フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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台風シーズンを避けて、二度目の来日

2013年01月25日 | ラングドック・ルシオン

11月まで来客が続き、もうその年は終わりかなと思ったら、なんとさらにもう一人やってきました。

12月はフランス人にとっては大事なイベントのクリスマスの月で、例年来日は少ない。

はクリスマスはもちろん家族と過ごすが、その直前にやってきた。

台風騒動のあった初来日から一年三か月、あの時は奈良だけの滞在で、2mもあろうかという大きな図体からは想像できないほど慎重で心細さを滲ませていた。 

しかし今回は自分で九州の滞在先を見つけ、奈良に来る前に一週間滞在していた。

日本人の男性とフランス語の話せる外国人の女性の夫妻のところをうまく見つけたようだ。

そしてその福岡を拠点にバスで長崎(呼子)まで行ったり、一回目の時とは比べものがないくらい積極的に一人で動いたようだ。 

本当は東京でも滞在したかったようだが、滞在先の都合が合わず、滞在なしで夜行バスで、東京の女性にも会いに行った。(九州と東京を夜行バスで往復したから、相当長い時間かかり大変だったと言っていた。そりゃそうだろう。) 

聞けばその女性は、10月に来たアドリアンが滞在したところだった。

そしてジュリアンに、彼女はアドリアンのことを「牧師さんかと思った」というエピソードを話したというのだ。 

ジュリアンはこの初対面の女性とも、とても楽しい夕食をしたそうで、「たくさん笑い冗談もいっぱい言い合った」と言っていた。 

奈良へ来るのは、福岡からリーズナブルな航空券があると教えていたので、難なく来ることができた。これも前と比べると全然違う。

奈良でリムジンバスを降りてきた彼の笑顔は、自信さえも感じられ、嬉しい再会となった。 

夜の到着で五泊だったので、四日間のうち二日は奈良へ、今回は大阪へ一日、そして念願の京都も訪ねることになる。

 

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台 風と共に去りぬ!!

2012年01月17日 | ラングドック・ルシオン

彼を送って帰ってきてからも、台風情報から目が離せなかった。

 

とにかく祈るしかなかった。

 

遅くまで台風情報を見ていると、関西は通り抜け、ゆっくり進んでいるようだった。

 

明けて翌朝、一早く台風情報を見る。

関東圏へ直撃だが、彼のフライト時間より少し遅そうだったことを確認し、彼からの連絡を待った。

 

彼から「無事飛行機は予定通り羽田まで飛ぶ」と、少し明るい声連絡があった。

 

後は羽田での空港バスへの乗り継ぎだ。

空港の構内図とバス乗り場を印刷して説明したので、飛行機さえ時間通りに着けば間に合いそうだ。

羽田から連絡があった。

「予定のバスに乗れる!!」と、声は一段と明るくなっていた

成田での免税手続きも心配していたが、「最悪時間がなければ、少しのことなので手続きはパスすればよい」と言っておいた。

しかし成田から再度電話があった。

「何もかもうまくいった。免税手続きも出来た。あなたのおかげだ」と声は弾んでいた!!

 

よかった!!本当に良かった。

私も嬉しかった。

 

最後までやきもきした子だったが、それだけに思いもひとしおだ。

「手のかかる子ほどかわいい」と言うところだろうか。

 

パリに着いてからすぐにまた感謝のメールが届き、彼の初来日はとりあえず無事に終わったようだ。

 

そしてその一年後の冬、この経験を超えて少し逞しくなった彼は、再来日するのであった。

もう暑さと台風の夏は御免と言うことのようだが、それは無理もない。

むしろ賢明であろう。

 

二回目の彼の日本旅行はいかに?

 

 

 

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鴨居に頭をぶつけた!!

2012年01月12日 | ラングドック・ルシオン

それは彼の帰国の前々日、金曜の夜のことだった。

 

八月の終わり、台風接近のニュースが飛び込んできた。

台風の進路予想図を見ると、ちょうど帰国日、出発時間の正午過ぎには、成田が暴風雨圏に入りそうだった。

 

彼の航空券は、関西空港羽田、成田パリだった。(羽田~成田は自力移動だった。なぜこんな航空券の取り方なのか、今更言っても仕方がないが、航空会社が可能と判断した範囲なのだそうだ)

航空会社(その時は破たん前の我が国の航空会社の航空券)に関西空港からの出発でパリまで直行便に変更可能かどうかを尋ねたら、「キャンセル・変更が一切きかないチケット」と言う答えであった。

 

彼は月曜から仕事に就かなければならない。

当初の予定では、土曜は我が家でもう一泊して日曜にこのように移動するはずだったが、「関西空港羽田のチケットをキャンセルして成田で泊まるほうが安心」とのことで成田のホテル予約を済ませた。

 

新幹線で成田まで行く方法を、品川駅の構内図もプリントして説明し、期せずして念願の新幹線に乗れるようになったと複雑な表情だった。

 

それまで奈良の滞在を楽しんでいた彼の表情が段々険しくなり「台風で飛行機が飛ばないなど、フランスではないことなので、どうしたらいいのか」と今にも泣きそうだ。

とりあえず、進路が変わるか、ゆっくり進むことを祈りながら、経過を見てまた航空会社と連絡を取ろうということで休むことにした

 

翌朝、私は関西~羽田までのキャンセルが本当に出来るのか心配になり、航空会社に尋ねたら、「もし関西~羽田をキャンセルしたら、その後の行程も無効になるとのこと」で、危機一髪、成田のホテルをキャンセルすることにした。(この時のホテルは当日のキャンセルにもかかわらず、事情を説明するとキャンセル料不要で快く応じてくれた)

 

しかしまたこれで、振り出しである。

とりあえず今夜は関空に一番近いホテルで泊まり、日曜の朝すぐカウンターでフライト情報を確認するという方法にした。

台風で成田からの便がキャンセルになると関西からの出発の可能性もわずかにある。それはフライトの直前までわからないということだった。

 

また良く見ると、羽田から成田の移動の時間がぎりぎりしかない。つまりもし関西からの飛行機が遅れたら、次の空港バスでは間に合わない可能性が出てきた。

航空会社が次のフライトで対応は出来たとしても、彼の場合、月曜からの仕事に支障があると困るのだ。何しろ軍人である。

「羽田から成田までタクシーで行くよ」と言ったが、「数万円はかかるよ」というと、「そんなにかかるの?」と青ざめていく。

 

昼食も夕食もほとんど受けつけず、出るのはため息ばかりの彼を見ていると、何とか励まそうと思うが難しい。

挙句には、長身の彼、鴨居に頭をぶつけてしまうほどだった。

 

滞在中は午後三時まで家でゴロゴロして、正直困ったなあと思うことも多々あったのだが、こうなると、何とかしてあげたい。

ましてや一人旅、こういうとき友人と一緒だと少し慰められたり、良い案も思い浮かんだりするだろうが、とにかく私との意思疎通も十分でないだろうし、彼の不安はいかばかりかと、可哀想に思えた。

 

それでもとにかく今夜は関空のホテルで翌朝の情報を待つしかないと送りだした。

空港バス乗り場へ送る道中も、彼はため息ばかりだった。

 

果たして彼は無事帰れるのか

 

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潜水艦来る?

2012年01月09日 | ラングドック・ルシオン

彼がやってきたのは夏の終わりだった。

 

何度かメールのやり取りをして、とても繊細な所がある子だと言うことが分かった。

そして潜水艦に乗る、海軍の軍人だと言うことで、ちょっとばかり古風で、富士山のことを「富士様」と言っていたのが、印象的だった。

また緻密に日本のことを調べていて、日本への思いも格別に見えた。

 

彼は最初5月に来ると言い、やっぱり仕事の都合がつかず、だめだった。

その後7月にするとか何度か変更があった。

結局8月末になったと言った時も、本当に来るのだろうかと、ドタキャンも覚悟していた。

 

しかしやってきた。

彼はこちらの住所をグーグルアースなどでも確認するなど緻密に調べていたし、空港からのバスも含めてうちまでのアクセスを詳しく伝えておいたにもかかわらず、違う駅に着く空港バスに乗り、いろいろ尋ねながら、予定の時間より大幅に遅れて、最寄駅に到着した。

 

大きな軍のバッグを持ってきた彼は、2mを超えているのではないかと思うくらい背が高い。 

私も会うまで心配したが、彼も若干20歳を超えたところ、大いに不安もあったのだろう、ほっとしたような表情でほほ笑んだ。

 

着いたら、東京の地下鉄の路線図など細かくメモされたノートを自慢げに見せてくれた。

今回は東京へは行かないのだけれど。

 

彼は不思議なことに、京都へ行き方も含めて観光を勧めても、「それはまだ難しすぎる」と言い、一週間の滞在のうちずっと奈良を観光して過ごしたのである。

しかも暑かったこともあり、「こんなに暑いとは思わなかった」と、お昼を過ぎてから出ていくことがほとんどで、三時くらいから出ていき、「ほんとにそんなに行ってきたの?」と言うくらいあちこち観光してくるのである。

大きなストライドなので、やはり時間も短縮できるのであろうか。

 

またお土産をあまり買わないフランス人にしては、たくさん買ってくる。

備前のような湯のみが好きだと自分のために買ってきたり、習字をしたら、習字セットが欲しいといい、同行もした。

 

  

 

 

 

そして「お母さんは大切」と言い、お父さんへのお土産はないのにお母さんへのお土産はせっせと忘れない。これは他のフランス人の男の子もそうで、初めはお父さんはいないのかとも思ったほどである。

 

そして彼のいいところと言うと、さすがに軍の生活を経験しているだけあって、食べ物は何でも残さず食べてくれる。これは本当に有難く気持ちのいいことだった。

もちろん朝食は和食希望であった。

 

こんな彼の初めての日本滞在は、奈良だけとはいえ順調に見えたが、思いもよらないことが彼を待ち受けていたのである。

 

 

 

 

 

 


また知らない人からメールが来た!

2011年12月09日 | ラングドック・ルシオン

ある日、知らない名前のフランス人から突然のメールが来ることは、何度か経験済みである。

このカップルもそうであった。

 

この一年前に、パッケージツアーでご主人がお母さんと初来日したときに、興福寺近くで出会ったらしい。らしいというのは、私の記憶からまったく消えていたからだ。

そのグループの何人かとアドレスを交換し、その彼等の帰国直後からメール交換が始まった人がほとんどだが、彼らは何と一年後にコンタクトを取ってきたものだから忘れていてもこれは仕方がないというものだ。

 

奥さんと二人の写真が添付されていたが、もちろん覚えていない。

彼によると、すっかり日本が好きになり、今度は奥さんと個人旅行をするということで、出来れば私に会いたいということだった。

そのパッケージツアーで一緒だった、迷い子になったクリスチャンとずっと連絡を取っていることを聞いたのだろう。

「喜んで会いましょう」とメールをしたら、「やっぱり思った通りいい人だ」と返事が来た。

 

彼らは、奈良では、老舗旅館・観鹿荘に予約を入れていた。

倹約家のフランス人が多いので、レアケースだ。

 

二週間余りの日程には、富士登山も含まれていて、成田到着以降、何度かメールや電話があり、レンタカーも予約していたので、うまくJRとレンタカーを組み合わせ、順調に旅を楽しんでいるようであることが伺えた。

 

そして、JR奈良駅で会うことにした。夕刻の到着であった。とてもラフな、いでたちの二人である。スポーツウェアのような生地でできているもので、何と言うのかわからない。

しかもフランス人らしからぬ?ペアルックである。

そしてまずは、旅館へ向かった。

さすがに老舗旅館、もと東大寺の塔頭と言うこともあり、古いけれどとても趣がある。

 

夕刻到着の彼らは、「一緒に食事をしたい」と言ったが、とにかく旅館は料理旅館としても有名である。

突然、一緒に食べられるはずもない。しかも値段も一流のはずだ。

ではお茶でもと外に行こうとしたら、女将さんが「お茶を飲むなら、どうぞここで」と、何と別の部屋を用意してくださり、普通のお茶かと思いきや、お抹茶とお菓子を用意して下さったのだ。

もちろん私の分もである。

 

 

 

これまでの旅の話を聞くことになる。

 

 

 


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