦としての印象が、ガガーンと迫って来る。ベルサイユのような宮殿とは全く違うものだ。装飾的なものはなく、城壁がそびえていた。

さて町まで来てハタと困った。今夜泊まるシャンブルドット(民宿)の名前は覚えているが、それがどこにあるのかわからない。住所をメモしてくるのを忘れたのだ。

このところ友人宅ばかり泊まり歩いて、シャンブルドットに泊まる心構えができていなかったと反省してみても始まらない。

そこでパリに住む友人に携帯電話でSOSを出した。

彼はパソコンでシャンブルドットの名前から住所を検索してくれた。

でも特に数字である番地の聞き取りが難しかった。ようやくそれらしき情報を得て、町に入っていき宿を見つけることができた。

部屋は予約通りベランダ付きで、そこから城を一望できた。  

                                

                

               

その日と翌日に訪れた城は広大で、城の中にちょっとした街が有った。

昔この城で激しい攻防戦があったらしいが、なかなか攻め落すことはむつかしかったのではないか。

翌日出発する前にシャンブルドットで朝食をとっていたところ、隣のテーブルにマダムとムッシュのカップルが来た。

同じく今日発つらしい。めずらしい東洋人が横にいるものだから自然と話しし、折り紙をプレゼントした。

日本人だとわかると、ムッシュの仕事は三菱電機のエアコンを販売していると言う。

この辺から急速にフレンドリーになってきた。聞けばトゥールーズの北のアルビの近くの小さな町(村?)に住んでいるとのこと良かったらこれから彼等の家に来ないかと言う。

さすがにこちらも旅程が有り、「有難う。次の機会にぜひそうする。」と断った。そんなにたやすく信用するのかと驚いたが、有難いことに日本人だからと信用されることが多いことに何度か気づかされる。

 

帰国してからのメールのやり取りで、彼らの住まいの写真を送ってきた。大きな敷地の素敵な家のようだ。

とくに目を引いたのは、庭にプールがあることだった。

早速私は彼らのニックネームを「プール付き」と命名した。

別にこのプールに魅せられたわけでもないが、トゥールーズはボルドー等と共に、次にフランスに行く時の候補地としてかなり上位の順位にある。     

             

            

 


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