フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

私はブルトン人だよ!

2011年12月28日 | ブルターニュ

いよいよブルターニュともお別れである。

 

家でパトリックと愛犬・カネル(シナモンという意味)にお別れをした。

来た時はパトリックが迎えに来てくれたが、帰りはマルゴが自動車で駅まで送ってくれた。

この二人、こうして交替で三日間の滞在の面倒を本当によく見てくれたのだ。

 

 

駅で列車を待っていると、駅員さんがやってきて「日本人か?」と聞いてきた。

「そうだ。」と言うと彼は、「日本に行ったことがある。」とのこと。

だから彼は懐かしかったのだ。

青い制服を着た、太っちょさんだが、いかにも人がよさそうだった。

 

 

プラットホームのマルゴに送られて、列車は出発した。

 

 

                  モルレイの街

    

 

席は窓際だったけれど通路側にムッシュとマダムが座っている。

観察するとどうやらムッシュは私に声をかけたいのを、躊躇しているようだ。

 

 

 

 

そこで「こんにちは」と声をかけた。

そして聞いてみた。「私は何人に思う?」「中国人?朝鮮人?ベトナム?日本?タイ?インドネシア?マレーシア?カンボジア?・・・・???」

 

彼曰く「中国人!」

でも彼は最初から日本人と判っていたのだ。

何故なら話してみると彼等の身内に日本人と結婚している人がいるようだし、向かいに座るマダムが「SUDOKU(数独)」をしているではないか。

何のことはない日本通なのだ。

 

そこで私はあえてお返しに聞いてみた。「ムッシュはフランス人かい?」

彼は即座に答えた。「私はブルトン人だ!」

この返事に彼等のブルトン人としての誇りを感じた。

彼は大学教授にでも見える風貌だが、元銀員だったそうだ。

さすがフランス、堅い仕事をしていたにしてはユーモアのセンスがある。

折しもリーマンショックの後だったから、「いい時に辞めたよ。ラッキーだった。」と言った。 

 

彼等はブルターニュの西の端の街「ブレスト」から乗ってきたとのこと。これからパリの息子の家に行き孫に会うのだと、嬉しそうにマダムは言った。 

 

 

 

彼らは初めてデートで映画を見に行ったそうだ。

それは何と「裸の島」という日本の映画で、映画も素晴らしく、思い出にいつまでも残っているそうだ。新藤兼人のほとんど台詞の無い映画で、その村の人々の生活が見て取れたと話してくれた。

 

おしゃべりなマダムは、モンパルナス駅についてもタクシー乗り場まで、ご主人をほっといて私と話し続けたのだった。

 

この上品なマダムからは、帰国後もメールがくる。

文章を書くのが好きとかで、いつもメールには詩が付けられている。

解読が難しく、閉口する。

そして、お孫さんの名前は、ブルトン語で太陽を意味する名前だと説明があった。

こうしてブルトン文化も継承されて行くのだろう。

 

このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 

 

 


三人娘がやってきた♪

2011年12月27日 | リール・アミアン

ケバちゃんと一緒にやってきた三人組の一人セリアは、翌夏、再来日。京都のビストロでアルバイトを見つけ、アパートをシェアし、二ヶ月くらい滞在するという。

 

「また会いたい」と言い、うちにくることになった。

その前に彼女の働く姿も見ておこうと、京都のビストロを訪問した。

日本語もできる彼女は可愛がってもらっているようで、ギャルソン風の制服もなかなか似合っていた。

フランスのビストロのようなお店で、おなじみのステーク・フリットをいただいたが、安くてとても美味しかった。

 

その数週間後、彼女はやってきた。

ルームシェアをしている友人を二人連れ、三人でやってきた。

詳しい金額は忘れたが、京都、平安神宮のそばの古いアパートでルームシェアをしているとのこと、一か月で三万円くらいだったのではないだろうか。とにかく「よくそんな安いところを見つけたね」と、感心したのを覚えている。

 

高校生のBちゃんは、おとなしくはにかみやさんだ。もう一人は元気のいい女の子ハーちゃんで最初アジアの子かと思ったのだが、マダガスカルの出身と言っていた。

なかなか聡明なお嬢さんだった。

 

おとなしいBちゃんはお酒も飲まない。セリアは生ものが苦手なので、冷しゃぶにした。マダガスカルの子は何でも食べる。

三人も女の子が来たのは初めてだったが、にぎやかだ。ちなみに寝るときは、ほぼ雑魚寝状態だった!!

 

甘いものは三人とも好きで、かぼちゃのプリンを作ったらとても気に入ってくれたらしい。

フランスにもかぼちゃはあるが、日本のように甘味がなく水っぽい。だからスープにしてもプリンしてもいつも好評だ。

セリアは大福も大好物で、よくコンビニで買うとケバちゃんが笑っていた。生魚はだめだが、みりん干しが好きとのことだ。

 

マダガスカルの子の名前は、一度聞いてもなかなか覚えられない。

習字の時に、漢字で名前を書くことになって、○○トラというので、いっそ虎にしようかと思ったが、可愛い彼女にそれはちょっと可哀想で違うのを考えた。

彼女はK大の留学生だと言っていた。

 

夕食を食べた後、最近の奈良の夏の風物詩、燈花会へ行った。

夜でもとても暑い。県庁も屋上に上れ、会議室など見学もできて、いいスポットである。コンサートなども行われているし、最近はカフェなんかもあるそうだ。

 

翌日は東大寺と吉城園(外国人はパスポート提示で無料)へ行った。

柱くぐりは写真の通り、小柄な二人は難なくスルー、ちょっと太っちょのBちゃんは恥ずかしそうに首を振った。

早めの夕食にカレーを作ったら、これも三人とも完全食で、またそれぞれアルバイトのため、帰って行った。

 

このセリアに続き、前年の三人組、ケバちゃんも、男の子もこの年にやってくるのだが、セリアは震災の後の夏に、美しい妹さんとお母さんとともに来日するほど日本が好きである。

 

 このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ノン!!それは君の仕事じゃない!!

2011年12月24日 | ブルターニュ

ロスコフから帰り一休みすると、留守中にマルゴが作っておいてくれたディナーになった。

 

昨夜は長兄夫婦を招いての夕食で、御馳走を食べ過ぎたから今夜は軽めにしてくれたらしく、胃袋に優しい献立だった。 

 

鶏とあんずとひよこ豆(もしかしたらこれはフランス料理ではないのかもしれない)、デザートはイチゴのタルトだった。ワインは赤だった。                      

 

メインもデザートも本当においしかった。  

 

                    鶏とあんずとひよこ豆

 

 

                     チーズ

 

 

                        イチゴのタルト

 

 

            マルゴ                     パトリック

 

 

それはさておき、昨夜の長兄夫婦を招いての夕食の出来事で、一つ書き忘れていたことがあった。

 

夕食が終った時だった。しばらくしてから、私は自分の食べた食器を炊事場の流しまで持って行こうとした。この前日もそうしたし、いつでもどこでもお世話になった家ではできるだけお手伝いする意味でそう心掛けているからだ。

 

その時だ。例のスペシャルなお兄さんはすかさずこう言った。「ノン!!それは女の仕事だ!!」

 

これにはびっくりした。そしてお言葉に甘え、運ぶのをやめた。

この言葉をそのまま受け止めれば、男尊女卑の封建的な考えに基づくものとなる。

 

しかし、実のところ彼は「あなたはお客さんだから、そんなことしなくていいよ」と言いたかったのに違いない。それを彼は彼流にジョークを交えて表現したのが本当のところだろう。

 

しかし一昔前、このスペシャルな兄さんが育ったころは日本で言う「男子厨房に入らず。」と言う世界だったのであろう。その残滓がまだこのスペシャルな兄さんの頭のどこかに残っているのに違いない。だからああいう表現がひょいと出てきたのだ。

 

フランスでは、日本より封建的な部分が残っているように感じる。目に見えない階級社会も感じるし、必ずしもレディファーストでもない場面に出くわすことがある。

 

まだ女性は女性らしく、男性は男性らしくあれと言う感覚も感じる時がある。

世界に先駆けて革新的なところもあり、一方で相当保守的な人もいて、幅の広さと言う面でも不思議な国である。

 

翌日はこのケレンマとお別れし、パリへ帰るのだが、その帰りにまた別の話がある。

このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 


身軽になって高野山へ行けたわ♪

2011年12月23日 | パリ13区

さて、この年の夏は、若いフランス人を多く、迎えることになった。

そのトップを切ってやってきたのが、一人旅の彼女だった。

 

大きなキャリーを引いた彼女は、JR奈良駅に着いた。

一人旅で、日本を旅しているのだった。

JR奈良駅からだと、歩いて15分はかかるので、8月初めとあって、申し訳ないくらいだった。

もちろん半分キャリーを引くのを手伝ったが、途中から彼女の手の力が抜けているのが解ったほどだ。

 

彼女は一人旅をしている割には、依存心が強いところがあり、大きな体だが、上手に甘えてくるタイプだった。

暑いせいもあり、出かけるのも昼過ぎくらいからだったり、出かけてもあっという間に帰って来ては、うちの中でゆっくりしていた。

 

夕食後に一緒にした、お習字や折り紙はとても喜んで特にお習字が気に入り、お土産にお習字セットを買いたいと言っていた。

 

彼女はどちらかと言うと、おとなしいタイプのフランス人で、印象に残ったことと言えば、奈良の滞在の後、高野山の宿坊で二泊すると言っていたことだ。

その後東京に戻り、帰国の途に就く予定だったが、「大きなキャリーをひいて高野山へ行けるか?」と心配そうだったので、ある提案をした。

高野山と言えばケーブルカーに乗らないといけないので、大きなキャリーはスペース分だけでも邪魔になる。

 

「日本には宅配便と言う方法があり、ほぼ確実に荷物を届けてくれる。もしあなたが同意するなら、高野山へは必要な分だけ持って行き、残りは東京のホテルに宅配すればフロントで預かってもらえる。」と説明した。

彼女は値段を確認し、家に引き取りに来てもらい送ってもらいたいと言った。

 

 

東京で、荷物を受け取った彼女からのメールは、ほんとうに驚きと嬉しさでいっぱいだった。

「あなたのおかげで身軽に高野山に行けた。高野山でもちょうどお盆で神秘的で敬虔な気持ちになり、とてもよかった。どれほど感謝したらいいだろう!!」

 

時々大きな荷物の人には勧めてみることもあるが、利用したのはこの彼女とあともう一人だけである。

特に旅行時の荷物の軽減で、宅配便のシステムをもっと外国の人にも知ってもらいたいと思うのは私だけではないだろう。

 

このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 

 

 

 

 

 


イル・ド・バのクレープとガレット

2011年12月20日 | ブルターニュ

翌日、パトリックのガイドで「バ島(イル・ド・バ)」へ行くことになった。 

 

この地方ではちょっと有名な観光地であるが、日本のガイドブックには載っていないので、団体さんがやって来るところではないようだ。

 

ロスコフと言うピンクの玉ねぎで有名な港町まで車で行って、そこから小さい船に乗って行くのだが、その港はちょっと古い町で、観光地でもあるらしくそう言えば古い石造りの家があったり、観光客向けの観覧自動車が走っていたりした。

 

                           ロスコフの古い家

 

 

               見張りの塔     

 

 

                          ロスコフの古い大砲

 

 

                 観覧自動車

 

 

この港の海岸もそうだし、ケレンマの海岸もそうだが、大体ブルターニュ地方の海岸は岩だらけで、昔からよく船がが座礁したらしい。

 

                陸にある船

 

 

              ロスコフの引き潮

 

 

              岩の多い海岸

 

 

               ロスコフの海岸    

 

 

港の桟橋は長く海に突き出ていて、丁度引き潮らしく、その長い桟橋を先端まで歩いて行って船に乗り込んだ。黒い鳥が沢山いたので、聞いてみると鵜であった。

 

               長ーーーい桟橋

 

 

                鵜      

 

 

やがて船は目的の島の港に着いた。お腹が減ってきたのでしばらく歩いて行き、海に面した小さいレストランを見つけ、窓際に座った。

 

そこでブルターニュの名物のクレープやガレットを食べた。

観光地にありながら感じのいいレストランであったし、美味しかった。

 

               ガレット

 

 

              クレープ

 

 

それから島を散策した。

別荘があちこちにあり、中には売りに出ているところもあった。

どの家も壁や窓の扉には綺麗にペンキが塗ってあり、カラフルで明るい感じだった。でも冬には寒いだろうなと思った。

 

                 植物園

 

 

               植物の窓

 

 

                売り家   

 

 

               貸し家

 

 

白い砂の浜辺も植物園もあったし、草原には馬がのんびり草を食べていたりした。

 

               丘の上の教会

 

 

             イギリスに向かう船

 

 

          バイキングに壊された古い教会

 

 

また船で元の港に帰り、それから家の方向へ車で走り、途中パトリスの知り合いの小さいお城に寄った。そのこの「城主」の子孫がまだそこに住んでいた。

その城の中に入れてもらい見張りの塔などに登らせてもらった。こういうところが、フランスの田舎にはまだあるということを体験した。

 

            古い小さいお城の正面

 

 

               見張りの塔

 

   

          見張りの塔から門を見下ろす               

 

 

               お城の庭園

 

 

 

そして帰宅したが、その晩はこの家での最後のディナーとなるのだ。マルゴが腕をふるってくれた

 

 このボタンをぽちっとお願いします⇒ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ


ランキング

人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ ランキングに参加しています。 よろしければ、クリックお願いします

レシピ