フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

教会も庭も裸足で歩くカトリーヌ

2012年06月30日 | パリ17区

シャンパーニュへ着いた翌日、ランスへ出かけた。

ご主人のリシャールは別荘に残り、庭の手入れらしい。

 

一路広々とした田園をひたすら走る。

また大きな農業用機械を追い越したりすれ違ったりである。

背の高い農業機械

途中ガソリンスタンドに立ち寄りガソリンを入れ、それだけかと思ったら、器具を借りてきてカトリーヌ自身がタイヤに空気を入れた。何でもする彼女である。

 

途中休憩を兼ねてお城に寄ったが、閉っていた。

広大な庭の奥に見えるお城

門の上にはこの城の主の紋章があった。

この地方の広大な土地を支配していたのだろう。

 

やがてランスに着いたが、ちょうど昼時で食事をすることになった。

通りに出ている立て看板を見てあるビストロに入ったが、ランチがサーモンのバター焼きだった。 

出てきたサーモンは実においしかった。

デザートのクレームカラメルも、大きなのが出てきた。(この写真を見た別のフランス人に、こんなの食べたらカロリー取り過ぎ、と言われました。)

これで7.9ユーロ(約800円)とは安い。

やはり地方はパリより物価が安いらしい。

 

ランチ後、目指すノートルダム大聖堂はすぐ近くだった。

目指す大聖堂

入口には荘厳な装飾が施されていた。

内部のステンドグラスもなかなかのものであった。

ノートルダム大聖堂の内部(ゴシック様式)

シャルル7世にこの大聖堂で載式を行わせたフランス救国の英雄、ジャンヌ・ダルクの立像もあった。

 

ここを見てから藤田嗣治の礼拝堂へ行ったが、カトリーヌはその間買い物に行った。

途中いくつもシャンパンのシャトウを見た。

いわば「シャンパン御殿」である。

シャトーその1

シャトーその2

シャトーその3

 

小さいフジタ礼拝堂は、日本人の訪問も多いようである。

フジタ礼拝堂入り口

建物への入場は有料になっていた。

フジタ礼拝堂の建物

内部は壁に藤田嗣治の描いた絵が書かれており、撮影禁止だった。

入り口の外から見た内の様子(中に入ると撮影禁止)

つまり礼拝堂とは言え、美術館のようであった。

 

カトリーヌが迎えに来て、今度はランスにあるもう一つの古い教会のサン・レミ・バジリカ教会へ行った。

カトリーヌはこちらの方が好きだと言った。

おそらくノートルダム大聖堂より人が少なく静かだったのと、建ったのがノートルダム大聖堂よりさらに古く、その古さが良かったのかもしれない。(ロマネスクとゴチックの様式が混在している。)

カトリーヌはヒールの高いミュールを履いていた。歩くと音が響く教会で、彼女はそれを脱いで持って歩いた。裸足である。

彼女は別荘の庭も裸足で歩くので足の裏が真っ黒だったが、そんな自然派の彼女が、神聖な教会という場所では、ごく自然に気遣いを見せたのである。

そして別荘に帰った。

長時間の運転にもかかわらず少しも疲れを見せない、彼女は本当に元気だ。

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念願のふぐ料理に舌鼓、ふぐ栗巣

2012年06月25日 | プロヴァンス

その翌日は私に仕事があったため、彼は一人で清水寺と東寺の骨董市へ出かけて行った。

 

夕方買い物をしにスーパーに寄ったら、何と彼と遭遇!!

花を買っていた。「サプライズのプレゼントをしようと思ったのに」と言われ、ちょっと残念そうだった。

 

帰ったら帰ったで、骨董市で買ったアンティークな和食器で蓋物と小皿とプレゼントしてもらった。

彼としては急な滞在になり、気を使ってくれているようだった。

彼は日本のお魚が好きなので、その夜も海鮮ちらしにした。

 

翌日は雨だったが、大阪心斎橋へ一緒に出かけた。

こういうひょうきんなものもすぐ試す

彼は一度フグを食べたいと希望し、お昼時、しかもオフシーズンなので

リーズナブルな料金で食べられる店を偶然見つけたのだった。

 

初めてのフグ尽くしに、ふぐのひれ酒から始まり白子や雑炊まで「どれもおいしい」と大そうお気に召したようだった。

山椒や大葉など香味の強いものが「ハーブのようで」好きなんだそうだ。

彼によると、「今のフランス料理は日本料理を真似しているものが多い」とのことである。

 

そう言われてみて、やはりフランス人は食通なので、日本料理の繊細な味加減も理解できるのだなと感じた次第だ。

日本とフランス、全然違うところもあるが、共通する部分も確かにあるように思う。

 

ここは彼が御馳走させてほしいとのことで、お言葉に甘えることにした。

帰国後もずっと彼はフグを食べたことが嬉しくて、友人たちにも自慢したそうだ。

 

夜は習字をして、それも気に入ったが、日本の印鑑にも興味を示し、帰るまでに自分の名前を漢字にした印鑑を買いたいと言った。

そう言えば、その前に来たジェラールも苗字がアルファベットで4文字なので

高島屋で彫ってもらったことを思い出した。

 

クリスチャンには栗巣という字をあて、それが栗と巣と言う意味だと言うと、生まれたところが栗が名産のところ(Ardeche)だと、大そう気に入り、それ以来メールでも栗巣と書いてくるようになった。

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シャンパーニュでのバカンス

2012年06月23日 | パリ17区

サンジェルマン・アレーから凱旋門の近くのカトリーヌの家に帰った翌日、シャンパーニュにあるカトリーヌらの別荘に車で連れて行ってくれた。

パリを東に抜け、途中ヴァンセンヌの森に寄ってくれた。その森の北にヴァンセンヌ城がある。

ヴァンセンヌ城 1

ヴァンセンヌ城 2

車を降りしばしあたりを散策したが、かなりの規模のお城というより宮殿であった。今回は中に入らず再び車に乗り、一路シャンパーニュへと向かった。 

広々とした草原や、麦畑、葡萄畑の中の真っ直ぐな道をひたすら走った。途中何度も大型の農耕用の車とすれ違ったり追い越したりした。

小麦の収穫

日本では見られない油田も見え、フランスが産油国であることに気がつき、羨ましかった。

やがて彼等の別荘に着き、木の中のトンネルを潜るようにして敷地に入った。別荘と言うのでこぎれいな建物を連想していたが、そこは古い農家を買い取って手を加えた古い建物であった。庭が広く奥深く木も沢山生えていて、相当背の高いものもあった。

 

 

サクランボ、黒スグリ、木イチゴの木もあり、それぞれちょうど実をたくさんつけていた。他には

りんご、栗、くるみ、あんずなどもあった。

これらの樹木の手入れは、ご主人リシャールの仕事であった。 

ベランダでお茶をして休憩してから、カトリーヌが買い物に近くの村へ行くと言うのでついて行った。着いてから彼女がスーパーで買い物をする間、村を散歩してみた。教会を中心に小さいながらきれいな「セザンヌ」という村であった。

村の教会

市場

ぐるぐる歩いてキョロキョロしていると、突然車が止まり、中からおじさんが出てきて、「どうしたんだ?道が解らないのか?」と聞いてきた。

全く人のいいおじさんで「どこを歩いたらいいか?」と聞くと「あっちへ行くと古い通りがあるよ。」と言う。

こちらが理解できているのか出来ていないのかそんなことはお構いなしに、フランス語でぺらぺら話してくるのだ。それが田舎の人の魅力だ。

親切へのお礼に折り紙を差し出すと大喜びで、去って行った。 

おじさんの言った通りは家と家との挟まれた細い小路であった。別にどうということもないように思ったが、きっと車道などが出来る前の、昔からある古い通りに違いなかった。 

別荘に帰り、夕食となったが、買ってきた豚肉はベランダ横の炉でバーベキューとなり、焼く役はご主人の受け持ちだった。

ベランダ横の網焼き(豚肉)

「ルーアン焼き」のお皿

豚肉の網焼ステーキとジャガイモ(間にはクリームチーズを挟んで)ホイル焼の付け合わせ

チーズ、パン、庭でとれた木イチゴ

シンプルだが素晴らしい夕食を、美味しい空気とともに楽しく味わった。

パリよりずっと星の数も多く、何の音も聞こえない贅沢なその夕べに、ムッシュが言う。「ほら、マジー(魔法)だろ」と。この世のものと思えない素晴らしさということだ。 

このマジーという言葉、滞在中何回言っただろう。そのくらいパリの人は都会の喧騒を忘れて、静か過ぎるくらいの自然や空間の中に贅沢な時を見つけるのだ。

8時半でも薄明るく、夜が更けるにつけ寒くなり部屋に入ると、7月だと言うのに暖炉を燃やし、その周りでまた団欒したのであった。

煙道を利用して暖房も兼ねている暖炉、炎が揺れ時々パチパチと小さな音を立てつつ夜は更けていった。

明日はランスへ行く予定だ。

 

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