フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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パリで食べた「絶品!ハンバーガー」

2012年04月16日 | パリ6区

さてパリへ帰る日、大急ぎでアヴィニョンのTGV駅へ、イザベルが車で送ってくれた。結構ギリギリであったが何とか時刻に間に合い、イザベルとゆっくり別れを惜しむ間もなく列車がやってきた。 

急いで乗ろうとしてハッとした。駅のアナウンスが耳に入ってきたのだ。リヨン駅に行く列車でないと告げているではないか。イザベルは帰ってしまっている。

しばしパニックになったが、やっと状況が解った。この列車が遅れているのだ。私が乗ろうとしている列車は、この後に遅れてやってくるのだ。 

日本じゃ新幹線がそうそう遅れないが、フランスじゃよくあることなのだろう。慌てていたから、まちがって乗ってしまいかけたが、気がついて良かったと胸をなでおろした。 

 

パリ・リヨン駅では元軍人さんとその奥さんが待っていてくれて、この後夕食まで一緒に行動するのだがそのことは以前に書いたのでここでは割愛する。 

その夕食と言うのがこれまた知り合いのハムバーグ屋さんなのだが、ここでこのハムバーグ屋さんカップルを私に紹介してくれたセシールが、会いに来ていて待っていてくれた。

ハムバーグやさんカップル

セシール

実は時間が無いので、今回はセシールにはパリ滞在を知らせていなかったのだが、彼女はこのハンバーグレストランを時々利用しているようで、私が来ることを彼等から聞いていたようだ。 

このハムバーグ屋さんカップルは、セシールの紹介で奈良の私の家に泊まったがその時のことも既に書いたのでここでは割愛する。 

つまりややこしいが、この日のハムバーグ屋さんで軍人さんカップル、かれらがその時呼び寄せた軍人さんカップルのパリ在住の息子さんとその彼女、ハムバーグ屋さんカップルとその赤ちゃん(オスカル君)、そしてセシールが集まったのだった。赤ちゃんも含めて全部で8人になった。 

ハムバーグ自体はアメリカのチェーン店のそれとはまったく違って、上等のお肉を使ったそれは本格的に美味しいものだった。日本に来た時そう言っていたが、現地で食べてみて実感し納得した。

 

この日朝にはアヴィニョンで演劇を見て、ランチを精神科医宅でいただいていたのに、午後はパリの凱旋門でのパリ祭の予行演習を見学し、ノートルダム付近を散策し、サンジェルマンデプレ教会付近のハムバーグ屋さんで夕食となったわけだ。

その後セシール、ハムバーグ屋さんカップル、軍人さんの家族の順にお別れし、凱旋門近くのカトリーヌのアパルトマンに帰った。今振り返ってもよく動いたものだと思う。 

翌日からはカトリーヌとそのムッシュに、彼らが持つシャンパーニュの別荘へ連れて行ってもらう予定なので、話はそちらへ移ってゆく。

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カフェ「レ・ドゥー・マゴ」

2012年02月17日 | パリ6区

サン・シュルピス教会の壁画を見たのだけれどその前に、実は昨夜御馳走になったレストランの向かいにある、予約がなかなか取れないレストラン(コントワール)の前にも行った。

 

こちらの方も昨夜は暗くてうまく写真が撮れていなかったからだが、今日は昼間なので綺麗に撮れた。ただ、やはり夜のレストランの方が趣があった。

 

 

さてサン・シュルピス教会を後にして、すぐ北にあるサン・ジェルマン・デ・プレ教会の向かいの有名なカフェ「レ・ドゥー・マゴ」へ行った。

 

創業は19世紀だそうで、元は中国の絹を扱う店だったそうだ。1875年頃から文学者たちが通い詰めるようになり、サルトルや、ボーヴォワールが集まった文学サロンだったそうだ。

 

中国の絹を扱う店だったので、当時の中国の木彫の人形が二体、店の中に飾ってある。店の名前の「レ・ドゥー・マゴ(二体の人形)」はそこからきている。

 

 

店内へ入り、ココアを注文した。

 

 

ところが店の表の椅子は満席に近いのに、店内は殆ど客がおらず、がらんとしていた

 

 

 

 

 

観光客らしい白人カップルが一組、後から入って来たぐらいだった。

フランス人は、外が好きらしい。外に座り、道を通る人を眺めている。

日光浴を兼ねているみたいだ。

ヨーロッパは冬が長く日照時間が短いから、太陽の光にあたりたいらしい。

日本人は暑い戸外より、屋内がいいと思うのだが、この点は全く違う。

 

このように有名カフェ「レ・ドゥー・マゴ」の体験はしたけれど、だからと言って取り立てて、他のカフェとの違いというものは私には感じなかった。

昔の歴史はともかく、今は観光客が多いせいだろうか。

そう言えば、パリジェンヌのマダムの息子が我が家へ来た時、17歳だったが行ったことがあると言っていた。もちろん家族とである。

フランス人に限っては、あるクラス以上の人達の御用達と言えるのかもしれない。

 

カフェを出てから、セーヌ川に向かって北へ歩いて行った。

左手に国立美術学校があった。

 

 

 

オルセー美術館にも近く、このあたりは芸術、文学、学問の中心地区であることは、今日一日の歩いた自分の足がよく知っているはずだ。

 

 

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ドクターの奥さんは「ぶりっこ」社長

2012年02月05日 | パリ6区

マリーアンジュ夫妻宅から帰る時、近くの地下鉄の駅のホームまで送ってくれた。

 

 

そこからオデオンの駅まで乗って、時間調整にサン・シュルピス教会を見学した。

 

サン・シュルピス通り 

 

 

パリでも屈指の規模と言われる教会で(映画「ダ・ヴィンチ・コード」でも知られる)だが、その時は一部修理中だった。

教会の前には4人の枢機卿の彫像がある大きな噴水がある。

内部には「民衆を率いる自由の女神」で有名なドラクロアの描いたフレスコ画が見られた。

 

 

 

また来た道を戻りかけてふと見ると「無印良品」の店があった。

「無印良品」もフランス人の若い層の支持があり、パリでもこうして一定の地位を占めているようだ。

 

 

さてこのあたりはソルボンヌ(パリ大学)が散在する文教地区だし、一昔前は芸術家、哲学者、作家たちが集まったところだそうだ。

セーヌ川左岸のこの地区は、とても地価が高いと日仏カップルの奥さんから聞いた。

 

これから訪れようとする夫妻はこのサン・シュルピス教会とオデオンの駅の中間にある。

御主人はこの前も書いたがお医者さん(ジェネラリスト)だし、奥さんはある会社の社長さんと言うわけで、このカップルだからこそこのようなところに住めるのだと思う。

 

彼等の家はすぐ判った。フランスの住所の番地は非常に分かりやすい。通りの右側が奇数とすれば、左側が偶数と決まっている。

 

 

アパルトマンの2階(フランス式では1階)で夫妻は待っていてくれた。

奥さんも仕事があるから忙しく、手料理とはいかない。

夫妻が良く行くらしいオデオン駅近くのレストランに連れて行ってくれた。

 

文教地区だから、出版社も多くこのレストランは「編集者」という名前だった。

御主人によると「そのせいでちょっとスノッブな(紳士気取り)人たちが好む店なので、私は少し苦手だが、これもまたパリということで紹介したかった」ということだ。

見渡すと客層はやはり品がいいように思った。しばらくすると隣に日本人のビジネスマンがやってきたりした。

 

夫妻はギャルソンにも顔が知れている様子で、サービスが良い。やはり常連らしい。

それでも御主人は「私はもっと肩の凝らないところがいい」と言った。如才のない人だ。

若いころは、ヒッチハイクでイギリスを旅したこともあるそうだ。

 

 

奥さんは壁を背にして座り、あちこちの人を楽しそうに観察していた。写真を撮ったが、奥さんは手の平を合わせそれを右ほほに充てるポーズなど取っていた。ちょっと「ぶりっこ」の要素もあると見た。

 

 

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贅沢な悩み

2012年01月30日 | パリ6区

カトリーヌたちと別れた翌日は、ミッシェル&J・クロードさん夫妻がマルチーヌと一緒にパリ郊外の古城プロヴァンへ連れて行ってくれた。

 

 

 

中世の街を大切に保存していた。

そこでミッシェル&J・クロードさん夫妻・の「お膝の上事件」があったが、これは先に書いたので省略する。

 

その翌日は、シャンソニエのピアニストからランチを招待されており、モンマルトルの近くまで出かけた。

彼はインド料理へ連れて行ってくれた。

 

 

 

 

前はアルジェリア料理、今度はインド料理と言うわけで、彼とはフランス料理にはありつけない。

モンマルトルを訪れないパリ滞在はあり得ないので、この後少し

モンマルトルに上り、今まで訪問していなかったアトリエ洗濯船跡や「壁抜け男」を見に行った。

 

シャンソニエ  

 

 

昔の有名芸術家たちの共同アトリエ跡

 

 

午後一旦ミッシェルさん宅に戻り、服装を整えて出かけた。

まず、マリーアンジュの若夫婦の家にお茶を呼ばれに行ったのだ。

 

 

 

この同じアパルトマンの同じ階の向かいのドアには、入ったことがある。

そこは高野山で会った、ネッスルに努めている夫妻が住んでいて、2年前に来たことがあるからだ

 

今回彼等はスイスに赴任し留守なのだが、前回ここに来た時その向かいの家にまた来るとは想像もしていなかった。

 

彼等はマカロンやお茶で歓待してくれた。奈良の山の辺の道を案内してから1カ月もたたないうちの再会だった。

 

この前ネッスルに勤めている夫妻に会いに来た時は、ミッシェルさんの送り迎え付きで、気がつかなかったのだが、今回歩いて来て判ったことがある。それは意外と近くに刑務所があったことだ。

 

この付近は特に治安が悪いこともないのだが、刑務所があるとはちょっとびっくりした。

 

マリーアンジュの両親夫妻とは既に会って、ヴォー・ル・ヴィコントへ連れてもらった後だが、二世代同時に会えなかったのは、それぞれの日程がこうさせたのだった。

マリーアンジュ達の家を辞して、サンジェルマン・デ・プレへ向かった。ここに住むお医者さんのご主人、会社社長の夫人のカップルに招かれていたからだ。

 

このカップルとの縁は、先の述べたネスカフェに勤めるカップルと会社社長の夫人とが知り合いで、日本へ来た時京都で夕食を一緒にしたのだった

 

その時のディナーの話は次にするとして、この一日だけで三組の友人とランチ、お茶、ディナーと別々に過ごすことになる。

 

パリ滞在の限られた日程の中で、出来るだけ友人の招待に応えようとするとこうなってしまう。

これでも渡仏自体内緒にしている友人が少なからずいるのである。これが贅沢ではあるが、悩みの種だ。

 

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童心に帰ったジェネラリストのドクター

2011年07月17日 | パリ6区

高野山で出会ったカップルの紹介で、このカップルと知り合った。

既に書いたように高野山で出会った二人には、同じアパルトマンの向かいの部屋のカップルを紹介してもらっているので、これが二組目である。

 

高野山で出会ったカップルのご主人はネッスルに勤めているが、今度はその会社と取引先の社長が今度紹介してもらったマダムである。

 

そしてご主人はお医者さんで、専門医ではなくジェネラリストなんだそうだ。

 

フランスの医師は二つに区分され、一つはジェネラリスト(一般医)、もう一つはスペシャリスト(専門医)だそうだ。

一般市民は病気になった時は、まずジェネラリストのお医者さんに行き、そこで手に負えなければ、スペシャリストを紹介されると言う二段階になっているそうだ。

ちなみに既述のあるマダムのご主人も医師でジェネラリストである。

 

それはさておきこのハイソなカップルは奈良には来なかったが、京都にやってきた。

そこで京都で食事をすることになり、でかけた。

 

彼等はやはりそれなりのホテルに泊まっていた。

事前にメールはやり取りしていたが、顔はまだ知らない。

ロビーで待っていると、どれもハイソな客に見え、もう少しで間違うところだった。

 

なかなかおしゃれで美人のマダムだし、優しそうなムッシュで共に50歳台ではなかろうか。

 

京都駅近くで湯葉料理にした。ご主人は豆腐が大好きらしい。

ご主人は「美味しい。美味しい」と言って全部平らげたが、奥さんはちょっと苦手だったようで、残すものもあった。

      

        

 

どうやらご多分にもれずこの二人は初婚同士ではなく、二人の間に子供は無いらしい。

パリの6区のダビンチコードで有名にもなったサン・シュルピス寺院の近くに住んでいるとのこと。

パリ6区と言えばセーヌ左岸のいいところだ.

 

 

ご主人はちょっと気難しいのではと最初私は緊張していたが、食後、折り紙を教えたらご主人が可笑しいくらい童心に帰り、そのギャップに驚いた

それをマダムが笑う和やかムードになった。

 

          

 

お土産に鶴を持って帰りたいから「先生(わたしのことだ)のサインをこの鶴にしてほしい」とムッシュは言った

「次はパリで会いましょう」と鶴に書いてくれた。

だいぶお酒も回っていたのだろうか。

とにかく楽しい夕べであった。

 

          

今度パリに来たら是非我が家に来てほしいとの申し出を受け、別れた。

翌年、パリ6区へ行って彼等と再会したのだが、その時のことは次の稿にゆずることにする。

 


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