フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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モンマルトルのムッシュ

2011年05月07日 | パリ18区

モンマルトルのムッシュ

彼に最初に会ったとき、すでに95歳を超えていた。

たまたま同じレストランでテーブルが隣同士だった。彼は近所に一人で暮らし週に一度はこのレストランで食事をしていたのだった。

私は息子と軽い食事をしていたが、注文を聞きに来た時、隣の彼が飲んでいる琥珀色のおいしそうな飲み物について「あれは高いですか?」と尋ねると「スペシャル!」と言ったため、頼まなかった。

すると彼が、次に頼んだ赤ワインのボトルを「一杯どうか?」と勧めてくれた。どうやら彼は私達貧しい親子が節約していると思ったらしいのだったが、せっかくだから頂くことにした。

デザートもどうかと言ったが、ハエがたかっていたチョコレートタルトを見た息子はいらないというので、これは断った。こういう点、日本人が潔癖すぎるのか、向こうが鈍感なのかの判断に迷うところである。

最後に「コーヒーは?」と聞かれたが、もともと飲まないためこれも断ると胸を叩いて「私が御馳走するから。」というので、また御馳走になる。

そのときこのように彼は元気で、しっかり食事をしていた。
ナフキンに年齢と住所名前を書いてくれ、その後カードのやり取りが続くことになる。


二年後、私は再び彼の家のすぐ近くのホテルに泊まり、彼の住むアパルトマンに訪ねて行った。
フランス人は歳をとって一人になっても、子供たちと一緒に暮さず、独立しているケースが多い。
日本人では二世代の同居や、三世代同居のケースが普通にあるが、フランスではあまり見かけない。


お土産に日本人形を持っていった。
その数日前、尼崎で起こった列車事故を知っていて、心配してくれていた。
そして二年前と同じレストランで、食事の約束をした。

約束の時間に行くと、彼は先に来ていた。
しかし、二年前の彼とは違い、足腰がかなり弱っていたようだし、食事もそんなに進まなかった。
どうしたのかと聞くと、「もう年だからそんなに食べないんだ。」という答えが返ってきた。
二年前とこうも違うものかと、驚いた。

古い軍隊時代の身分証明書のようなものも、見せてくれた。
そこには彼の若い軍服姿の写真が貼ってあった。

食事を終り、彼を抱きかかえるようにして、彼のアパルトマンまで送って行き、また会いましょうと別れた。


あくる朝、モンマルトルのホテルから、南のゴブラン通りの近くのホテルに移るためタクシーに乗り込んだ。



出発してすぐ窓の外をふと見ると、かのムッシュが歩いているではないか。
散歩なのかもしれなかったが、夕べよりはしっかり歩いているように見えた。

声をかける暇もなく、あっというまにタクシーは走り去り、彼は見えなくなった。

これが私の見た最後の彼の姿だった。
モンマルトルのムッシュよ、安らかなれ。


しかし、彼とのことはこれで終わらなかった。
それはまた、後日談に譲ることにする。


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