フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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フランス人ってやはり魅力的

2013年04月28日 | パリ11区

ピエール夫妻と別れ、未だ誰も帰っていないエリックの家に戻り、鍵を返し荷物をまとめタクシーでロワシー空港へ向かった。

ロワシー空港

翼の下に小さい太陽

長い機上の時間を経て成田に着き、一番先にしたことは寿司屋さんに入り握りを食べたことだった。

成田空港の寿司屋さん

海外でどんな御馳走をいただいても、やはり日本料理が最高である事を毎回成田で体験する。 

今回のフランスの旅もいろんなところを訪れ、沢山の人に出会った。そうしてフランス人のものの考え方、行動の仕方、生活環境などを肌で感じ、フランス人への理解がまた少し進んだ。 

ようやくフランス人は他の国の人達とどう違うかと言うことがぼんやり判ってきた。けれどフランス人と交流することが、どうしてこう楽しいのか、その理由がまだよく解らない。 

勿論全てのフランス人がそうだと言うことでもない。魅力的な人、平たく言えば面白い人は、学歴、職業、富裕度等に関連性は無い。 

そして色々な個性の人がいて、有る時この話は誰に聞けばよいかなと考える時、これはちょっとこの人には難いなというケースもあれば、どんぴしゃりこの人に聞けばいいと言う人もいる。 

独身同士の人を、この人とこの人と組み合わせればうまく行くかな?などと考えるのも実に面白い。 

こうしてフランス人を見ていると、他の外国人へ目を移す気が湧かない。そして結局次の海外旅行も、フランスになってしまうのである。

他の外国人を日本人と比べるのではなく、フランス人と比べてしまう癖が出来てきた。

へそ曲がりでプライドが高いけれど、どこかお色気が感じられ、表現力豊かで、日本人とは違う価値観を持ちながら日本への関心が高い彼等との交流はこれからも続くことになる。

 

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毎年パリから自転車を運ぶ彼

2013年04月24日 | パリ11区

それから、日本人の奥さんとフランス人のご主人のカップルの家を訪問した。

ご主人と息子さんが腕をふるって料理を作ってくれたようだ。 

メイン料理はブッフ・ブルギニオン(牛肉の赤ワイン煮込み)で、アイスクリーム、タルト等を頂いた。

メインのブッフ・ブルギニオン(牛肉の赤ワイン煮込み)

 

デザートとコーヒー

息子さんはお母さんに似て外見はほとんど日本人であったが、日本語はそれほど話せないようだった。一度京都のお菓子屋さんで働いたことがあるそうで、そのお菓子屋さんはもう廃業されたとのことであった。

右がピエール、左が息子さん

彼は、食事後就職活動のためとかで外出して行った。後で思うとこれが彼との出会いの最初で最後となったのだが、その時はそのようなことは勿論思いもよらなかった。

この事は別の機会に話すことにしたい。 

ピエール一家の温かいランチのもてなしを受けた後、近くのペール・ラシェーズの墓地に散歩に行くことになった。

以前ミッシェルさんが連れて行ってくれたことがあったが、その時よく事前勉強をしていなかったので、後でエディット・ピアフのお墓があったことが判り、惜しいことをしたと思っていた。

ペール・ラシェーズの墓地の入り口

今回それをカバー出来るチャンスとなった。そこに行くまでに花束がたくさん供えてあるお墓があったので見ると、ショパンのお墓であった。

ショパンのお墓

エディット・ピアフのお墓も花がたくさん供えてあり、観光客も大勢いた。エディット・ピアフのお墓がこの墓地にあることを、何とピエール夫妻は知らなかったようで、これには私が驚いた。 

エディット・ピアフのお墓

この墓地を出て、近くのメトロの駅で彼等と再会を約して別れた。ご主人のピエールは名残惜しそうな様子であった。 

ご主人は日本が大好きで、夫妻は京都にマンションを持っている。そして年に一度はやって来る。ピエールはわざわざ自転車をパリから運び、京都中を走り回る。自転車なんかこちらで買えばいいのにと思うけれど、そんなところにこだわるのがいかにもフランス人らしい。

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問屋街のほとんどが中国人の経営だった。

2013年04月14日 | パリ11区

とうとう、20日間のフランス滞在最後の日がやってきた。 

エリックとイザベル達は既に出勤し、私は荷物を置いたまま預かった鍵を持ってアパルトマンから出かけた。 

バスに乗ってパリ市役所近くで降り、そこから地図片手にパッサージュ見学に行った。アーケードのある通りであるが、日本の商店街みたいな賑やかさは無く高級店が並んでいる静かな感じだった。 

面白い看板もあった。道頓堀の蟹道楽を思い出すのもあった。

 

トンボの看板の意味は不明だった。

 

パッサージュはベルギーのブリュッセルでも見たことがあるが、勿論パリが発祥の地らしい。最近はパリも流通形態がかなり変わったせいか、静かで人通りも少なく衰退傾向にあるようにさえ思えた。 

パッサージュ・デュ・グラン・セールと言うところと、パッサージュ・デュ・ブール・ラベと言うところを見た。ガイド本によるとこのあたりに全部で20くらいあるようだ。

パッサージュ・デュ・グラン・セール

パッサージュ・デュ・ブール・ラベ

パッサージュ内部

天井

 

そこから北の方に歩いて行くと、サン・マルタン門が見えた。ルイ14世の時代ここは城壁があり、門は各地の戦勝を記念して建てられたようだ。

そこから引き返すと、国立工芸院という学校の前を通った。

国立工芸院

やがて何やら装身具などを売っている店が沢山並んでいる所に出た。そこで一つの店に入って見ると商品の価格が非常に安い。買おうかなと考えていると、店の女性(中国人)が英語で「ここは問屋だから、最低100個単位でないと売りません。」と言った。 

なるほどここは問屋街だったのかと、そこで初めて気がついた。どうりで単価が安いはずだ。それにしてもどの店も見事に全部中国人の経営ではないか。そこへ白人が買い付けにやってきていた。

後でこの事をフランス人に話すと、初めはフランス人の経営の店ばかりだったが、いつの間にか中国人に全部とって代わられたのだと言うことだった。

改めて中国人の商売のうまさを実感した。 

カフェで休憩し、アイスクリームとエスプレッソで一息ついた。

それからピエール夫妻のアパルトマンへ向かった。

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ヴァンサンと日程が被っていしまったこのカップル

2013年04月11日 | パリ郊外

ヴァンサンが来日する前に我が家に滞在するはずだったこのカップルが、アクシデントで旅程変更を余儀なくされた。

つまりパリ空港へ向かうため、彼らはもちろん余裕をもって家を出たのだが、何と交通事故で大渋滞したそうだ。

そして予定の飛行機には乗れず、関西空港着ではなく、成田着になったことから、東京での滞在からのスタートに変更された。

このカップルの奥さんは高校の校長先生で、彼女ヴァンサンと同じくスキー休みを利用しての初来日だった。

それでも普通は宿の変更なども含めて、彼らだけでは簡単に旅程は変えられない。なぜできたのか?

それは彼らの友人であるJLさんがちょうど東京に滞在中で、彼らの宿の変更から旅程変更まですべて手伝ったからだ。

我が家にも滞在日の変更を申し出られたのだが、あいにくヴァンサンの滞在と重なり、変更を受けることができなかった。

実は彼らのキャンセルは当日だったので、夕食の準備の買い物なども済ませていたのだが、理由が理由だけに彼らの気持ちを察すると、出来るだけいい思いをして帰ってもらいたい気持ちになった。

そして奈良に来るとき観光ガイドだけでもと、ヴァンサンが友人と京都の鞍馬温泉に出かけた日に約束をしたのだった。

このカップル、奥さんは流石高校の校長と言うだけあって風貌も立派なマダムだった。ご主人は薬局を経営されていて、メールのやり取りはほとんど彼とだった。

氷室神社~東大寺~二月堂~春日大社を案内した。

初めて会ったというのに不思議と話が弾んだ。

薬局を経営しているからか、食にはとても注意されていて、揚げ物は食べない(つまり天ぷらは食べない)し、野菜を多くとるようにしているとのことだった。

ウナギ以外の日本食は好きだそうで、あんこも好きというので、ぜんざいを一緒に食べた。そして南仏の珍しい白ワインをお土産に頂いた。

彼らはパリに(正確に言うとパリの外れだが)一軒家を持ち、その半分をアパートとして貸している。

とても快適そうな家なので、いつか泊まってみたいと思っているが、まだそのチャンスはない。

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日本企業へ就職活動中のソフィアン君に会う。

2013年04月07日 | パリ郊外

ジョルジュと別れしばらく歩きかけたが、方向を見失なってしまいそうなので、シャンゼリゼに戻り、メトロに乗り、パリ市役所駅まで行った。今度はここからソフィアン君と落ち合う予定のサン・シュルピス教会まで散策することにした。

パリ市役所の裏側

 

パリ市役所の裏手からセーヌ川に出ると、バカンスに行けない人達のために、パリ市が作った「砂浜」(パリ・プラージュ)で多くの人が日光浴しているのにぶつかった。多くの人はこの季節バカンスに出かけるが、そうでない人のために砂を持ってきて、ここで日光浴をどうぞと言うわけだ。

セーヌ川沿いの「パリ・プラージュ」で日光浴する人たち

これはこの季節パリだけでなくリールにもあった。

ちびっこたち・・・多人種国家を実感した。

なんと粋な計らいだろう。日本人は基本的に日焼けを嫌うが、白人は日焼けがステータスみたいなところがある。色白は「バカンスに行く余裕がない人」となるのだ。

冬が長く、日照時間が少ない緯度の高い所に住んでいる白人にとって、夏の日光浴は欠かせないらしい。カフェでもわざわざ屋外の席を好むのは、それと関係があるように思えてならない。

逆に日本で屋外のカフェの席があまり流行らないのは、そこに根本原因があるように思える。 

シテ島の最高裁判所の前を通り、サン・ミシェル橋をセーヌ左岸へ渡った。サン・ミシェルの泉の前を通り、しばらく歩いてサン・シュルピス教会に着いた。その途中、以前来たことのあるお医者さんと実業家の奥さんのカップルの住んでいるアパルトマンの前を通った。今回は彼らには内緒で来ているので、そっと通った。

シテ島の最高裁判所

噴水のある広場

サンミッシェルの泉

 

友人が多く、特に当然パリに多いので、全員に知らせたら大変なことになる。その時その時に会う人を選択して行くことにしている。限られた期間の滞在なので全員にとても会い切れないし、パリからどこへも行けなくなるのは必定だ。

サン・シュルピス教会前の広場

修理中のサン・シュルピス教会

 

やがて若いソフィアン君がやってきた。日本の企業に就職したくて頑張っている彼だが、日本語がまた一段と上手になっていた。

近くのカフェで話しをした後、セーヌ川に向かって歩き、ルーブルのところまで行きそこで別れた。今度は日本で会おうと、約束した。

ルーブル博物館

 

エリックの家への帰りもバスに乗った。最後のパリの夕食をエリックの家でいただき、食後折り紙遊びをした。エリックは小さな兜を頭に乗せ、二羽の鶴をイヤリングに見立てておどけて見せた。

明日彼等は朝早く仕事に行くので、家のカギ渡してくれた。彼等の出勤後に私は日本人の奥さんとフランス人のご主人の家を訪問に出かけ、それからまたここに戻って荷物をまとめてシャルルドゴール空港に向かうことになる。

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