フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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怪盗ルパンのふるさと、エトルタにモナリザ?

2012年09月30日 | ノルマンディー

エトルタの東の崖から降りてくると、未だ明るく、海岸では海水浴客が大勢いた。

海岸近くに綺麗なエトルタの市役所もあった。フランスの市役所はどこでもアンティークで美しい。

それから私達はヴィルジニの案内で、この地に住んで海の絵を描いていた画家の展覧会へ行った。

これもエトルタ市の主催事業であった。

実際に書いた人は亡くなっていたが、その息子さんが来ていた。

 

それから私はヴィルジニと別れ、近くの「ルパンの館」へ行った。怪盗アルセーヌ・ルパンを生んだ作家のモーリス・ルブランの家である。

 

これによく似たのは昔ロンドンへ行った時、「シャーロックホームズの家」へ行ったことがあるが、あれと同じだが、こちらは大層立派な広い庭付きの邸宅であった。

観光客向けで様々なしつらえがしてあり楽しめたが、とりわけユーモアとして印象に残っているのはあの「モナリザ」があったことだ。

エトルタのこの「ルパンの家」にある「モナリザ」は、ルパンがルーヴル美術館から盗んできた本物で、現在ルーヴル美術館にあるのが「偽物」と言うわけである。

ルパンは日本にもやってきたことになっていた。 

ヴィルジニの家に戻ってから、午前中に登った西の崖の上にあるゴルフ場の付属レストランへ夕食にヴィルジニの車で出かけた。 

ここは先にも書いたが、ヴィルジニの友人のアヴィニヨンにいるイザべルとご主人が来た時も、一緒に食事したところだそうで、なかなか眺めもよく、食事も海の幸を中心として美味しかった。

夕日が沈みかけてとても美しかった。

かくしてエトルタをほぼ満喫した長い一日は、終わったのであった。 

翌日はル・アーブルまでもと来た道をヴィルジニに車で送ってもらい、パリへの帰途に就いた。思えばまる2日、2泊3日のエトルタ訪問だったがほとんどずっとヴィルジニにお世話になった。 

彼女は大の日本好きだが、まだ日本に来たことはない。その後もメールのやり取りはしているが、独身の彼女に彼が出来たと言う知らせもまだだ。

しかし何時かきっと、彼氏と一緒に日本へそして奈良へやって来るに違いない。

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サーカスの彼が合気道で来日

2012年09月27日 | プロヴァンス

秋になっても客人は続く。

フランス旅行中、プロヴァンスでサーカスを見た後、軽いおつまみと飲み物で団員たちとの交流があった。その中の一員、ステファンが合気道を習っていて、その関連で来日するとのことだった。

それだけで終わっていたかもしれない出会いだったが、それを聞いていたイザベルが「アドレスを渡したら」と助言してくれた。

ただそんな短い出会いで、本当に連絡してくるかなとも思っていたけれど、九月になると「今は東京にいるけど、奈良にも行きたい」と、メールが来た。

JR奈良駅に迎えに行くと恥ずかしそうな笑顔の彼がいて、サーカスをしていた時とは違って見えた。

合気道をしているフランス人と言えば、マルセイユ在住の彼女を思い出す。

彼女もそうだったが、彼もまた力強さも外見からは感じないくらいほっそりとしている。

サーカスを見たとき、少しビデオを撮っていたので、家に来てからそれを見せると本当に顔を赤らめ、笑って見ていたのが印象的だ。

自分のサーカスをしている姿を見たのはもしかしたら、初めてだったのではないだろうか。

彼はコルシカ島に家を建ている最中で、途中の写真も見せてもらった。完成したら是非来てくれと言ってくれた。

コルシカ島はほとんどのフランス人が「素晴らしい」というので、一度は行ってみたい。

でも運転出来ない私が行くには、難しいところであるし、毎年コルシカ島に行く友人夫婦が、「一緒に行こう」と言ってくれる。

しかし彼らはサバイバル派、テントでの生活はもとより、モンゴルのパオで泊ったこともあるので、トイレの問題もない。

トイレに関しては世界一先進国に居る私にとって、それが一番の問題なので、実現は今のところ難しいように思われる。

話が脱線したが、このステファンは、習字が気に入ったと見えて、毎晩習字をした。道具も買いたいと言うので、何軒か店も教えた。

自分からはあまり話をしない、シャイなステファンだった。

帰りも何時に帰るのか言わないので、こちらから尋ねた。と言うのは、帰る日の夕方、また別のフランス人を迎えることになっていたからだ。

昼食をとりしばらくして、ちょっと寂しそうに帰っていく彼の背中を見ながら、「もしかしたらもっと泊りたかったのかもしれないな」と思えたりした。

それ以後、音信はほとんどなかったのが気になっていたが、この年のクリスマスに「新居ができた」とその写真とコルシカ島の本などを送ってきてくれた。

また東日本大震災の折にも安否を尋ねてきてくれた。それ以降音信は途絶えているが、それでも繋がりは続いて行くのがフランス人である。

 

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役に立っていた翻訳

2012年09月19日 | ノルマンディー

午後に東の崖に登ることになったがその前に海岸でランチすることになった。ヴェルジニのアパルトマンの一階にパン屋さんがあって、そこでサンドイッチを買った。 

パンに挟むものもトッピング出来た。そのサンドイッチに掛けるソースも選べるのだが、そのソースの一つに「SAMOURAI」というのがあった。もちろんそれにしたが、ややスパイスのきいた辛目のソースだった。

フランスでの日本人気は、こんなところにも現れている。 

海岸の石の浜にヴィルジニガ持ってきたバスタオルを敷き、その上に座った。バスタオルが海岸の石ころと同じ模様なので、てっきりこの辺りのお土産屋さんで売っていると思ったが、聞いてみると意外にもヴィルジニがパリで買ったのだそうだ。それにしてもぴったりだった。

食事後、彼女はそこで器用に服を脱ぎ、海で泳いだ。水泳の用意はしてこなかった私は、波打ち際で足をつけた程度だったが、実に気持ちよかった。

朝から晩まで一日中海に入っている女性がこの町に居て、「人魚」と呼ばれているということだった。妙齢のマダムなのであるが、海ではなく街を歩いているところを見かけた。 

その後いよいよ東の崖の上に登って行った。

途中静かな住宅街もあった。

かなり上ったところに、養護老人ホームのような施設もあった。

登りきると予想に反し、西の丘とは違って平らな広い丘であることに気がついた。左右が広い放牧場だったり、一面の麦畑だったりして、その中の真っ直ぐな一本道をずっと東に歩いた。向こうから大きな農業用の車が来たりした。

 

かなり歩いてから左折し、海岸の崖の上まで出た。そこからまた海岸の崖に沿って西に向かった。 

やがて西の崖の上にまで戻り、そこにある記念碑を見た。

ナンジェリーとコリーと言う人のもので、彼等はリンドバーグの大西洋横断に先立つこと数ヶ月前に、パリからニューヨークへ飛び立ち、その時この海岸の上からアメリカに向かった。そして消息を絶ったそうだ。

彼等の勇気をたたえてここのモニュメントがあり、彼等に名がついた博物館もあった。

 

当日その博物館では、エトルタ市の主催でこの海岸の美しい景色を映した写真展が開かれていた。実は日本にいるときにヴィルジニから、この写真展を解説したパンフレットの日本語訳を頼まれていて、原文は芸術に関することなので、結構いわゆる文学的表現が多く、訳すのに苦労した。

 

知り合いの日本語のできるフランス人(ケバちゃん)や、日本語を勉強中のフランス人にメールで原文と私の訳をを送り添削を求めたところ、それぞれ丁寧に手を入れて返してくれた。

 

ケバちゃんは、私の訳した日本語を理解したうえで訂正してくれ、その説明も添えられていて彼女の日本語能力の高さを改めて確認したのだった。

日本語がほぼ完璧な、今や来日50回を超えるこの人にも頼んだが、彼は「日本語に訳するのはあなたの守備範囲でしょ」と一蹴されたのだった。

 

今は亡き、パリのシャンソニエ「ラバン・アジール」の名ピアニスト、アンリ・モルガンもその一人だった。彼は日本語を習っていた先生にまで確認してくれていたので、訳としては完ぺきだった。が、ここはやはりフランス人による訂正を選択させてもらうことにしたのである。

 

彼等の協力のおかげで何とか訳して送っておいたのだが、この日その写真展に行ってみると多くの外国語のパンフレットの中に、ちゃんと日本語のパンフレットが印刷されて置かれていた。お役に立てて嬉しかったし、懐かしい感じがした。

近くには小さな教会もあった。

登る時見た老人ホームの人達が車椅子で来て、横に並んで日向ぼっこをしながら、海岸を見下ろしていた。

東の崖の上から海岸を見る。

この後は崖を下り、これもエトルタ市が主催している絵画展にも行くのだが、次の時に書くことにする。

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夏に観光する時の問題

2012年09月12日 | プロヴァンス

クリスチャンの弟のウーグの話の続きである。

まず奈良を案内したがとにかく猛暑、温度は京都と変わりないのだが、奈良に来てから気温がさらに上昇したので、彼は「京都より暑い」と、暑さにまいったようだった。 

東大寺まではバスを使ったがその後はずっと歩いて、二月堂・春日大社、興福寺を廻った。いろいろ見せたくても猛暑の夏は思うようには廻れない。

翌日は、奈良町を歩いた。熱射病になりそうな暑さで、長くは歩けない。涼をとるため、室内見学がいいかなとめったに案内しない阿修羅像も見せたが、特に印象に残る感想は聞かれなかった。 

食べ物に関して言えば、クリスチャンはフランス人が苦手とする青菜の茎のようなもの、日本独特の香味野菜なども大好きだった。

しかし、ウーグはそれらを残し、お豆腐も手をつけなかった。 

とにかく、あまりの暑さに参っていたようだったので、奈良の後は高野山へ行ってはどうかと勧めた。

 しかしもしかしたら高野山も、それほど彼の心に響くものはなかったのかもしれない。

もし感動して兄に伝えていたら、クリスチャンも行きたいと言うのではないかと思ったのだが、そのようなことはなかった。 

その後も写真を送ってくれたり、メールを交換したりしているし、いい人であることは確かだ。

でも何かが違う。

だから彼が日本を再訪することは、残念ながら当分なさそうに思える。

一番の原因は夏のうだるような暑さである。そのピーク時が奈良滞在になってしまったのだ。

彼の長期バカンスは夏にしか取れないと言う。

クリスチャンも初めて来たのは夏だったが、それ以後彼は夏には絶対来ない。

しかし夏にしか長期バカンスをとれないフランス人も多いので、暑さで日本の滞在の印象が決められてしまうことは、何とも残念なことである。

別のこのカップルも夏にやってきて、再来日を希望するご主人と違い、奥さんは全くその気がないのだ。

そういうカップルはもうひと組いる。ご主人はこの春、日本企業に転職したほどの日本好きで、毎年来日している。奥さんや息子も春や秋の日本のバカンスを楽しんでいた。しかし奥さんは二年前初めて夏の日本を訪れたとき、体を壊してしまった。以来、来日するのはご主人だけだ。

迎える方も暑さには参るが、来てくれる以上は少しでもいい思い出をと、がんばってみる。が、こればっかりはどうしようもない。

もうひとつ、気になったのは、アルジョナとクリスチャンの関係だ。

この数か月後、クリスチャンは一人でやってくる。アルジョナのことは一言も触れない。

ウーグにアルジョナとクリスチャンが来日した時の写真を見せた時、彼の顔が一瞬曇ったのが

気になっている。

 

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エトルタで「一茶」に出会った。

2012年09月04日 | ノルマンディー

エトルタでの翌日、朝の食事はヴィルジニが用意してくれた。

 

美味しいクロワッサン、大きなハム、バゲット、いろんなジャムそして鉄ビンで入れる紅茶、皆美味しかった。

でももっと私を驚かせたのは、食事をしている部屋のすぐ近くのドアにペンキでこう書いてあったことだ。

「此のやうな 末世に桜 だらけかな 」そして下に小さく「ISSA」とあった。

ヴィルジニが書いたのだ。

旧かなづかいだが、本から見よう見まねで書いたらしい。

「そう言えば一茶には、こういう俳句もあったかな」程度にしか知らない私には、もうびっくりだ。

 

私の寝室のある本棚に、日本についてのいろんなことを書いた本が沢山あった。

彼女は日本が大好きで、何時か日本へ行きたいと言っていた。

 

この朝、もうひとつ事件があった。

トイレの給水の所が故障していて、ヴィルジニが自分で応急処置していたのだ。

「ここをこうして、ここは触らないでね」と注意を受けていたが、うっかり失敗した。

そうすると給水の所から噴水が立ちあがり、そこら中水浸しになってしまった。

私の悲鳴を聞き駆けつけたヴィルジニがなんとか水を止めてくれたが、その間に頭から水を被ったのだった。

私は「大丈夫」と一応言ったところ、すまなさそうに「大丈夫じゃないわ」と彼女は言った。

これをきっかけにしてついに彼女は修理屋さんに電話して、本格的に修理してもらうことになってこの件は落着した。

 

朝食後、ヴィルジニの案内で、西の崖に登ることになった。

 

石ころの海岸の西の端にはドイツ軍の要塞跡があった。

ここはノルマンディーなのだから、それがあっても不思議はないが、ここから連合軍は上陸しなかったのではないかと思う。

つまり連合軍の艦砲射撃が無かったのではないか。

だからこの要塞も破壊されずに残っているし、西に二つ、東に一つあるゾウの鼻をした奇岩も無傷で残っているのではないかと思う。

 

西のゾウの鼻の崖の上から東を見ると、遠くに東のゾウの鼻が見えた。その間にある石ころの海岸が、綺麗なカーブを描いている

一番西のゾウの鼻の崖の上まで歩き、戻ってきた。

三つ見た内の一番西のゾウの鼻

一番西のゾウの鼻の上から、真ん中のゾウの鼻を見る

西のこの崖の台地にはゴルフ場があった。そのゴルフ場付属のレストランで今夜食事することになった。

以前アヴィニョンのイザベル夫妻がここに来た時も、このレストランで食事したと言う。

 

最初の西の崖の近くに洞窟があった。ヴィルジニは他に用事があるらしく別れて、潮が引いていたのでその洞窟まで行った。

そのあと潮が満ちるまでに無事戻り、ヴィルジニの家まで帰った。

 

午後の話は次に続ける。

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