ジョルジュはフランスで外交官として仕事をしてきたそうだが、フランス語もさることながら英語が得意なこと、一番最初にレバノン料理の店に連れて行ったくれたこと、中東の金持ちがたくさん住んでいると言われる16区の高級アパルトマンに住んでいること、などの全てが「レバノン人」と符合した。
彼は弟さんより色が白く、私には「白人」にしか見えず、外見からはフランス人と見分けがつかなかった。フランス人から見れば、中東の人間であることが解るのかもしれない。彼の苗字に当たる「スカフ」もフランス人には無いのだろう。
弟さんとフーケで別れ、ジョルジュの招待でランチに行くことになった。彼が言うには「フーケは有名で昔は料理も美味しかったが、今はそれほど美味しくない。」と言った。
私がフーケでの食事を期待しているのかと思っての発言だろうが、日本人のブログでそういうことを書いているのを読んだことがあるので、別に異論は無かった。
それから彼について行った。高級ホテルのジョルジュ・サンクの前を通って目的のレストランに入った。ここに彼は良く来るらしい。室内の装飾はアール・ヌーヴォー調で統一されており、なかなか高級感のある落ち着いた雰囲気だった。彼が「遠慮なく写真を撮ってもいいよ。」と言うので、室内の装飾や料理を撮らせてもらった。
アール・ヌーヴォー調の室内装飾
料理が来る間に、彼はポケットから折り紙を取り出し、鶴を折った。店の人もそこで私達に注目したようだ。ハートの折り紙も折り、心臓の鼓動のように動かして見せてくれた。
折り紙をするジョルジュ
ジョルジュの折った折り紙(孔雀)
ジョルジュの折った折り紙(ハート)
これまでにも書いたように、折り紙は彼の趣味の一つである。
メインはサーモンのタルタルで、パンも綺麗な皿の上に乗って出てきて、食欲を誘った。
サーモンのタルタルなど
綺麗なお皿に乗ったパン
デザートはこの店の評判のスフレを注文してくれた。彼は何時もそうだが、コース料理を頼まない主義だ。それが「通」の方法らしい。常にアラカルトであり、彼がこれまで美味しかったものの中から推薦し注文してくれる。このスフレも「ここのスフレは美味しいから是非食べるように」とのことで、本当に絶品だった。
美味しかったスフレ
御馳走になり、そのレストランを出てからすぐ、再会を約して彼と別れた。彼はもう自身では日本に来ないようだ。独身で道中の面倒を見てくれる伴侶もいないし、高齢で体力的に慎重になっているからだ。私がまたフランスに来ることを強く望んでいた。
ジョルジュとのこれまでの8年ほどの付き合いでも「彼女」の気配は全く感じない。そのことはフランス人と大違いだ。彼は一人でさみしいに違いない。日本の物の収集趣味もマニアックで、一人自分の中で完結している。日本の有名人も幾人か彼のアパルトマンに来たことがあるようだけれど、その後交流が続いているようでも無い。
ところでこれまでの付き合いで解ってきたことの一つに、彼は少し「我儘」なところがある。また平和ボケしている私と違って、中東出身人として厳しい環境の中で生き抜いてきたのだから当然なのかもしれないが、「疑い深い」ということもちらっと感じている。 それに最初気がつかなかったが、偶に「見え透いた小さい嘘」をつくことも解ってきた。
そのような彼であり年齢も経済力もかなり私と差があるが、とにかく私はこれまで彼の心の中から排除されず、まだ一定の位置を占めているようだ。彼は私がフランスに行くたびに歓迎してくれ、食事に誘ってくれ、楽しそうに話してくれる。彼は日本と日本人、日本の文化が大好きなのである。しかしその理由の一つに日本人が彼を中東人として差別しない(外見上区別できないことも含む意味で)ことがあるのかもしれない。
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