フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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カテゴリーは居住地によって分けています

アヴィニョンでサーカス

2012年03月31日 | プロヴァンス

料理上手なマダムの宅でランチを頂いた後、サーカスを見に行くことになった。

というのは、このマダムの長女がサーカスの一員であり、ちょうどこの時期の芸術祭に併せてここアヴィニョンでサーカスを興行していた。

こういう予期せぬことが、お任せの旅行では起こり、何時に終わるのかそんなことは聞かず、楽しむしかない。 

サーカスと言っても小さいグループで、団員は10人程度という感じだった。屋外でロープを張り、この長女ともう一人の若い女性が綱渡りを演じた。長女はこのグループの中心的存在とみた。 

一連のサーカスの演技には、ストーリーがあるようだった。綱渡りと自転車を後ろ向きで乗り回すなどの演技を披露してくれ、一段落すると簡単なパーティがあった。今日が初日の開催でお祝いらしい。 

この長女の妹は日本にも来たことがあり、奈良にも来て案内したが、この姉妹は非常に仲良しのようだった。でもたぶん父親は違う。それでも仲がいい二人である。

左からレイラ(次女)イザベル(精神科医の奥さん)クリスチーヌ(中学校の先生)サーカスの長女、イザベルも中学校の先生でクリスチーヌとは友達

 

今夜泊まる精神科医の奥さんも、一緒に見物した。 

それが終わると、料理上手なマダムと夫パトリスに、精神科医の家に送ってもらい、一緒に夕食を取った。私はそこで二泊するのである。この家はアヴィニョンの城壁のすぐ外側であり、TGVの停まらない方のアヴィニョン中央駅の近くであった。

 

精神科医の家族は、アパルトマンのいくつかのフロアを占有していた。聞いてはいたが、とても広い。パリとは地価が違うから一概に比較できないが、おそらく私のフランスの友人の中で一番広い床面積の家だろう。私の泊まった部屋の同じフロアにはいくつも部屋があり、ピアノを置いた大きな部屋もあった。その上のフロアにリビングやダイニングがあり広いテラスもあった。食事はいつもこの上のフロアであった。

行って見てわかったのだが、この家にはもうひと組のカップルが長期滞在しており、ご主人は精神分析家だそうだ。奥さんはアメリカ人と言うことだった。 

彼等はこの演劇祭目当てでフランスのグルノーブルから長期休暇にやってきて、あちこちの演劇を見て歩いているらしかった。この時期アヴィニョンのホテルはどこも満室で、こういう知り合いがいることはラッキーである。 

ご主人は暇なときは学者らしく本を読んでいたし、奥さんはピアノを弾いたりしていて、のんびりしている。(彼女は「のだめ・カンタービレ」が大好きなんだそうだ)ここに2泊したらさっさとパリへ帰る予定の私とは大違いである。 

アヴィニョンの演劇祭の時期は、イザベルの家は次々に友人達がやって来るのである。朝ごはんなどもめいめい好きなものを出して、好きに食べる。

浴室も二か所あり、大きな浴槽があり、家族と客人が別々に使えるようになっていた。 

ここアヴィニョンの夏は40度を超えることもあるので、何と、床暖房ならず、床冷房完備ということだった。

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このカトリーヌも我が道を行く

2012年03月28日 | パリ郊外

初来日のときは東山の銀閣寺と清水寺を観光したので、金閣寺を見たいという彼の希望に添い、金閣寺と竜安寺に行くことにした。 

そこで二人きりになりたいだろう若いカップルとは別れ、私は両親と一緒に一保堂で抹茶の体験をしてもらったが、お母さんは「苦い」と言う顔をした。おそらく息子が言う「あまりにもフランス人」と言うのはこういうことかと思った。ほとんどのフランス人は私の前では、そういうそぶりを見せないが、感情をそのまま表す人なんだということが、だんだんわかってくるにつれ、悪気もなければ裏表もないので、そんな顔をしながらも御機嫌がいいのである。

この後、平安神宮へと向かった。 平安神宮の庭園で、意外なお父さんの一面を見た。

池にかかる石の上を飛んで渡り、落ちそうになるようなふりをして笑わせるのだった。「役者だなあ」と思わず口に出たくらいだ。

フランス人は少年の心を残すムッシュもまた多く、そういう人が私を嬉しくさせる。 

折しも帰りは雨になったが、東山の駅に向かう小川沿いでもお父さんはおどけて見せる。

 

お母さんは養子として引き取った息子のことを「あの子も今はとても大人になったけど、うちに来たころはいろいろと大変だったのよ」と言ったのが今も忘れられない。

そしてありのまま正直に話してくれる彼女に親近感を覚えた。 

息子に言わせると、彼女は感情をストレートに出し、古い考えもある人なのだが、それは気にならないということも後々感じるようになる。 

そしてこのお母さんの名はカトリーヌ。つまり私の知り合いのカトリーヌは三人(他には、この人そしてこの人だ)いるのだが、揃ってすべてスペシャルな人柄と言える。

つまり、三人とも自分の意志のまま突き進む。相方はついて行くだけである。 

サンダーバードで金沢や富山に向かう彼らを、京都駅で見送って別れた。 

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夏のアヴィニョンは演劇祭一色

2012年03月25日 | プロヴァンス

翌日ナチュリストのカップルの家に別れを告げ、アヴィニョンに向かった。と言ってもムッシュが車で送ってくれたのだった。二時間くらいだったろうか。お母さんは仕事で留守なので、男の子二人もついてきた。 

アヴィニョンについてカフェで休憩してから、次のカップルとの待ち合わせ場所であるアヴィニョン駅へ行った。彼等もついてきた。うまく次の人達と私が会えるか確かめたかったのだろう。

そして次のカップルのムッシュと娘さんがやってきた。

こういう場合やってきたムッシュと娘さんに再会の挨拶をする。それから送ってくれたムッシュ達にお別れの挨拶をすることになる。 

この時、送ってきてくれたムッシュ達には寂しさがもろに押し寄せることになる。と言うのは彼等は、私が次に世話になる人たちとの久しぶりの再会を喜び合うのを見てしまうからである。 

だから本当は先に別れのあいさつを済ませ、送ってくれた人達に別れてから、次の人達に会うのが良いのだが、そうそううまくことは運ばない。多々こういうことになってしまう。 

迎えに来てくれたムッシュの奥さんは料理上手である。中学校の先生で、その同じ中学校の先生の友達に、同じくこのアヴィニョンに住んでいる精神科医の奥さん(イザベル)がいる。 

この精神科医のカップルは、料理上手な奥さんの紹介で約1年前に我が家に来て泊った。今回は私がこの精神科医の家に泊めてもらうのだ。 

しかしその前に料理上手な奥さんの家でランチをごちそうになった。そこには精神科医のカップルや、法王庁の古文書博物館に勤めているムッシュもやってきた。

昼食後、街に散歩に出かけた。家のすぐ近くの小さな教会の壁にだまし絵がある。料理上手な奥さんのムッシュはすぐに駆けより、だまし絵のおじさんと同じポーズをして見せた。彼はいつもユーモアを心がけている。彼は舞台装置の製作を仕事にしており、この季節は仕事があるようだが、普段はどうやら仕事が少ないようだ。

カフェで休憩した。この時期ここアヴィニョンでは有名な演劇祭の季節である。街のあちこちの小さい劇場で沢山の演劇が行われている。その演劇に来てほしいという宣伝活動が街中で繰り広げられていて、それがまた面白いパフォーマンスなのであった。

 

しかしその頃、大変なことに気がついた。今夜泊まる精神科医の家に持ってきたお土産を送ってきてくれた車の中に置き忘れたのだ。早速電話で郵送をしてもらえないかと尋ねたところ、明日また持って行ってやると言うことで、大変な面倒を掛けることになった。

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東京で暮らす息子を訪ねてパリからやってきた

2012年03月21日 | パリ郊外

両親から子供交換の依頼があり、うちにやってきてから再び1年半後に来日し、東京で暮らし始めたこの青年に会うため、両親が来日した。

そして日本人のガールフレンドとともに、奈良で再会することになった。

 

若い二人は夜行バスでやってきて、ネットカフェで仮眠を取った後、新幹線でお昼過ぎに到着する両親を迎えにJR奈良駅へ行った。

私もそこで合流することにした。

 

まず驚いたことは、彼はすっかり日本語が上手になっていたことだ。

ガールフレンドができて自信のようなものもうかがえる。若い人の短期間での成長は著しく、こちらも親のような気分で嬉しくなる。

そこへ両親がやってきた。

思えばきっかけは都踊りを見た後、彼らと少し立ち話をしたことに始まる。

だからこの時にはどんな人達なのか、まだ詳しくは分からなかった。

 

息子の彼によると、「とってもフランス人的で、スペシャルだから、申し訳ない」とまで言う。

こちらはよく理解しているつもりだが、日本に住んで日本人との違いをいろいろ感じ、出た言葉であろう。

 

まずお昼を一緒にいただいた。和食である。

お父さんは全部きれいに平らげた。しかしお母さんは食べられないものもあるようで、小食であった。

 

驚くことにこの二人、とても仲がいい。確かお母さんは再婚であるが、年上で60代、お父さんも50代後半である。

しかし腕をしっかり組み、ラブラブなのだ。

 

宿に荷物を下ろして、少し染井吉野の桜の開花時期には早いので、早咲きのしだれ桜で有名な、氷室神社へいった。

そこでは丁度奉納の舞をしていたが、フォスターペアレントの会長のお父さんはネパールへ行ったときに見た舞だと大喜びであった。

 

それから東大寺、二月堂、春日大社を廻り、夕食はうちで取ることにした。

時間を約束して別れたが、少し早めに若いカップルが、遅れて両親が来た。

 

彼がうちに滞在したときに気に入っていたしゃぶしゃぶにした。

その時は夏で冷しゃぶだったのだがごまだれは一緒だ。

「これだよ。このソース!!僕が好きなのは」と言うのを聞いて、彼女は「いくつか買ってみたけど、『違う、奈良で食べたソースはこれじゃない』と言われたんです。」と言うことなので、レシピを教えた次第である。

 

翌日は京都へ一緒に行くことにした。

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実はこのカップル、ナチュリストだった。

2012年03月14日 | プロヴァンス

男の子達とピンポンをした翌日、午前中は近くのBeziersと言う街にある教会へ散歩に出かけた。見晴らしの良い丘の上にあり、歴史のある教会らしかった。

午後にはムッシュの運転で、遠くのサンギエーム・ル・デセールと言う、中世の美しい村へ出かけた。どうやらスペインの聖地へ巡礼に行く道に当たるところでそのしるしの貝殻の印も目にした。 

奥深い山に、小さい坂の山道に沿って村がある。このあたりの人は何を生業として暮らしていたのだろう。よくわからない。

すごく立派な教会もちゃんとあり、昔は相当栄えたようだ。 

私はフランスのこうした小さな美しい村が大好きである。美術館を見たり美味しいものを食べたりするよりもこういうところを歩くのが私にとっては一番の喜びで、そこにフランスの魅力があると言ってもいいくらいだ。 

家に帰ると、この家の飾り物がほとんど日本に来た時に買って帰ったものばかりだと言うことに改めて感心した。

日の丸が二階の手すりにかけてあるが、これは私への歓迎に意味だろう。 浮世絵や明治時代の風俗の写真、銀閣寺で入山料と引き換えで頂くお札さえ額に収まっている。

日本地図が貼ってあり、ムッシュとマダムが訪れたところにピンが差してある。四国や九州それに北海道や東北以外のところに約20本差してあった。 

ベッドカバーに「お食事処」と染めてある布を使っていた。マダムが裁縫をしたのだ。 

そこまでならいいのだが、ムッシュの二の腕には「愛」、マダムのお尻の真ん中に「尊敬」とタトゥーが彫られている。どうもこれは頂けない。

 日本人の刺青に対する感覚と、彼等のそれは根本的に違うみたいだが、やはり頂けない。彫る前に相談があれば止めるにきまっているが、してしまっている以上仕方がない。 

さらにこの二人、実はナチュリストなのである。つまり海岸などで生まれたままの姿で遊ぶ人たちなのである。最初知った時は驚き、どのように付き合って行けばいいのか、困惑した。

こういうデリケートな問題を尋ね率直な意見を言ってくれるのは、パリのある人を置いていない。その彼女に聞くと「そういった人は多くない。だからよくわからないけど、少し変わっているかも」ということだった。

その海岸は誰でも自由に入れるわけではなく、ナチュリストだけが、そこに入れるそうだ。勿論普段はそんなことはなく、普通に暮らしている。生活態度に別段おかしなところはない。 

その晩は昨夜と同じ屋外で、オイルフォンデュを御馳走になった。

 

 

 

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