フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

花屋のミッシェルさん

2011年05月08日 | パリ1区

花屋のミッシェル

パリのシテ島のノートルダム寺院の北側に、花屋が並んでいる一角がある。

そこにミシェルさんと言う年のころなら50代後半かと思われる、花屋を営むムシュがいた。



彼はあるときNHKテレビのフランス語講座の取材を受けた。
彼は日本からの取材を受けたことは勿論理解していたが、何に使われるのかはその時は知らなかった。

私の知人が、そのテレビ放映を見て彼のことを覚えていた。
そしてその知人が夫婦でパリに行かれた時、シテ島で偶然テレビで見た彼を発見した。

知人のご主人の英語をミッシェルさんの隣のお姉さんが通訳し、彼はそれがNHKの取材であったことを知ったわけである。

話はここで終わらない。
知人は帰国しNHKからビデオを入手し、彼に送ってあげた。

それから彼と知人の間に、媒体がフランス語なので私を介してのカードの往復が始まった。

そのカードの中に「この間、貴乃花、貴闘力がやってきて、シラク大統領の夫人への花束を作ってくれと頼まれた。彼らはどういう人たちか?」というようなものがあった。

「彼らは素晴らしい日本の相撲のチャンピオン達だ。」というような解説が向こうへ行ったりした。

その後私がパリに行く時、知人から彼へのお土産を託された。

シテ島のその場所に行くと、花屋が軒を連ねておりなかなか見つからない。その日3回、その花屋街に足を運んだ。
ようやく名前を頼りに隣のお姉さんに会うことができた。
肝心の彼は、なんだか体調が良くないとかで近くの彼の家で休んでいるとのことだったが電話をしてくれ、しばらく待つと彼がやってきた。

当のミッシェルさんは、どうやら目がよくないとのことであった。
しかし彼は身振り手振りよろしく、よくしゃべってくれ会話は楽しかった。

「数年前、人だかりがしているので誰が来ているのだろうと思ったら、それは日本の天皇、皇后両陛下で、思わず私も興奮してシャッターを切ったよ。」とのことだった。
本当にその時の興奮が伝わるくらい、その時も興奮して彼は話してくれた。
皇后は、特に素敵な方で緊張したということだった。

第二次世界大戦の戦勝記念日近くだったので、当時のシラク大統領からの注文の花束が置いてあった。
フランス国旗と同じ赤・白・青の三色のすごく立派なリボンが掛けてあったのを覚えている。

(これはまた別の花束)

彼は私に1962年の5フラン硬貨をお土産にくれた。
500円硬貨くらいの大きさで表に「自由・平等・博愛」とあり、裏は種をまく夫人像である。今も大切にしている。


その後数回パリに行き、花屋街に行くこともあったが、彼も隣のお姉さんも見当たらず、会えていない。

手紙のやり取りでは、彼はもう週1~2回出勤している程度で、引退生活に近いらしい。私は彼は糖尿ではないかと危惧している。だから目に来ているのではないだろうか。


手紙やカードの往復で解ったことは、彼は芸術肌であること、美しいパリの街が商業化されていくのを嘆いている事である。

昔を知らない私には、今のパリでも十分美しいのである。


彼とのやり取りで一つだけ私を悩ますのは、彼の字が非常に個性的なことである。
従って彼から手紙やカードが来る度に、暗号解読に似た作業がしばらく続くのである。



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