フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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カテゴリーは居住地によって分けています

恋多きフランス人

2012年12月29日 | プロヴァンス

クリスチャンはお昼過ぎに奈良に到着した。 

ちょうど国立奈良博物館での正倉院展の時期で、正倉院の建物自体もこの時期は見られるので、まずはそちらに向かった。 

その後、奈良に来るたび試みることが恒例となっている、東大寺大仏殿の柱くぐりに挑戦した。しかし春に続き、今回も一回り大きくなった?体型のせいで、通り抜けることはできなかった。

それでもチャレンジすることが楽しいようである。 

夕方になってきて正倉院展も待ち時間が少なくなっていて、しかも割引料金で見ることができた。

正倉院展に同行するのは、スカフに続き二人目である。

その年の展示の目玉は「五弦の琵琶」だったが、音楽教師のクリスチャンにはぴったりだった。

宝物を見ながら「これはペルシアの文様のようで、見たことがある文様だ」というので、「シルクロードで伝わったものが多くあるよ」というと、とても興味深く見入っていた。

こうして四回目の奈良も新しい発見ができたようだ。

 

翌日はハイキングに出かけた。

浄瑠璃寺から岩船寺までのコースだ。

前には「山の辺の道」をフランス人と歩いたことがある。またジャンルイさんやドイツ人の友人とは「滝坂の道」を歩いた。 

どちらのお寺もいいお寺だが、彼の心をつかんだのは、二つのお寺の間にある石仏だった。

「素晴らしい」と、「なぜこんな石仏があることをガイドブックには書いてないのか」と言い、帰ったら「おすすめコースとして投稿したい」と言っていた。

 

フランス人は深い心でものを見たり、私たちが気付かないことに美や価値を見出したりして、いつも感心させられるのである。

 

「春にも来るよ。もう日本は、日本食、特に魚は僕にはなくてはならないもの」と言って帰って行った。

残念ながら、東日本大震災のため叶うことはなく、その年の秋、今年の春も待っていたが、なかなか実現しない。

と思っていたら、何と夏には新しい彼女とバカンスに行ったと知らせてきた。しかもそれはもうロマンチックなミニ映画に編集して送ってきたのだった。

 

前の彼女のアルジョナは、震災の時も安否のメールをくれたし、とてもいい子だったので、少し複雑な気がしないでもない。

また彼は新しい彼女を連れて来日するかもしれない。たぶんその彼女も魅力的な人なのだろうが、まだ複雑な思いはぬぐいきれないままだ。

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心の籠った日本食

2012年12月16日 | パリ15区

リールからパリにもどり、エリック夫妻のアパルトマンに向かった。 

RERの改札口でちょっとした事が起こった。 

切符を機械に通したのに受け付けないのだ。メトロは乗る時機械を通るけれど、出る時機械がない。しかしRERは日本と同じで、出る時も切符を通す機械があるのだった。 

仕方がないから、あたりを見回し誰も見ていないのを幸いに、ストッパーの下を這うようにして潜って出てきた。 

さてエリックの家に戻ると、夕食は彼らの心のこもった日本食だった。 

最初に茶椀蒸しが出てきた。メイン料理は海老であった。全てエリックの手料理だ。

シンプルだけどこれがおいしい。イザベルが「エリックは塩辛いのが好きで塩を入れすぎるから困るのよ」と、私のために塩は控えめにしてくれていた。

ご飯はお粥とご飯の間みたいな言わばリゾットみたいな

のだったので正直これは美味しくなかったが、彼らの心のこもったものだから感謝と共に頂いた。

デザートはイチゴだった。

前回泊まった時には無かった掛け軸もあったが、これは奥さんのイザベルのお手製のものだった。下の方のHOKUSAIとあったから、版画じゃなく、北斎が描いた絵の複製らしかった。

良く日本の掛け軸を観察して、それらしく作ってあるのに感心した。

ワインもボルドー産のとっておきのを出してくれたが、目を引いたのはイザベルの祖母が大切にしていたと言う栓抜きだった。

アンティークでなかなか良かった。古い物を大事に継承することにいつも感心させられる

 

翌日の朝食も豆腐が出てきた。ちゃんと醤油もあった。

箸も箸置きも彼等が日本で買ったものだった。

それからパリ郊外のサン・ジュヌヴィエーヴ・デ・ボワへ、マリーアンジュの両親に会いに出かけた。 

家の近くは骨董市が開かれていたが、通り抜けただけだった。

 

RERで行くのだが、この列車にはいろんな人が乗って来るので、何時もやや緊張する。

二階建て列車なので二階席に決めている。展望がいいからだ。 

次回はマリーアンジュの両親宅での話にしたい。

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ふぐ。蟹、シジミ、すっかり食通のクリスチャン

2012年12月13日 | プロヴァンス

親子三人が帰った後は、春にも来たクリスチャンが、初めて秋にやってきた。 

「もう日本は私にとってはなくてはならないもの」と、嬉しいことを言う。

今回は山陰地方を回ってみたいということである、大阪で一泊するので、まずは大阪で会うことになった。梅田駅は初めてらしいが、その大きさ、人の多さにびっくりしていた。

夕食の約束をしていたので、和食を一緒に食べた。春に食べたフグがお気に入りで、それをご馳走したいとの申し出だったが、シーズン最中のふぐ、しかも夕食をご馳走になっては申し訳ないので、夜景の見える場所で日本食を頂くことにした。 

それでも彼は喜んでいた。

翌日は城崎温泉までバスに乗るということなので、バス乗り場を教えてこの日は帰ることになった。城崎温泉は蟹もたくさん食べて、外湯めぐりも楽しんだようだが、黒川温泉のほうがお好みだったらしい。 

その後は松江へ向かった。

宍道湖の夕日も素晴らしかったようだ。夕食はしじみ料理を食べ、それがまたとてもおいしかったと言うのだから、彼の日本食好きはもう本物である。その店で一緒になった日本人の女の子といろいろ話が弾んだそうで、連絡先もしっかり聞いたと言っていた。 

その後は、これも彼のお気に入りの直島へ向かう。

以前は彼女と一緒で、素敵なホテルを奮発したが、今回は一人なので民宿に泊まった。この民宿のご夫婦は日本語しか話せないのだが、それでもコミュケーションはできて、この宿は本当に温かいもてなしだったと言っていた。

瀬戸内海のおいしい魚料理も彼を喜ばせた。 

そしてその旅の報告をしがてら、最後に我が家で二泊するためにやってきた。

今回は正倉院展とハイキングをすることになるが、その話は次に譲ることにしよう。

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今は大学都市としてのリール

2012年12月05日 | リール・アミアン

ドゥーエ近郊のヴィルジニのお母さんの家に泊めてもらった。

翌日目が覚めると昨夜見た水たばこの道具が置いてあった。私には日本では見たことが無い珍しいものだった。

またこの家にあった絵画が印象深かかった。と言うのはその絵は、第二次世界大戦前からこの家にあったのだが、戦争中にドイツ軍が没収してしまった。

戦後一部返ってきたのだが、絵の裏にドイツ軍が整理する際に付けた番号が残っていた。 

ヴィルジニの手作りの朝食をいただいた後、帰り支度をして荷物を持ってリールの街の見学に出かけた。 

リールの街に着くとヴィルジニの良く知っているカフェで休憩し、荷物をそこに預けて出かけた。彼はイスラムの礼拝に行くとかで、どこかに行ってしまい、ヴィルジニが案内してくれた。ほとんど徒歩で廻れるのだが、地下鉄も経験にと一駅だけ乗った。 

町はかなり大きく、立派な役所の建物、大きな教会、大きな広場、一流ホテルなどがあり、ルイ・ヴィトン等の高級店も並ぶ都会だった。そして少し静かなところで日本人が経営しているらしい「YAMATO」と言う小さなレストランも見つけた。 

しかしそれ以外に「TOYOTOMI」

HOKKAIDO」「くしろドットコム」

等いかにも中国人の経営するらしい日本食のレストランがたくさんあるのにびっくりした。 

カラオケの店は「KARAOKE」とネオンが輝いていて、建物自体いかにも中国風だった。ちょっと入る気にはなれない。

 この町は都会と言っても高層ビルが並ぶわけではなく、昔からの町並みの落ち着いた雰囲気の街だった。 

シャルル・ドゥ・ゴールの出身地と言うことであるが、学校で「リール工業地帯」と言うことを確か習ったが、今はかなり時代とともに変わっているようだ。 

知り合いの若い人のいく人かはここの大学で学んであり、大学都市であるとも聞く。 

最後にリールの駅まで送ってくれた。

国境に近いこのリールの駅は警戒が厳しく、普通の駅は日本と違って自由にプラットホームに入れるのに、ここでは柵のようなものがあり、切符のチェックがあった。

ヴィルジニは切符を持っていなかった(この国には入場券は無い)けれど、プラットホームに入れた。

「日本人と一緒だから、私も入れたのよ」とヴィルジニが言った。

つまり日本人は悪いことをしないからというわけだ。 

フランスは入国審査でも何時も思うが、日本人には優しい。親日的なものを感じる。 

かくしてヴィルジニの見送りを受け、その日の内にパリのエリックの家にもどったのだった

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パリで着物暮らし?

2012年12月02日 | パリ郊外

アドリアンが五泊した後やってきたのは、久しぶりというか、思いがけない紹介でやってきた親子三人であった。

紹介者はベルニで、彼女はたくさんの友人を紹介してくれたのだが、彼女が夫の赴任期間を終えて帰国したのが7月だったので、それ以降はもうないと思っていた。 

しかし彼女の友人のフランス人で東京にまだ住んでいた友人が、親戚が来日するからと私のところへ泊めてほしいという希望であった。

そしてすき焼きをというリクエストもベルニにからである。彼女はすき焼きがほんとに好きだった。 

一泊だった。しかも夕方着いて、翌日は奈良を観光して(彼らだけで)、夕方にはまた別の場所に移動するというスケジュールだ。

なぜわざわざ我が家に来たのかというと、来てから分かったのだが、奥さんが着物が好きで「着せてもらえる」ということを聞いていたからであった。 

子供は11歳にしては小柄で小さく見える男の子だったが、可愛い金髪の子なので、観光地ではもてもてで、特に女学生から写真をたくさん撮られたそうだ。

お母さんはダンス教室を経営していて、スタイルもよく着物を着てもとても姿勢がいいので、着姿はさすがにきれいだった。 

念願の着物を着て、「こんなのを買って帰りたい」と言っていたほど似合ってもいたが、残念ながらこの年の秋の写真がコンピューターの不具合で消失してしまったのは本当に残念である。 

折り紙や習字はお父さんと子供が楽しんでいたが、折り紙の「飛ぶ鳥」は、すでに知っていて、ちょっとこちらががっかりしてしまった。 一番の見せ場だったのだが。 

そんな彼らは震災後すぐに安否を気遣うメールをくれた。その時彼女たちの親戚はまだ東京にいたが、すぐに九州へ避難し、その後帰国してしまったそうだ。 

それ以来、音沙汰がないのだが、着物を着れるようになるためにパリで先生を探すと言っていた。今頃はパリで着物暮らしを始めていたりするかもしれない。

 

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