フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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鶏料理の美味しかったことが一番の印象

2012年11月18日 | リール・アミアン

ヴィルジニにドゥーエの街をあちこち案内してもらった。

そこで一つ気になることが起こった。

当然街には教会があり、連れて行ってくれるのだが、彼女は入口までで「何時も見ているから」と中には入らないのだった。

これまでフランス人に教会へ案内されて、一緒に入らなかった人はいない。

町の広場にはドゥ・ゴール大統領の胸像があり、やはり彼はフランスにとっての大切な人物らしいと、改めて実感した。

 

やがて夕方になり、ヴィルジニの祖母の家に戻った。料理上手なお祖母さんから鶏料理を御馳走していただき大変おいしかった。

 

デザートのあと、持っているコーヒーカップを見せてくれた。

 

その中に「大清光緒年製」と底に書いてあるのがあった。

「どういう意味か?」と聞かれた。「これは中国の清朝の光緒と言う皇帝の時代の製作と言う意味です。でも単なるデザインとして書いてあることもあり、これが本当にその時代の物かは判りません」と答えた。

そんな答でも満足してくれたようだ。

 

その他のカップも取手の所のデザインが面白かったし、骨董的な値打ちのありそうなのもあった。

 

すっかり御馳走になり、今夜はここでなくドゥーエの郊外のヴィルジニのお母さんの家に泊めてもらうことになっていたので、お祖母さんがその家まで、車で送ってくれた。

高齢なので遠くへのドライブは行かないそうだが、これくらいは平気ということで驚いた。

 

ヴィルジニのお母さんの家の前でお祖母さんと別れ、アパルトマンのその家に上がったが、お母さんは旅行中で留守だった。

結局その広い大きな家に、ヴィルジニと駅まで迎えに来てくれてお祖母さんの家には上がらなかった彼女の彼が先に来ていた。

 

聞くとお母さんは彼のことを認めてくれているとのことだった。

ヴィルジニは水たばこを吸って見せてくれた。珍しいものだったが試してみる気にはならなかった。

これもモロッコ出身の彼の影響であることは明らかだった。

 

そして大きなベッドに、寝かせてもらった。 

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抜け目のない?ラテン系男性

2012年11月12日 | パリ郊外

可愛い二人の女の子が帰った翌月にやってきたのは、名前をアドリアンと言う三十歳前後の若者だった。

彼は前年の来日を考えていたが、なかなか決断がつかず、やっと実現したということだ。

 

日本に関空へ初めて降り立ち、滞在は奈良からである。

この時は毎年来るようには思えなかったが、振り返ると今年まで三年連続での来日の一歩であった。

 

彼はパリの郊外、フォンテーヌブローに住んでいるエンジニアで、一見内気なフランス人に見えた。

魚が食べられない彼は、「フランス人は魚を食べる人は少ない」と言っていたが、そうでないフランス人も多いことを私はよく知っている。

 

そして、彼はワインも飲まず、コーヒーも飲まない。

朝ご飯は、ココア、パンにはジャムではなく、「僕はフランスでは、ヌテラをつけて食べている」という。

ヌテラとは、いわばチョコレートのジャムのようなもので、フランスの子供の朝食の定番であるようだ。

 

そんな彼は、一週間の滞在で、奈良はもとより、大阪や京都へ足を延ばした。

大阪ではメール友達だけれど初めて会うという日本人の女の子に、天王寺を案内してもらったそうだ。

 

京都の一日目のルートをアドバイスした。

龍安寺、金閣寺、大覚寺、銀閣寺、哲学の道である。

彼はその往きのバスの中で埼玉から京都に観光に来ていた二人の日本の女の子と出会った。

一緒に龍安寺、金閣寺を見たら、彼女たちの決めたコースに沿い、大覚寺は飛ばし、金閣寺からそのまま銀閣寺へ行き、新幹線で帰る彼女たちに同行し京都駅で、別れたという。

 

そのあとは時間があったので、1人で伏見稲荷を回り、帰ってきた。

「とても感じのいい子で、親切だった」というので、「連絡先は聞いたの?」と聞くと、「もちろん」と言う返事 大人しそうで、幼そうに見えても、これがフランス人である。

ちゃっかり連絡先は交換し、奈良の滞在の後、埼玉でホームステイする予定だった彼は、彼女たちと東京での再会の約束までしていた。

 

この後の埼玉のホームステイ先での彼の評価も「牧師さんかと思っていた」というくらい、朴訥で生真面目に見えるアドリアンの第一印象であるが、回を重ねるごとにやっぱり、フランス人だなあと思わせてくれるのである。

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リールでの2年ぶりの再会

2012年11月03日 | リール・アミアン

ルイ君に別れていったん凱旋門近くのカトリーヌ夫妻のアパルトマンの友人宅に戻った。既にカトリーヌ夫妻はボルドーへバカンスに出かけた後で、入れ違いに娘カップルが帰ってきていた。凱旋門近くのこのアパルトマンは娘さんたちがパリにでてきた時にもとても重宝するようだ。 

今夜からパリ市南部のエリック夫妻の所に泊まることになっていたので、彼女らとお別れしタクシーでエリック宅へ向かった。  

エリック、イザベル夫妻の家には以前も泊めてもらったことがある。彼等のアパルトマンの部屋は8階の最上階だった。ここはそのエレベーターがあの蛇腹式のドアの古典的なタイプである。 

夕飯はご飯とホタテ貝の貝柱やアボガドのタルタルを、日本で彼らが買った皿や、茶椀蒸しの器に盛って出してくれた。

翌日ここを起点にして、フランス北部のベルギーに近いリールへ向かった。

北駅を出発してリールに着くとヴィルジニが、プラットホームで待っていてくれた。

彼氏が一緒だった。彼氏とは初対面である。 

ヴィルジニと彼女の祖母とが日本へ団体で観光旅行に来ていて、彼女らが奈良の興福寺の南大門跡で休憩していた時に巡り合った。その時以来メールのやり取りをし、この日の再会になった。 

ボーイフレンドは一見してオリジンがフランス人でない事が判った。聞くとモロッコの出身とのことだった。

彼の運転で、リールからおばあちゃんのいるドゥーエの街に向かった。ドゥーエの街は昔大学の街だったらしいが、今はリールに大学が移転してしまって、静かな町になっていた。 

おばあちゃんは町の広場に面したとても便利なアパルトマンに一人で住んでいて、家具調度品も立派なものだった。ヴィルジニの母方の祖母に当たるのだった。 

ヴェルジニはこの祖母の面倒をよく見ている。ただおばちゃんは彼女の彼氏が気に入らないらしい。だから彼はこの時我々を送るだけで、このおばあちゃんのアパルトマンには来なかった。 

昼食前にも街を見物した。

渡仏前から、「おばあちゃんは料理上手だから是非御馳走したい」とのことで

とても楽しみだった。

フォアグラの添え物もおばあちゃんの手作りで、確かリンゴを煮詰めたもの

おばあちゃんのバターはケミカルでないものを農家で分けてもらっているそうで

全ての食材に気を遣っていた。

 

また昼食後おばあちゃんが夕飯の支度をしてくれる間に、ヴィルジニの案内でドゥーエの街を見物した。この町は古い町で昔は相当栄えたようだ。 

運河もあり、そこの観光案内付きの小さな船にも乗せてくれた。

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